概要
おおむね現在の中華人民共和国が実効支配している地域を指す。人口の多くが東部に集中している。
呼称
語源
支那という言葉の語源は諸説あるが、一説には「秦」が現在のインドで転訛して「シナ」「チーナ」になったといわれる。「支那」の表記は、仏教が隋に伝来した際、これを漢字で音写したものである。英語の「China」も、「シナ」「チーナ」を語源としている。
近世から20世紀初期の使用例
中華民国成立以前の大日本帝国公文書において、いくつか支那の使用例は存在する。佐藤三郎は、この時期の中国人がアヘン戦争の敗北や改革の遅れなどにより「惰弱・因循姑息・驕慢不遜・無能・不潔」といった印象を持たれており、同時期に普及した「支那」の語がそれに結びつけられるようになったと指摘し、実藤恵秀も日清戦争後には、日本人の「支那」という言葉には軽蔑が交じっていたと指摘している。
中華民国成立後
近代主権国家への性向をもつ政治運動で結集核となったのは、清朝というよりも「中国」であって、この時期に次第に国名として定着しつつあった。辛亥革命を経て成立した中華民国の国号について、日本政府は伊集院彦吉駐清公使の進言による「支那」を採用した。
馬廷亮駐日代理公使からは「中華民国」を使うようにという抗議があったが、牧野伸顕外相はすでに官報に告示済であり、訂正しがたいと回答している。ただし、両国間で往復する公文書に際しては、日本文では「支那共和国」、漢文では「中華民国」が用いられることとされた。
中国国民党の北伐が完了し、国権回復運動が盛んになると、日本が用いる「支那共和国」という呼称に対する反発は再び強まった。1930年(昭和5年)5月27日、中華民国は外交部に対し、「支那」と表記された公文書を受け取らないように訓令を発した。中華民国中央政治会議による決議を受けて、中華民国外交部が、英語による国号表記を「Republic of China (ROC)」とする一方で、中文表記を「大中華民国」であるとし、日本政府に対し「支那の呼称を使わないよう」に申し入れてきた。
盧溝橋事変から戦後の状況
1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事変を端緒とする日中戦争について、大日本帝国政府は「今回の事変を支那事変と呼称する」と決定した。
当時の日本では「支那」ないし「支那人」の呼称が一般的であったが、支那という言葉は、日清戦争以降、「日支親善」などと両国の頭文字を使って用いることもあった。中国政府や中国人を非難するときもたびたびセットで使われた、このような表現としては「暴支膺懲」があった。戦時中の中国人に対する蔑称としては「チナ」、「支那豚」などがあった。その原因は「支那」が当時、一般的な呼称であったためである。
この点につき、加藤徹は「日本国政府が『支那共和国』という独自の呼称にこだわったのは(中略)1930年までだった。以後は、公文書のなかで『中華民国』という国名を使うようになった。既に第二次大戦中に、日本政府は、南京の中華民国政府(汪兆銘政権)の要請を受け、今後、段階的に『支那』という呼称をやめてゆくことを約束した。
第二次世界大戦終結後、連合国軍の日本占領下において、在日連合国軍司令部(GHQ)の政治顧問団は「支那」という呼称に関する調査を行い、「支那」という呼称が侮蔑的な意味を含み、中国に対する差別用語として広く認識され、中国に対する憎悪の解釈に使用されていることを確認した。1946年、日本政府は「支那」という呼称を日本国内の公文書に使用してはならないことを命じた。中国に対する差別用語として広く認識され、中国憎悪の解釈に使用されたため、日本政府に改善を指示した。
1946年、日本政府は「支那」という名称を日本国内の公文書で使用してはならないことを布告した。日本系カナダ人の歴史家である若林正(Bob Tadashi Wakabayashi)は、この「非常に不快な名称」が日本語から消えたと宣言した。
現代の日本の状況
戦後、「日支事変」ないし「支那」といった表現が使われる場合も少なくなかったが、21世紀現在の日本において、「支那」・「支那人」が使用される頻度は少なくなり、公的な場では「東シナ海(東支那海)」・「インドシナ半島(印度支那半島)」といった地名に使われる程度である。
インドネシアにおいて
1965年、インドネシアのスハルト政権が、中国政府がインドネシアでクーデターを起こそうとしていると非難したことから、中国・インドネシア関係は悪化し始めた。
1966年8月、インドネシア軍は第2回セミナーを開催し、当初の「Tionghoa」(中華)を「Cina」(支那)に置き換え、中華人民共和国を「Republik Babi Cina」(支那豚民共和国)と呼ぶことを決定した。 番組が導入された後、インドネシアでは多くの反華人的な新聞が追随し始めたが、地元の華人や一部のインドネシア先住民は番組に反対し、一部のインドネシアの新聞は中国や華人への言及を変えることを拒否した。
1967年6月28日、スハルト内閣の大統領府は、官民の機関や新聞に対し、「Tionghoa」という言葉を今後使用せず、すべて「Cina」という言葉を使用するよう通達し、これが中国・インドネシア関係のさらなる悪化につながり、1967年10月31日、中国とインドネシアの国交断絶に至った。
1998年インドネシア華人排斥事件でも、同じように暴徒が「Cina Babi」(支那豚)と叫びながら中国人経営の商店や市場で略奪を始め、暴動で1000以上の華人が死亡、そのほとんどが商業地区やスーパーで焼死し、中にはその場で殺されたり銃殺された者もいた。
2014年3月12日のことだった、インドネシア当局は約47年間使用してきた「Cina」(支那)という公式用語を廃止し、「Tionghoa」(中華)という用語に戻すことを正式に発表した。2014年3月26日、インドネシア当局は華人を指す言葉として「Tionghoa」(中華)の再導入を開始し、インドネシアの中華人民共和国に対する呼称を「Republik Rakyat Tionghoa」に戻した。
台湾・香港において
近年では台湾や香港において、香港本土運動を支持する若年層を中心に中国大陸やその住民に対する差別語として使用されている。使われる場所は主にPTTやLIHKGなどインターネット掲示板が中心であるが、香港の本土派政党青年新政が立法会の議場で「支那」と発言したり、2019年以降の香港の抗議デモで中連弁の外壁に「支連弁」、「fk支那」(fuck chinks)と落書きをされるなど、共産中国からの分離などを主張するための政治行為として使用されることもある。
ただし台湾においては、支那の単語はもともと中立的であってChinaの中国語音訳に過ぎないため、名誉毀損には該当しないという判決が出たこともあり、必ずしも差別語としてのみ認知されているわけではない。しかし、台湾のインターネットが盛んになるにつれ、一部の台湾人は中華人民共和国と中国大陸の人(中華人民共和国の国民)を指す言葉として「支那」や「支那人」を使うようになり、中国大陸の専門用語を「支語」と呼ぶようになった。 あるいは、1949年に中華民国政府とともに台湾に渡った外省人とその子孫を「支那豚」・「支那賤畜」と呼び、両岸統一の風潮を支持する人々を「台湾支那人」と呼ぶ。
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