概要
正式名称はヨルダン・ハシミテ王国、面積8.9万平方km、人口1128万6千人(2022年)
首都はアンマン。国名の「ハシミテ」とはハーシム家のことを指す。英語表記はJordan。
国土の多くが砂漠地帯で、乾燥した気候で寒暖の差は激しい。
現国王はアブドッラー2世・イブン・アル・フセイン(通称アブドラ2世)。
アブドラ2世は稀にタクシー運転手などに変装して市井の人間に紛れ込み、お忍びで人々の暮らしを見て回っているというどこかの殿様や御隠居みたいなことをやっている。なおたまにバレるらしい。
ハーシム家
ハーシム家はムハンマドの子孫であり、ヒジャーズ王国(現在のサウジアラビア南西部、聖地メッカ周辺を領土とした)を本拠地とし、イラク王国の王も輩出したアラブ世界有数の名門である家柄。しかし、ヒジャーズはサウード家との争いに敗れて奪われ、イラクは革命のため多くの王族が殺害され残りは亡命、現在全ての王家成員がヨルダンに集る。
社会
民族的にはアラブ人が多く、宗教的にはスンニ派のムスリムが多いがキリスト教徒も在住し、女性もヒジャブを被らず公の場に出るなど中東のイスラム社会としてはやや緩めである。実は、現王妃のラニアも殆ど被ることが無く、逆に周辺国にも評判の美貌を活かしてファッションリーダーとして活躍することもある(ただし、浪費的な面で批判もある)。中東にしては内乱や紛争が少なく相対的に平穏な国である。
経済
産業は畜産や果実などを中心とした農業、衣料などの工業が盛ん。鉱業も盛んであるが、周辺が産油国ではあるがヨルダンでは石油はとれず(かつての同族系のヒジャーズ、イラクでは取れたのだが)、天然ガスやリン鉱石を産出する。輸出は衣料・繊維を中心に、医薬品や肥料など。石油および機械などを輸入している。周辺に紛争国が多い為に利用できなくなった貿易ルートが多く、主として貿易は南端の紅海に面したアカバの港に依存している。
食文化
アラブの伝統を多く引き継ぐ。国民食とも言われるマンサフは、遊牧民の祝祭や客人の歓待に用いられた料理である。ご飯の上にヨーグルトなどで煮込んだ羊肉を載せる。ヨーグルトの甘酸っぱさで羊肉のクセが打ち消されて美味しい料理となる。またザルブも遊牧民の伝統料理であって地中に穴を掘り、羊肉とトマトやジャガイモ、ズッキーニなどを素朴な蒸し焼きにしてつくられる。
歴史
起源
紀元前13世紀頃からはエドム人が住み着き、アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった。紀元前1世紀頃には、南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが、紀元1世紀から2世紀ローマ帝国に併合された。
イスラム化
7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、アラビア語とイスラム教が浸透してアラブ化・イスラム化が進んだ。ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅び、イスラム世界の中心がシリア地方から離れると、その辺境として都市文明も次第に衰えていった。
オスマンによる発展
19世紀に入ると、当時この地方を支配していたオスマン帝国は、ロシアから逃亡してきたチェルケス人をシリア地方の人口希薄地帯に住まわせるようになり、ヨルダンは活気づいていく。
しかし第一次世界大戦でオスマン帝国と交戦したイギリスは、オスマン帝国に対するアラブ反乱を支援。大戦に敗れたオスマン帝国は崩壊、トルコ共和国が現在あるアナトリア半島以外の領土を失った。
成立
第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年にヒジャーズ王国を設立したハーシム家のアブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立した。
独立
トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めた。1950年には、エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われる。中東戦争はイスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらした。加えて1990年代以降には民主化に伴い、王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム原理主義派が台頭して、国内の不安定要因となっている。
渡航
査証免除取極はないが日本のパスポートの場合、残存有効期間が6ヶ月以上で未使用の査証欄が2ページ以上あれば30日のアライバル・ビザが取得可能。
日本の外務省は全域で失業者の増大により犯罪件数が増加傾向。さらにパレスチナ情勢をめぐりデモや抗議が頻発しているため要注意。また、シリアやイラク国境は非常に危険なので近づかないようにとのこと。