概要
コーカサス地方南部のカスピ海沿岸部に位置する地域。南部(イラン北西部)ではペルシア語名の「アーザルバーイジャーン」と呼ばれる。
日本では地域のおおむね北半分を占めるアゼルバイジャン共和国を指す事がほとんどである。
ここでは地域について解説。
略史
12世紀のセルジューク朝以降テュルク系民族が多数を占める地域の一つとなった。以降、ペルシア系王朝(中にはサファヴィー朝のようにテュルク系民族出身者が王位に就いていた王朝もあるが)の支配地域のひとつとして長らく推移する。
18世紀にロシア帝国が南進を進めた結果、1828年までにはアゼルバイジャン地方の北部がロシア領となる。その後ロシア領アゼルバイジャンはソ連時代を経てアゼルバイジャン共和国へと推移。一方南部は現在でもイランが領有している。