概要
メソポタミアと呼ばれる地域の南側の地域を指した呼称。また古代においてこの地域に建てられた国のことを指す場合もある。中心都市はバビロン。現代で言えばイラク南部にあたり、チグリス川とユーフラテス川の下流が育んだ沖積平野。世界最古の農業地域の一つである。
歴史
古代では大きく分けて南のシュメール人地域と北のアッカド人地域に分かれ、それぞれに都市国家が建設されて互いに争って来た。狭義のバビロニア王国とは、その中で西方から侵入したアムル人がバビロンを首都に築いたバビロン第一王朝を指す。第6代のハンムラビ王の時代に全盛期となりメソポタミアを統一した。この王の時代に「目には目を、歯には歯を」の原理で知られるハンムラビ法典が制定された。王国はその後ヒッタイト民族に滅ぼされる。
ヒッタイトが去った後、カッシート人がバビロニアを統一してカッシート王国とも呼ぶバビロン第三王朝を築く。その後アッシリア帝国の征服を受けるが、新バビロニア王国が興ってこれを滅ぼす。第2代のネブカドネザル2世の時代に西方に進撃してユダ王国を滅ぼし、イェルサレムを占領して多くのユダヤ人をバビロンに連行した。これをバビロン捕囚と呼ぶ。新バビロニア王国はアケメネス朝ペルシア帝国によって滅ぼされ、やがてイスラム帝国の征服をへてアッバース朝の本拠地へとなっていくのである。