1969年~2011年のカダフィ政権⇒大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
この記事では「リビア国」(دولة ليبيا)について、建国前の歴史も踏まえながら記述する。
歴史
リビア国の建国以前
1912年にオスマン帝国が、イタリアとの戦争で敗北したことにより、トリポリ・キレナイカなどを中心とする地域をイタリアの植民地として割譲した範囲が、現在の国土とほぼ同じくらいの大きさであった。占領中より、元来古代名であった現国名のリビアが復活するが、イタリアからの圧政は苛烈なものであった。イタリアが第二次世界大戦に敗北したのを機に1951年12月24日、リビア連合王国としてイタリアからの独立を果たした。第二次世界大戦後のアフリカでは最初の独立国(ブラックアフリカ圏では1957年のガーナ)。1969年9月1日にムアンマル・アル=カダフィ(カダフィ大佐)がクーデターでリビア王国を崩壊させ、自らによる事実上の独裁国家"リビア・アラブ共和国"を建国。1977年には"大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国"と改名し、自らが出版した「緑の書」に掲げられるジャマーヒリーヤという政治体制によって国家運営をする。
リビア内戦から建国後
2011年リビア内戦が勃発し2月17日革命(ثورة 17 فبراير)により"リビア国"が建国される。内戦は以後も続くが、8月30日にカダフィ政権が崩壊。10月20日にはシルト陥落によってカダフィが死亡し、内戦が終結、リビア国側の勝利に終わる。
しかし散発的なテロ攻撃、民兵間での武力衝突、国内全域での殺人、誘拐といった凶悪犯罪が多数発生していることもあり、外務省による危険レベルは全土で最悪の「退避勧告(レベル4)」となっている。
国名は"リビア国"とされ、緑一色の溢れるインパクトで知られた国旗もカダフィ政権以前のものに戻されている。
国旗
これが独立当初の「リビア王国」国旗。カダフィ政権崩壊後の「リビア国」では、この国旗に戻った。
そしてこちらがカダフィ政権時代「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」国旗である。当初は、エジプトやシリアと非常に似たデザインをしており、この2カ国とアラブ共和国連邦を組んでからは国旗を共用するようになった。しかし、1979年にエジプトのサダト大統領が、敵国・イスラエルと平和条約を結んだことを知り、激怒したカダフィ大佐が「一晩で国旗を変えろ」と無茶を言ったためにイスラム世界では最高の色にして「緑の書」も象徴する緑一色になってしまった。カダフィ大佐はこのデザインを偉く気に入り、正式に採用されたのである。