ハンムラビ
はんむらび
ハンムラビ、またはハムラビともいう。紀元前1810年に都市国家バビロンにて先王の子として生まれた。名前は楔形文字で書かれており、発音を正確に書き写すことはできなかった。その為、ハンムラピだった可能性も存在する。意味は『ハンムはラビである』となるが、ハンムもラビも何を意味していたかは上の通り正確に写せなかった為に憶測の範囲となる。最有力は『ハンム(父方のおじさん)はラビ(偉大)である』とされる。
後述のようにハンムラビ法典で知られる王。pixivでは単純に「ハンムラビ」で検索するとこのハンムラビを元にしたソシャゲキャラ(特に英雄戦姫のもの)が出てくる。検索分けの為に仕方なくハンムラビ王のタグをつけたものも存在する。
以下、このバビロンの王ハンムラビについて解説する。
彼の父である先王シン・ムバリットは体調が優れなくなり、紀元前1792に王位を降りたことでハンムラビが王位を継承した。この時代はメソポタミア中に点在するアムル人の都市国家同士で勢力争いの最中であり、元々バビロンは領土を殆ど持ってなかったのをシン・ムバリットが他にも極小の都市国家を複数配下に収めメソポタミア南部に少し領地を得たところだった。
メソポタミア二大河川の1つティグリス川の上流は都市国家イシュヌンナが掌握していた。ティグリスの三角州はラルサが。メソポタミア東部にはエラムが。北にはあのアッシリアが。どれもバビロンと比べて有力な強い国であった。
即位当初はしばらく平和で国を強める事に注力していたハンムラビ。だがエラムが突如メソポタミアに侵入しイシュヌンナを襲撃。さらに立場を確保する為にバビロンとラルサを互いに攻撃し合うよう仕向けた。だがハンムラビらはその作戦を見抜き敢えてラルサと同盟を組みエラムを撃退。ただしその際にラルサが殆ど力を貸さなかったのでその報復としてラルサも襲撃し紀元前1763年までにはメソポタミア南部を丸っと手中に収める。この際ハンムラビはマリなど北の同盟国に多く助力を受けていた。南を制圧し終えたハンムラビは北に兵を進めエシュヌンナも撃破しかつての同盟国をも取り込む。
そして北の大国アッシリアと事実上の最終決戦。互いに小国家と同盟を組んでいくが最終的にバビロンがアッシリア軍を退け覇権を制した。アッシリアは生き残りこそしたもののハンムラビの軍門に降らずを得ず、僅か数年の間に彼はメソポタミア全域を収めアムル人の王として名を馳せた。バビロニア帝国ここに成せり。
…にもかかわらず彼の武勇はあまり目を向けられない。何故なら彼の敷いた法はそのような征服より圧倒的に偉大な功績として過去も現在も語られるからだ。
「目には目を、歯には歯を。」誰もが聞いた事があるであろう、罪には罰をを端的に表す言葉。何を隠そうこれを最初に齎したのがハンムラビによる有名なハンムラビ法典である。
ハンムラビ法典より古い法典は確かにある。だがそれらは被害者への損害賠償を重点的に敷いたもの。何故なら当時民同士が勝手に報復を行うのが普通だったからだ。だから物を取られた仕返しに相手を殺すなんてのも、身内を殺されたので仕返しに犯人の家族を皆殺しにするなんてのも、あり得たかもしれないのだ。
ハンムラビは戦争に於いては無慈悲で同盟国を手にかける事もしてきたが、王としての統治に関しては正義を成すことに関心が強かったという。罪を犯す者に罰を与える法はこのハンムラビより以前の法典には見られない。また過剰報復も罪と見做すのもこのハンムラビ法典が初となる。過剰報復はそれを受けた側からの更なる仕返しに繋がり、結果的にどっちかが滅びるまで「やられたからやり返す」を延々と続けることになりかねない。このサイクルが起こり得る状況をハンムラビの法が止めるのだ。無罪推定もこのハンムラビ法典が初であり、被害者も加害者も証拠を出す機会を与えられた。そして裁判では被告の動機にも耳を傾けた。いろんな罪に対して細かに罰が規定され、死刑や罰金、上記の「目には目を、歯には歯を」で表されるような同害報復(ラテン語でlex talionis、タリオの法)などが適用されている。肉体を痛めつける刑罰がある点は現代から見れば残酷に思えるかもしれないが、これでも当時にしてはめちゃくちゃ配慮の込められた法典である。
人はこの法の下で平等ではない。ハンムラビ法典は年齢や職業だけでなく階級や性別で刑罰を変える事がある。ただし、上位階級が罰を軽くされるわけではない。下級階級の方が罰が軽くなるのである(と言っても規定された刑はしっかり受けないといけない)。
このように事細やかに決められた法を、前書きと後書きも加えて石柱に刻み、公の誰もが見れる場所に置いた。もっとも、当時バビロンで文字を読める人は少なかっただろうが。一番最初にハンムラビが正義の神シャマシュから法を授けられてるシーンを堂々と載せており、彼が「強者が弱者を虐げないように」神に選ばれた王であることをアピールしている。
ただ細かく規定しすぎた所為もあって「こんな法律が当時本当にその通り適用されたのか?」というのは疑問となっており、現在も歴史家はその事で討論する。とはいえ古代法典の中でもとりわけ古い割にその公平性はとても高いことは疑いようがない。なのでハンムラビは当時最も偉大な王とされ、神扱いする人も多かった模様(なんなら「ハンムラビは私の神」という意味の名前をつけた奴が珍しくなかったくらいである)。
勝利を、平和を、そして正義を齎したハンムラビは紀元前1750年に没する時まで王であり、彼の死後数世紀に渡り讃えられ、戦争の勝者より司法を敷いた王としての面を強調して伝えられ、アッカド語を習う際にこの法典が模範にされ、他言語にも訳された。前述した戦争による征服なども正義を広める為に必要な行為だったとして人々に容認され征服された都市の人達にも概ね好評だったというのだから、その影響力は凄まじい。
ハンムラビの後継者はあまり強くなく、築き上げられたバビロニア帝国は敗戦に次ぐ敗戦により瞬く間に崩れ去っていく。アッシリアやヒッタイトに負けた末にバビロンはカッシートの手中に収まってしまう。だがこのカッシートはバビロンの文化もハンムラビ法典も大事にした。後にエラムが襲撃し石碑を殆ど奪い元の書き込みを削り取っては上書きをしたが、ハンムラビ法典だけは(一部の損害こそ生じさせたが)奪ってもほぼ無傷のまま取っておいてた。エラム王国のスーサにあったハンムラビ法典の石柱が、現在ルーヴル美術館にも展示されている物である。
後にはハンムラビの子孫であると訴えることで王としての正当性を主張する者も現れてる。
モーセの律法書の元ネタはハンムラビ法典とする人もいたようだが、内容が異なりすぎて否定の意見が多い。
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