概要
本名ジャマールッディーン・アフガーニー(1839〜1897)。
スンニ派アフガン人。19世紀後半のイスラム圏で、欧州帝国主義の圧力に抵抗するため、民族や宗派の違いを超えてイスラム教徒が団結しようという汎イスラム主義を提唱。イスラム圏だけでなく欧州にも足跡を残して広く活動し、斯やオスマン帝国領内のエジプト、イスタンブールなどで反帝国主義の運動に大きな影響を与えた。アフガンの宮廷争いに巻き込まれた。エジプトとインドを征服したイギリスに激しい敵意を持つ。オスマン帝国のスルタンはアフガーニーを危険人物とみなし幽閉。1897/5/9、イスタンブールで客死。初めはイスタンブールで埋葬されたが、1944アフガン政府の主張もあり、アフガンに遺体は移送されカーブル大学に再び埋葬。
アフガーニーの思想は弟子のエジプト人ムハンマド=アブドゥフに引き継がれた。しかし、ムスリムとしての団結を説くパン=イスラーム主義とは別に、同じイスラム教徒であってもトルコ人、アラブ人、イラン人などの民族の違いをより重視する民族主義的潮流、特にオスマン帝国領内のアラブ民族の独立を求めるアラブ民族主義運動が第一次世界大戦の時期に盛んになっていくと、オスマン帝国内ではパン=イスラーム主義は衰退していった。
関連タグ
外部リンク
- 世界史の窓