鉄道敷設法
てつどうふせつほう
鉄道敷設法
この法律では、前のものでは予定線33線が第二条において規定されていた。また、1896年( 明治29年 )には北海道の予定線6路線が制定された。この予定線をもとに建設が進められると同時に、1906年には鉄道国有法にて私鉄を国有化する根拠ともなった。
ところが、この時に制定された路線は幹線レベルの路線であり、地方路線が重要地域以外定められていないという問題が存在した。例えば紀勢本線、高徳線などのように地方交通の便を図ることを目的として議会で建設の許諾を得る、または田沢湖線のように軽便鉄道法により軽便線として予算を通す、という手法で敷設された路線が存在する。
改正鉄道敷設法
1920年( 大正9年 )鉄道省設立の時点ではこれらの路線はおおむね完成しており、地方路線を同じ枠組みで建設する、という別の目的が提唱された。
そこで以前の法律をまとめる形で再度この法律が定義された。
以前の法律においては第二条に予定線が記述されていたが、新しい法律においては定められた別表において当初149路線が予定線として指定され、その後52路線が追加されている。
この路線に関しては鉄道の建設や戦時買収の対象、あるいは国鉄バスによる先行路線の運営の根拠ともなった。
ところが、定められた路線の中には当時は必要であったかもしれないが時代の変化により必要性が低くなったものや、政治的な影響により敷設が決定したもの、すでに私鉄が敷設しており旅客需要が見込まれない路線が含まれ、また建設のの費用どころか維持費すら回収できないような路線まで存在したにもかかわらず工事を行ったものまで存在している。
当然これらは国鉄の赤字という形で浮き彫りになることになった。そして採算の取れない路線( この中には買収路線の末端部や貨物線なども含まれる )に関しては赤字83線の取り組みや特定地方交通線の分類されたため廃線されたり、建設途中で中断されたものも存在した。
結果、日本国有鉄道の分割民営化によりこの法律は不要となったため廃止された。
この法律により建設された、あるいは国有化された路線に関してはさまざまな末路をたどっている。
最初の法律においては基本幹線であったが、のちに地方交通線に格下げとなった路線が存在する。また、一部廃止された路線、例えば買収ののち未成線区間を含んでいた可部線末端や実質上ではあるが山田線沿岸部などが存在する。また並行在来線として第三セクターに経営が譲渡された路線も存在する。
北海道の路線に関しては一部が特定地方交通線として第三セクターに譲渡ののち廃線となったもの( 北海道ちほく高原鉄道 )や湧網線や天北線のようにそのまま廃止されたものも存在する。また、標茶 - 厚岸間は建設されていない。
次の法律に関しては以下の通り。
- 幹線に指定されたもの、仙石線、武蔵野線、湖西線など
- 地方路線に指定されたもの、吾妻線など
- 敷設した、あるいは建設途中で私鉄および第三セクターに移譲、大洗鹿島線、
- 第三セクターに移譲後、廃止、神岡鉄道、のと鉄道能登線など
- 全線開業せずに譲渡等されたもの、瀬戸線、信楽高原鐵道信楽線など
- JRに引き継がれたのち廃線
- 国鉄時代に廃線
- 着工はしたものの、工事凍結し後に建設断念
- 着工すらしなかった路線、氷見線の未成区間など
- 一部私鉄が建設、その後廃止されたものも含まれる
着工に至らなかった路線、着工されたが開業に至らなかった未成線、着工し一部区間が開業したが廃止された路線も少なくなく、ひどい場合には並行鉄道を廃止して着工取りやめ、という恐ろしい事案まで存在した。