ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

概要

ユーラシア大陸の南西部。北西でボスポラス海峡とダーダネルス海峡を挟んでヨーロッパと隣接し、北東で中央アジア、東で南アジア、南西のスエズ地峡でアフリカ大陸と繋がっている。

アジアに含まれるが、日本人がイメージする「アジア(=日本を除く東アジア東南アジア)」からは最もかけ離れた場所であり、文化も社会もヨーロッパとかなり似ている。住民もほとんどが白人である。

隣接して文化も近い北アフリカとまとめて「中東」として扱われる事が多く、pixiv百科事典でも「中東」の項目が先に作られている。

地理

全体的に乾燥しており、可住域は広さの割に少ない。そのため、集約的な農業などの遊牧交易などの商業が、古代から盛んであった。

西アジア(主要部が北アフリカにあるエジプトを含む)は西洋の文明における発祥の地であるのだが、過度の灌漑による塩害、過度の伐採や放牧による植生の荒廃、地下資源の枯渇などのせいで、今では昔ほどの存在感はない。人口も実は結構少ない(東アジアと南アジアが多過ぎるとかいうのは禁句)。現代で一番目立つ地下資源は石油だが、石油の産出に依存している国では、絶対制や独裁政治が横行したり、利益を優先して配分される国民と他国からの出稼ぎ者のギャップが目に見えて大きかったり、不健全な面も目立ちがちである。

文化のうえでも、ユダヤ教、およびユダヤ教の影響を受けたキリスト教イスラム教の発祥の地であり、現代ではイスラム教徒が多いが、ユダヤ教徒やキリスト教徒も無視できない割合で存在する国が多い。

歴史

中東諸民族視点、あるいは西洋史視点の記述は中東記事に譲り、ここでは東洋史の観点で西アジアを取り上げる。

日本の古代・中世における遠い国々を天竺と呼んで西アジアを含まないことから分かるように、古来、東アジア諸国では西アジアに関する情報は限られていた。西アジアをシルクロードの果てと考えれば、広大な砂漠を越えねば辿り着く事もできない。草原の道であれば強力な遊牧民族の勢力圏であり、得られるのは彼らが西アジアから宝石などの奢侈品と共にもたらす僅かな伝聞情報に限られる。同じく海の道も広大なインド洋を越えるのは容易ではなく、東アジアの商人が到達できるのはジャンク船が改良される宋朝以降となる。

しかし、古代から部分的にとはいえ西アジアの情報は伝わっていた。古くは後漢大使である甘英が安息(パルティア)を経て条支(シリア)に到達して報告書を作成しており、これが東洋から初の西アジア訪問とされる。

下って代には唐代三夷教と呼ばれる西アジアの宗教が唐朝で隆盛したことが知られる。景教(ネストリウス派キリスト教)、祆教(ゾロアスター教)、明教(マニ教)である。その背景としては、波斯すなわちササン朝ペルシャイスラム教団に敗れて滅亡し、東方への亡命があったことが挙げられる。日本でも破斯清道という人名を記した奈良時代木簡が出土しており、破斯を波斯とみなしてペルシャ人が来日していたという説がある。実際、正倉院に収蔵された当時のガラス器にはペルシャ産と鑑定されたものが存在する。

ついで大食と呼ばれたイスラム帝国は唐とタラス河畔の戦いで激突し、それに前後しての製法がイスラム帝国に伝わる。素材には亜麻などが用いられ、当初の生産の中心はサマルカンドであったが、11世紀にはシリアのダマスカスが紙生産の中心地となっている。また唐王朝の華南諸港にはダウ船を操る大食の商人が来て居住地を作っていた。これは黄巣の乱で衰退する。

代わって11世紀には先述の通りジャンク船が改良され羅針盤も使えるようになって中国商人がインド洋に乗り出し、主に宋朝の陶磁器を貿易していた。やがてモンゴル帝国が中国からアラビアまでを統一し、色目人と呼ばれた中央アジア以西の官僚たちの一部として西アジアの人々が活躍するようになる。ジャンク船貿易も引き続き盛んに行われる。

しかし、次の明朝鄭和の大航海の後に海禁政策へ転じ、次第にインド洋進出は下火になっていく。西洋が大航海時代に沸く中で、日本の江戸幕府をはじめとして東アジア諸国のほとんどが鎖国政策を取るようになる。そして開国の後に近代社会の荒波を乗り越えた東アジア諸国は戦後、次々と自立していく今日の中東諸国を目撃することとなった。

関連タグ

※「中東」の項目も参照。

ユーラシア

ヨーロッパ 中央アジア 南アジア 北アフリカ

アジア アフリカ

ユーラシア大陸 アフリカ大陸

インド洋 ペルシャ湾 紅海 地中海 黒海

カスピ海 死海

コメント

コメントが未記入です

pixivに投稿されたイラスト

すべて見る

pixivに投稿された小説

すべて見る
  • 第壱回親日大会

    第壱回親日大会〜中東・その他のアジア編〜

    戦争賛美、自他国民への差別助長などの意図は一切ございません。 このシリーズでは、中東は一応アジア側にしています。1話目(出演地域)でキルギスがヨーロッパに入れられてた気がするけど、実際は中央アジアでした。(キルギスの方々申し訳ありません。) なのでキルギスは今回こちらに出させてもらいます。(本当に扱いが雑ですみません!) このシリーズには入ってませんが、オマーン🇴🇲も大日本帝国時代に一般国民がオマーン国王と結婚して親日に繫がってます。女性は若くして亡くなってしまいましたが、娘さんは国王とオマーンに渡り、王女になりました。(気になった方はネットなどで詳細を調べてみてください。) 追記 アゼルバイジャンはトルコの妹という設定に変えました。許してください🙇‍♀

このタグがついたpixivの作品閲覧データ

西アジア
1
編集履歴
西アジア
1
編集履歴