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概要

アラブから北アフリカにかけての中東各国は政情不安が相次ぎ、イスラム過激派の暗躍や2001年から続く対テロ戦争、各国の独裁政権も続いていた。


またリーマンショックから始まる世界的金融危機で世界経済は不調となって、物価高騰も影響し人々の困窮が悪化。その不満が携帯電話スマホを通じてtwitterFacebookなどSNSを介して抗議運動が人々に拡散した。


2010年チュニジアで路上販売していた男性が無許可として警察に商品を没収され、抗議として焼身自殺を図った。この事件を発端に失業者達のストライキデモ運動が広がり、治安部隊と衝突。長期独裁を続けたベンアリ政権運動への抗議運動となり、ついに政権を崩壊させ「ジャスミン革命」と呼ばれた。


翌年の2011年にはこの運動の影響がアラブ各地に飛び火し、ヨルダンイエメンでは反政府運動が内閣を総辞職に追い込み、リビアカダフィ政権、エジプトムバラク政権を崩壊させ、バーレーンではデモ隊と治安部隊との騒乱が発生。またサウジアラビアオマーンは政治改革がなされた。


アラブの冬

こうして中東に民主化運動がドミノ状態で広がり、アラブに平和な時代が訪れる。と思われた。

しかし、シリアではアサド政権が完全な内戦状態になり、この機に乗じてイスラム過激派・ISILが台頭してイラクやシリアで勢力を拡大させ、アメリカNATOサウジアラビアトルコや、それに対するイランロシア、イスラム原理主義なども各国に影響を与えようと介入し滅茶苦茶な状況となった。


また革命が成功した各国でも政情不安や政治混乱が相次ぎ、中東は平和どころか、さらなる混乱と混迷の時代が到来。事実上、アラブの春は失敗したという認識が広まっている。


2014年以降、混迷と政治の腐敗が続いているアラブの状況を「アラブの春」が過ぎ「アラブの冬」が到来したと表現されている。

民衆が希望を持って支持した革命の波は結果として内戦やテロリズムの再燃を促し、相次ぐ民族対立や経済の破綻、政治の腐敗を是正するために革命で否定されたはずの独裁者や強権政治を復活させてしまうことになった。


「アラブの春」が頓挫してしまった背景は複雑であるが、乱暴に言ってしまえばアラブが抱える社会問題の数々は革命が起きたところで根本的に解決されるほど甘い物では無かったのだと言える。そもアラブの地に独裁政治が誕生した背景には、第一に西欧が適当に引いた国境線の問題があり国民意識が希薄で、民族紛争・宗教対立・貧困問題・情勢不安、これら複雑な問題を強引にねじ伏せる事が出来る強権政治以外に統治する方法が見つかっていなかったという現状があった。


無論、人道を無視した独裁国家がのさばることに民衆が嫌悪感を抱くのは自然の成り行きであり、アラブの革命自体は避けようが無い事であったが、いざ独裁政治を終わらせてみると、独裁者達が押さえつけていたアラブ社会の不文律が一気に吹き出してきたことである。若者の失業率の増加、インフレの到来、シーア派とスンニ派の対立に見られる宗教紛争、イスラム原理主義の噴出、これら根の深い諸問題に対し革命後の各国政権は抜本的な打開策を見いだせなかった。


結局、革命の始まりの地であるチュニジアやエジプトは独裁政権時代と大差ない状況に戻ってしまい、シリア、リビア、イエメンは国内紛争が激化して無政府状態になってしまったりと、結果だけ見れば革命以前より状況が悪化してしまった国が大半を占めることになった。


ヨーロッパには膨大な数の難民が押し寄せ新たな社会不安とそれに伴う世論の右傾化を生み出しているほか、アジアでもヨーロッパの惨状を見て権威主義への回帰が強まっている。


2020年代現在においても状況は好転せず、いまだアラブの冬は続いている。


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中東 東欧革命

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