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概要編集

正式名称はイラク共和国(英語:Iraq, アラビア語:العراق al-'Irāq)

南にサウジアラビア、東にイラン、南東にクウェート、西にシリアヨルダン、北西にトルコと国境を接する。国民は80%近くがアラブ人で、16%程度をクルド人、残りをその他少数民族が占める。公用語はアラビア語クルド語。宗教は99%がイスラム教で、シーア派の方が多い。


地理編集

ザグロス山脈の西側、古くはメソポタミアバビロニアとも呼ばれた地域を主な領域とする。国土をユーフラテス川(フラート川)とチグリス川(ディジュラ川)が貫流し、流域は古くから農業地域として知られる一方、塩害にも悩まされてきた。国土は大きく三分できる。


  • 南部

港湾都市バスラを中心とした地域。ナツメヤシの生産でも知られる。古くは2大河による広大な湿地が広がっていた。少し内陸に入るとウルクウルといった古代シュメール・バビロニアの都市遺跡が見られる。


  • 中部~北部

中部の中心地は首都バグダッド,北部の中心都市はモースル。バグダット以北は2大河の距離が離れることもあり乾燥気味な地域。交通傷害がないこともあり、今でいうシリア東部地域との繋がりも深くISILが国境を越えて広がった一因にもなった。バグダッドの近郊にはバビロンの遺跡がある。


  • 最北部

中心地はキルクーク。イラン北部に続く山岳地帯の入り口に当たり、クルド人が多い。


歴史編集

起源編集

メソポタミア平原と呼ばれる中でも特に南部はイラン諸王朝との繋がりが深く、古くはアケメネス朝やサーサーン朝が都をおいた。

やがてイスラムの勃興とともに、アラビア半島を統一したイスラム勢力はサーサーン朝を攻撃しこれを滅亡。イラク地域はイスラム圏となった。

さらに、当時中東地域全域にわたったアッバース朝の時代にはそこに都城が建設。この都が後にバグダットと呼ばれることになる。


成立編集

その後イスラム世界の王朝の分裂に伴い、中心地としての地位は衰えるが、それでもバグダット周辺に一定の勢力を持っていたアッバース朝に13世紀中ごろモンゴル帝国が襲来。バグダットはかなりの部分が破壊され、さらにオスマン帝国・サファヴィー朝などの勃興の中、イラク地方は相対的に辺境と化し、やがてオスマン帝国に組み入れられる。

それでも、川沿い中東地域に出られる通路として、帝国主義時代に注目されることになる。

1932年にイラク王国として独立したが後にクーデターにより共和制となるも、その後も安定せずクーデターを繰り返したのちに、1979年にサッダーム・フセインが大統領となりようやく落ち着いたかにみえたが・・・


軍事国家へ編集

1980年、隣国のイランに侵攻しイラン・イラク戦争(イラ・イラ戦争)勃発。イラクはイスラム国家のイランを警戒するアメリカやソ連の支援を受けたが、イランの強固な抵抗を受け、両国合わせて100万人以上の死者を出した果てに、1988年に国連の仲介でようやく停戦。ところが、停戦間もない1990年にクウェートに侵攻したことで湾岸戦争が勃発。これにより国際社会から経済制裁を受け、イラクは名実ともに軍事国家となってしまった。


米軍侵攻編集

2003年3月に大量破壊兵器を隠し持っているとしてアメリカを中心とした多国籍軍が攻め込みイラク戦争が勃発。

この戦争でフセイン率いるバース党政権は崩壊し、フセインものちに処刑された。

だが、肝心の大量破壊兵器は見つからず実際にはイラク戦争より前に破棄されていたが、他国への威嚇として「持ち続けているフリ」をしていた模様。

さらに、イラク戦争目前の時期に根拠となった大量破壊兵器の存在が捏造された物だったことが後に明るみにでており、後の混乱と合わせてイラク戦争の正当性に疑問符が付されている。


混乱から米軍撤退へ編集

フセイン処刑後はスンニ派蜂起とISILの浸透、クルド人独立運動などで全土が混乱に陥る。混乱の中、一年余に渡ってアメリカを中心とした連合国暫定当局(CPA)によって統治される。その後、選挙による政権が成立すると、多数宗教シーア派が政権を主導する。これに呼応して近隣のシーア派大国であるイランが介入し、イラン・イスラム革命防衛隊に所属するソレイマニ司令官が民兵を組織化してイラク政府との交渉やISILとの戦闘を行う。だが、イラクはシーア派法学の中心地ナジャフ、最大の聖地カルバラなどの聖地が集中し、宗教的にはむしろ本家にあたる。シスターニ師率いるナジャフのイスラム法学者コミュニティは、イランによる過度の干渉に反発した。ソレイマニ司令も2020年、米軍に暗殺される。またシスターニ師は米軍駐留の長期化も批判した。こうしてクルド自治区の成立とISILの衰退などもあり、米軍は2025年までの撤退が決まっている。


近況編集

アメリカの関与低下に代わり、イラク・シーア派の指導者シスターニ師が投票は宗教的義務であるなどとした宗教的布告による民主主義を主導している。宗教指導者が元首も兼ねるイランとは異なり、シスターニ師は民主主義の実施をイスラム法学で保証する以上の政治介入は稀である。しかし2019年の反政府デモで多数の死者がでると首相を批判して退陣に追い込むなど権威は健在。

一方、外交面ではイランと湾岸諸国との仲介を行うなどかつてより穏健な立場を取る。


情勢編集

現在でも自爆テロ等が多発し治安は極めて悪い。政情は安定はしておらず、政党間の抗争が武力衝突に発展したり、親イラン派、反米派武力組織の活動等多くの問題を抱える。そのため日本の外務省も渡航は非常に危険と勧告。

しかし、経済的には湾岸諸国からオフィス・商店・住宅などへの投資が活発化している。


関連キャラクター編集

古代バビロニア編集


現代イラク編集

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