アゼルバイジャン
あぜるばいじゃん
アゼルバイジャン地方
アゼルバイジャン地方
コーカサス地方南部のカスピ海沿岸部に位置する地域。ペルシア語名の「アーザルバーイジャーン」と呼ばれる事もある(主に南部のイラン領アゼルバイジャン)。
12世紀のセルジューク朝以降テュルク系民族が多数を占める地域の一つとなった。以降、ペルシア系王朝(中にはサファヴィー朝のようにテュルク系民族出身者が王位に就いていた王朝もあるが)の支配地域のひとつとして長らく推移する。
18世紀にロシア帝国が南進を進めた結果、1828年までにはアゼルバイジャン地方の北部がロシア領となる。その後ロシア領アゼルバイジャンはソ連時代を経て後述のアゼルバイジャン共和国へと推移。一方のアゼルバイジャン地方南部は現在でもイランが領有している。
アゼルバイジャン共和国
アゼルバイジャン共和国
コーカサス地方に位置する国家。共和国。
ソ連崩壊により1991年に独立。
バクー油田などの豊富な天然資源がありWW2時にはドイツの戦略に影響を与えている。
ナゴルノ・カラバフを巡ってアルメニアと対立している。ソ連時代はアゼルバイジャンに属してた地域だったが、アルメニア人居住者が多かったため、ソ連崩壊直後から、その帰属を巡って両国が対立。ソ連崩壊時には国力が勝っていたアルメニアがアゼルバイジャンを打ち負かして、以降はその大部分を実効支配していた。しかし「奪回」を国是としたアゼルバイジャンは軍事力の充実に力を注ぐと同時にアルメニアと歴史的経緯から仲が悪いトルコ(第一次世界大戦においてトルコは在トルコ・アルメニア人を反体制派として大量に追放したため、それを恨むアルメニアとは非常に不仲)の支援やコーカサス地方の盟主を自負するロシアの不介入の黙認をとりつけると、2023年にドローン兵器も大量に交えた反撃に打って出た。後手に回ったアルメニア軍は撤退を余儀なくされ、アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフの大半を実効支配するに至っている。