概要
西暦1101年から1200年までの100年間。
中国
中国東北部の女真族の完顔阿骨打が1115年に金朝を立て、宋と共に1125年に契丹族の王朝である遼を滅ぼした。
その2年後の1127年、宋の前皇帝の徽宗と現皇帝の欽宗が金に囚われたことで宋は一時滅亡。この事件を「靖康の変」と呼ぶ。
難を逃れた欽宗の弟の高宗は南京に再び宋を立てた。これ以前の金に滅ぼされるまでを「北宋」、以後1279年にモンゴル帝国(元)に滅ぼされるまでを「南宋」と呼ぶ。
12世紀の中国は、金と南宋に二分された時代だった。
日本
1129年に白河法皇が崩御した後は孫の鳥羽法皇が権力を持っていたが、1156年に鳥羽法皇が崩御すると、同年に息子である崇徳上皇)と後白河天皇(後に出家して後白河法皇となる)が対立し、藤原摂関家・源氏・平氏を巻き込む保元の乱が発生。結果的に後白河天皇側の勝利に終わり、崇徳上皇は配流された。
その3年後の1159年には平治の乱が発生。平清盛率いる平氏が、源義朝率いる源氏を破ったことで、平氏が実権を握った。
1180年に以仁王が挙兵し再び戦乱となる中、翌1181年に清盛が死去。
清盛の死後、平氏は敗戦を重ね、1185年に壇ノ浦の戦いに敗れたことで平氏は滅亡となった。
その後、源頼朝は1189年に仲を違えた源義経ごと奥州藤原氏を滅亡させ、1192年に、征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉に幕府を開いた。
以後、19世紀に江戸幕府が崩壊するまでの約670年間、武家政権が展開されることとなる。