概要
ヒッタイトとは同名の古代帝国とその支配民族の事を指す。ヒッタイト王国はアナトリア(現在のトルコ)を拠点とし、その領土は現代国家でいうとトルコ共和国中部から中南部、そしてシリア西部にまで広がっていた。遺跡から発掘された当時の文書はヒッタイト語、アッカド語、シュメール語、ハッティ語、フルリ語、パラ語、ルウィ語で記されており、これら文書からヒッタイト王国は複数の民族を支配下に置いていたと考えられている。それ故にヒッタイト帝国とも呼ばれる。
都はハットゥシャシュという都市であった。その遺跡は現代トルコ共和国の首都アンカラの東150kmほどにあるボアズカレという村に位置する。楔形文字で書かれた大量の粘土板文書、巨大な神殿跡、碑文などが残されている。
歴史
ヒッタイト人が東方から侵入してきたアナトリアには、既に製鉄の技術が存在していた。ヒッタイトはこの技術によって鉄製の武器を製造し、しかも鉄器の製造技術を国外には極秘とすることで、多くの領土を切り従えて広大な帝国を建国することに成功した。ヒッタイト帝国は東方のメソポタミアにも勢力を広げ、紀元前1595年にバビロニアを襲ってバビロン第一王朝を崩壊させている。紀元前14世紀には同じくメソポタミアのミタンニ王国を従属させ、エジプト新王国と戦った。紀元前13世紀末頃のカデシュの戦いの後にエジプトと講和する。紀元前1200年前後に「海の民」と呼ばれる謎の民族の侵略により滅んだとされているがその滅亡については謎が多い。(現在は王族同士の内乱による自滅という説が有力)
ヒッタイトが独占していた製鉄の技術は帝国の滅亡とともに西アジア各地に広まり、鉄器時代をもたらすことになった。
製鉄の始祖?
・・・と言われていたが、近年では鉄器の発掘数がエジプトなど当時の列強と大差ないことが判明しており、またヒッタイト帝国の鉄器も製鉄されたものでなく隕鉄を利用したものだったことから、現在の考古学ではヒッタイト帝国が、少なくとも組織的に製鉄していたという学説は支持されていない。(隕鉄や原始的精錬で作られた鉄器は、技術的に熟達した青銅器よりも遥かに扱いも性能も悪く、ヒッタイトでも軍で使われていたのは青銅器だった)
現在はヒッタイト帝国崩壊から始まる紀元前1200年のカタストロフと呼ばれる東地中海の大混乱の最中、一部地域で行われていた製鉄技術が流民と一緒に拡散し、それが銅や錫よりも手軽に手に入る鉄鉱で発展したとする説が唱えられている。
ヒッタイト神話
ヒッタイトの宗教については、残された文書資料からもはっきりしたことが分かっていない。
メソポタミア神話の宗教体系に基礎を置くとされるが、支配下の各民族の信仰が取り入れられたものであったらしい。