概要
バビロン第一王朝(BC1894~1595)第六代王、ハンムラビ(ハムラビとも。生誕B.C 1810頃、死没B.C 1750頃、治世はBC1792~1750)が制定した「法典」。いわゆる「目には目を」という同害復讐の報復律規定により特に有名である。
この「法典」は自立できる棒、のような柱状のモニュメントに刻まれた(メイン画像)。
モニュメント上部にはメソポタミア神話の太陽神シャマシュから王権を授与されるハンムラビ王の姿が彫刻されている。
法典と呼ばれているが、そうすることへの問題点(具体的な例を扱っていて普遍性に欠けており、法典と言うより判例集に近いこと、犯罪に対する禁止規定がない等)も多々指摘されている。
日本語訳が出版社リトンより刊行されており、この翻訳書の書題もハンムラビ「法典」と法典のところが「 」で挟まれている。
その内容は、現代に当てはめるならば民法・刑法・刑事訴訟法・民事訴訟法・行政法と言った様々な性格の法律が混在しており、少なくとも現代の視点からすれば十分に整理された法令とは言い難い。
また、全282条であるが、一部の条文は欠損していて現代に伝わっていない。
特徴
目には目を、歯には歯を
タリオ(同害復讐)に関わる条文は196~200条、その中でも特に有名な「目には目を、歯には歯を」は196条である。
正しくは「もしアウィールムが、アウィールムの仲間の目を損なったならば、彼は彼の目を損なわなければならない」(197条では目を損なったなら、が骨を折ったならに置き換わる)。
続く198条には「もし彼(アウィールム)がムシュケーヌムの目を損なったのならば、銀1マナ(約500g)を払わなければならない。」とされるなど、常に「目には目を」という罰が与えられたというわけではなく、状況によって罰も変化したことが見て取れる。
アウィールムとムシュケーヌムは市民としての地位の差であるらしいが、詳細はわかっていない。
その他
現代における誤解
この「目には目を」の条文は現代ではしばしば「やられたらやり返せ」との意味に解釈されるが、本当はそんな意味ではなく、「仕返しは同程度まで」という、倍返しなどの過剰な報復や復讐の連鎖を防ぐためのものである。つまり「やり過ぎは駄目」というわけである。
それも常にタリオが適用されるというわけではなく、アウィールム同士の間であっても、金銭による解決等も可能であったらしい。
ハンムラ「ビ」かハンムラ「ピ」か
ハンムラビ、ハンムラピ、ハムラビ、ハムラピと様々に表記されるが、アッカド語においては、「bi」と「pi」が同じ文字で表され、発音の判別をつけることが困難であるため、名前の最後の一文字がどちらになるか確定はしていない。
だが、両者の文字が異なるウガリト語の文書において、「pi]と表記された文書が見つかっている。
聖書の記述
新約聖書マタイ5:38,39には『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい』とイエス・キリストが説いている。紀元当時のイスラエルでも広く認知されていたことが窺える