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概要編集

1948年から1974年にかけて中東で起こった4度の戦争の総称。英語ではArab–Israeli Conflict(AIC)と言う。

主にイスラエルアラブ諸国(エジプトシリアヨルダンイラクレバノンサウジアラビアなど)、さらに双方の支援国によって起こっている。

この度々起こった中東での戦争によって、その地域で産出される石油が輸出できなくなり、世界中でオイルショックが起こり、各国の経済を減速させた。


背景編集

パレスチナユダヤ教キリスト教イスラム教の三者にとって聖地であり、現地では一応の共存状態は保たれていた。しかし第一次世界大戦イギリスユダヤ人アラブ人の双方から協力を得るために、パレスチナを双方の領地にすると矛盾した約束をし、さらに戦後はイギリス領とし、ユダヤ人入植を加速させ、双方の対立は増していった。


第一次中東戦争編集

第二次世界大戦後。ナチス・ドイツホロコーストで迫害を受けたユダヤ人難民は「約束の地」パレスチナへ次々に入植し、アラブ人との対立はさらに悪化。イギリスは問題を国連に託し、イギリスは統治を放棄。1947年にパレスチナ分割案が採択され、翌年にはイスラエルが独立。これに反発した周辺のアラブ諸国が連合を組んでイスラエルに侵攻した。アラブ側15万に対しイスラエルは3万弱と数ではアラブ側が圧倒していたが、アラブ側の連合は足並みが揃わず、さらにイスラエル側は欧州から入手した最新兵器を用いて攻撃し、イスラエルが優位になり、1949年に停戦合意された。


第二次中東戦争編集

1956年。スエズ戦争とも。エジプトで建設中のアスワン・ハイ・ダムに米英が協力を中断し、これに怒ったナセル大統領は報復としてスエズ運河の国有化を一方的に宣言。これに対して英仏がイスラエルを煽って戦争を仕掛けさせ、英仏も後で仲介役になるために参戦した。ソ連の支援を受けていたエジプトは敗れてシナイ半島のほとんどをイスラエルが制圧。しかし、イスラエル側によるこの攻撃に米ソをはじめ国際的に非難が沸き起こり、国連の停戦決議を受け、英仏はエジプトのスエズ運河国有化を受け入れた。


第三次中東戦争編集

1967年、ゴラン高原でのユダヤ入植にアラブ側が反発し、イスラエルはアラブ諸国の空軍基地に先制攻撃。6日で停戦したが、イスラエルは領土を4倍に拡大させた。ここで得たヨルダン川西岸区域がユダヤ人入植地となった。


第3次の延長戦でイスラエルとエジプトの間で、散発的な砲撃戦が行われる。これを消耗戦争という。


第四次中東戦争編集

1973年。ヨム・キプルの日を狙い、エジプトはシリアと組んでイスラエルに先制攻撃を仕掛け、前戦争での失地回復を図った。シナイ半島に攻め入り、スエズ運河東岸を占有。これにイスラエル側の反撃が始まり、シナイ半島を再占領。始まってから半月後にアメリカの仲介で停戦。

俗にこの戦争は「ヨム・キプル戦争」と呼ばれる。


その後編集

イスラエルとアラブの戦いとしての大規模な戦争は起こっていない。理由としてはエジプトがイスラエルとの外交方針を転換し、友好関係を結んだことでアラブ側の連携は崩れた。また、イランで1979年にイスラム原理主義を掲げるイスラム革命が起こり、反近代的方針にアラブ諸国や米ソが警戒し、1981年にはイラン・イラク戦争が起こった。これらのことから中東戦争は起こることは無くなった。人によっては1982年に起きたレバノン侵攻を第5次中東戦争と定義することもある。

和平交渉は何度もされたが、アラブとユダヤの対立による紛争は繰り返され、さらに湾岸戦争アフガニスタン戦争イラク戦争ISISなどの混乱や戦争が続いている。


関連人物編集

アラブ連合編集

⋯エジプト指導者。第二次中東戦争で活躍しアラブの英雄と呼ばれた。エジプト革命を成功させ、ネルー毛沢東周恩来と並び戦後を代表する指導者として注目される。第三次中東戦争で敗北し、指導力が低下。失意のうちに亡くなる。

⋯ナセルの盟友だがナセルが死ぬと政治を一新した。ベギンと握手した事はアラブ世界に衝撃を与えた。社会主義を排除する名目で、サダト時代に弾圧されていたイスラム原理主義を懐柔したが、エジプト親衛隊員に狙撃され死亡。後を継いだのはアラブの春で失脚したムバラク


イスラエル編集

⋯イスラエル11代首相。第三次中東戦争の参謀総長。オスロ合意でアラファトと握手しパレスチナと和解。テルアビブで和平反対派の青年に暗殺される。この暗殺でパレスチナ和平の道は絶たれる。

⋯7代首相。ソ連(現ベラルーシ)生。元テロリスト。家族はナチスに殺されている。サダトとノーベル平和賞を受けたが第一次中東戦争でパレスチナ人を虐殺している。


パレスチナ編集

⋯アラファト議長。PLO(パレスチナ解放機構)指導者。過激派組織ファタハを率いて、長らくイスラエルに対する強硬派だったが70年代後半から二国家共存を打出し妥協を図る。エルサレムでスンナ派イスラム教徒のフサイニー家に生まれたと言われている。愛想がよく、世界的に人気であった。94ノーベル平和賞を受賞するがイスラエル側でラビン暗殺が起きイスラエルとの関係は断絶された。晩年は民衆からの信用を無くし、04失意の中無くなる。電波少年で松本明子が面会した。


関連作品編集

  • 映画『キプールの記憶』
  • 映画『戦場記者』


関連タグ編集

戦争 冷戦 中東 アラブ イスラム教 イスラエル ユダヤユダヤ人ユダヤ教

パレスチナ エジプト

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