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瀬戸線

せとせん

瀬戸線とは、1)国鉄が建設する予定であった未成線、2)名鉄が所有する栄町-尾張瀬戸までの路線の意味。
目次 [非表示]

二つの意味が存在している。

 ただし、特にpixivにおいては名鉄瀬戸線のイラストしか存在しないため、そちらに関してはこちらを参照されたし。

国鉄瀬戸線編集

 この路線は貨物列車を迂回させる路線として瀬戸-高蔵寺-勝川-小田井-稲沢ルート、及び小田井-枇杷島-西名古屋線(貨物)・名古屋地下-関西線(旅客)ルートで計画されたものの、着工時期が遅れたためその後貨物需要が減少したことにより、工事が進まなかったため未成線となった路線である。

 着工さえ早ければ名古屋のJR路線の一部が複々線として運用できたかもしれない。

改正鉄道敷設法別表第72号ノ2

前史編集

 この路線歴史は中央本線の敷設にさかのぼる。当時名古屋市内を通るルートは城東ルートおよび城北ルートが検討され、紆余曲折の末城東ルートとなったものの、鉄道による市街地の分断があるとして移転を申し入れた。

 そこで城北ルートによる路線建設が検討されたが、名古屋市自体がそれを望まなかったこと、また不景気の影響により実施されなかった。

貨物線編集

 ところが鉄道省は貨物の輸送に有利であることに目をつけ、名古屋駅近辺で行っていた貨物の入れ替え等を稲沢に移すことを目的として勝川-稲沢のルートを開拓することにしたものの、戦争の影響やその後の優先順位の低さによりこの計画は実行されることはなく、移転自体も道路の高架化によりなかったことになった。

 1960年代には速度の遅い貨物列車が交通の支障になっていたこと、また当時貨物を扱っていた笹島駅の線形が悪かったため列車を二度名古屋に通さなければいけなかったため、貨物列車を分離するために計画された。

 実際には南方貨物線(名古屋貨物ターミナル-笠寺の東海道本線の貨物支線、未成線)、岡多線(岡崎-多治見の新規路線、結果として岡崎-瀬戸まで開通させたものの愛知環状鉄道として利用され瀬戸以遠は未成線)とともに東海道本線を迂回可能な環状線が出来るはずであった。

 しかし着工が昭和51年と遅れた上、その後の自動車運送の発展やデモ等の頻発による信頼低下などで貨物需要の減少したこと、国の財政難などの諸事情により工事は滞り、国鉄の赤字もあいまって工事は中止された。

 結果完成した部分は高蔵寺-瀬戸市間と枇杷島-勝川であった。これらの路線は前者は電化され第三セクターに移管され、後者は非電化状態でJR東海が引き継ぎ、子会社である東海交通事業が営業することとなった。

 結局名古屋貨物ターミナル駅(笹島駅の代わりに昭和55年に作られた貨物駅)への貨物列車は稲沢駅で折り返し運転を行っている。

参照編集

wikipedia:同項目

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