概要
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(アラビア語: الجماهيرية العربية الليبية الشعبية الإشتراكية العظمى)とは ジャマーヒリーヤ体制の国家 である。
1969年9月1日にカダフィ大佐がクーデターでリビア王国を崩壊に追い込み、建国した「リビア・アラブ共和国」から1977年3月8日に改名。
カダフィ大佐自身の著書「緑の書」にあるジャマーヒリーヤという独自の政治思想に基づく体制で統治された。イスラム主義や社会主義の影響を受けた思想で、直接民主制であるとされた。
国家元首は存在せず、カダフィ自身は公職についていないが、実際にはカダフィの独裁と言える体制であった。
外交政策では西欧諸国やアメリカ合衆国と敵対し、経済制裁や武力制裁が発生した。
2011年リビア内戦、2月17日革命(ثورة 17 فبراير)によりリビア国が建国され、8月30日に国家崩壊。10月20日にはシルトが陥落し、カダフィ大佐が死亡する。
当時は世界一長い国名としても有名だった。
ちなみに当時の2番目、現在の1番目はグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国(イギリス)である。
また、国旗も緑一色で有名であった。
この国旗は国名変更の1977年に制定されたもので、これ以前はエジプトと共通の国旗(アラブ共和国連邦・赤・白・黒の三色)だったが、エジプトがリビアの敵対国であったイスラエルと国交樹立したため、国家指導者であったカダフィは怒り、即刻エジプトとの断交を決断かつ国旗を変えるため部下に代わりの国旗をデザインするよう命じた。あまりにも時間が足りなかったため、苦肉の策でイスラム教の色をあらわす緑一色という簡素なデザインでカダフィに見せたところ、これを気に入ったという話が残っている。