17世紀
じゅうななせいき
イギリス(当時はイングランドとスコットランドの同君連合)が海上覇権を獲得し、大英帝国が形作られていく時代である。前世紀に「太陽の沈まない帝国」と呼ばれたスペインは没落し、オランダの独立を認めざるを得なくなる。
欧州では三十年戦争をはじめフランス・スペイン戦争(西仏戦争)、八十年戦争、七年戦争、ネーデルラント継承戦争、ロシア・ポーランド戦争、大同盟戦争など大小の戦乱が打ち続いた。この世紀の間、欧州で戦争のなかった時期はわずか4年しかなかった(17世紀の危機)。社会の混乱と不安が高まり、民間では魔女狩りが猛威をふるった。これは世界規模の寒冷化(小氷期)が遠因であったとも言われている。
1600年にイギリスが、1602年にオランダがそれぞれ東インド会社を設立。アジア地域との貿易・植民地支配をめぐって争い、18世紀にかけて四次にわたる英蘭戦争を繰り返した。
絶対主義王政の全盛期であり、ブルボン朝フランス王国は「太陽王」ルイ14世が華々しい覇権主義を展開した。ハプスブルク朝オーストリアは三十年戦争の敗北により、全盛期のフランスとオスマン帝国に挟まれて苦戦を強いられたが、大トルコ戦争(1683年 - 1699年)で2度にわたりオスマン軍に帝都ウィーンを包囲されたもののこれを下し、大国への復興の足がかりを作る。
ステュアート朝時代のイングランド王国では議会が力を強め、清教徒革命で議会軍を率いたオリバー・クロムウェルが1649年に王を処刑し護国卿として独裁政治を敷く。護国卿体制は短期間で終わりイングランドは王政に復するが、議会は絶対王政を志向する王との溝を深めていき、それはやがて1688年の名誉革命を招いて、イングランドは議会を中心とする立憲君主制へと移行することになった。
日本では1603年に徳川家康が江戸幕府を開府。大坂の陣で豊臣家を亡ぼした後に武家諸法度や参勤交代などで大名の統制を強化、3代将軍徳川家光の代には幕府による支配が確立された。外国との交流を制限する、いわゆる「鎖国」体制が敷かれたのもこの頃である。
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十七世紀フランス。欧州に渡った日本人キリシタンを母に、ガスコーニュの貧乏貴族を父に持つマヤは憧れの近衛銃士になるために故郷からパリに出る。そこで三人の女銃士、元戦災孤児のサシャ、女ということを隠して国王の座についたルイ、敵国から嫁いできた王妃のアンヌに出会って友人となった。 マヤは近衛銃士として手柄を立てながら、仲間であるサシャに惹かれていく。しかし、サシャがルイの元恋人と知ってしまう。自棄になったマヤは王弟に身を任せ、妊娠してしまった。マヤが出産した子は国王夫妻の子とされ、王太子になった。 マヤは恋人になったサシャと穏やかに暮らしていたが、王弟の陰謀に巻き込まれる。彼は王太子の出生の秘密を明かし、王になろうと画策していた。マヤは仲間とともにそれを阻止するが、宰相に女は手柄を立てても官職に就けないと言われてしまう。マヤはサシャとともに近衛銃士を引退し、公の場から姿を消した。126,499文字pixiv小説作品