本項目では狭義の国鉄バスについて説明する。
概要
前身は鉄道省による「省営自動車」。1930年12月20日に開業した岡多線(岡崎~多治見、瀬戸記念橋~高蔵寺間)が最初の路線となる。なお、この際投入された第1号車は名古屋市のリニア・鉄道館に保存されている。
国鉄においては鉄道・船舶・自動車は運行形態は違うが営業上は同格として扱われていた。このため、主要地には鉄道駅と同様に貨客を扱うための「自動車駅」が存在し、全国の国鉄駅までの乗車券も発売されていた。
扱いは同格とはいえ、「先行・代行・培養・短絡・補完」の五原則により鉄道網を補う存在として位置づけられており、各自動車営業所ごとに分散した路線が作られていたことから民営・公営バスのような一地域を包括的に独占する運行は基本的に行われなかった。
1970年代以降はモータリーゼーションや過疎化(上記の事情により地方路線が多かったため影響は特に大きかった)から輸送量が減少し路線合理化を繰り返しながらJRへの移行を迎える。
一方、1964年には名神高速線、1969年には東名高速線を開業し高速バスへと参入。東名高速線と同時に運行開始したドリーム号は日本初の夜行高速乗合バスでもあった。1980年代には高速バス路線の拡充を図るが、民営バス各社との摩擦がしばらく続くこととなった。
1987年3月31日、国鉄分割民営化によりJR各社により引き継がれ、その後1988年から2004年にかけてJRバスとして分社化された。その後、一般路線は不採算として廃止が相次いでいる。
ファンの中には国鉄バスに対する懐古・郷愁もあり、ハイウェイバスの復刻塗装も登場したりしている。
車両
日本国内における自動車製造業の振興という観点から、首尾一貫して国内メーカー製車両を導入しており、各メーカーから購入していたが、実質は国内大手4社のみだった。
なお日本全国各所に配置されていたのはいすゞ製だけで、日野製は北海道・東北・関東・中部のみ、三菱ふそう製は近畿・中国・四国・九州のみ、日産ディーゼル製は信越・東北の一部・中部にのみ配置されていた。何故か全国各地で活躍していたいすゞ製の車両は東名・名神・中国の各高速線には導入されていない。
国鉄バスで新車を導入する時は、たとえ平坦路線用であったとしても箱根など急勾配のある道路で性能試験を行い、性能が基準を充たしていなければ国鉄バスとして採用されなかった。なお国鉄の基準はJRSと呼ばれ、このJRSを満たさない場合はメーカー標準仕様からの変更を強いられた。
細かいところではワイパーの動きがJRSを満たさなかったために、メーカー標準仕様からJRS仕様に変更された上で納車されたいすゞキュービックがある。なおこの方針がメーカーにとって最も厳しかったのが高速路線車である国鉄専用型式である。
関連タグ
JRバス:後身。現在は全て本体鉄道会社から分社化されている。
つばめ:車両側面につばめを意匠としたマークが付けられていた。一部を除きJRバス各社にも継承されている。
関連動画
JRバス関東で運行されていた国鉄バス復刻塗装車
外部リンク
不毛企画-国鉄バス全路線がリストアップされている。
国鉄バス・JRバスあれこれ-元国鉄バス路線の現状を追ったページ