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概要編集

アフガニスタン戦争(アフガニスタンせんそう、英語:War in Afghanistan)は、アフガニスタンを舞台にして発生した様々な戦争・紛争の総称。アフガニスタンは西アジア中東中央アジアなどの地域の中間域に位置するイスラム共和国で、古代から文明の交流と衝突の地であった。中でも近代以降は欧米諸国の思惑が絡んだ様々な戦争・内戦が発生し、現在でも政情不安が続いている。


戦争編集

1838年10月編集

1838年6月にヴィクトリア女王の戴冠式が執行され、この4か月後に戦争が発生した。その頃ロシア帝国は南下政策の一環で、インド洋に向けて勢力の拡大を図っていた。インド植民地にしていたイギリスはロシアに対抗するべくアフガンに進駐を要求したが、アフガンはこれを拒否した。対するイギリスは宣戦布告し、イギリス東インド会社の軍が侵攻した。当初はイギリスが優勢だったが、各地で抵抗運動が強まってイギリス軍は撤退し、アフガンの勝利に終わった。


1878年11月編集

1878年11月にイギリスはロシアの影響力を恐れ、再びアフガンに侵攻したものの苦戦を強いられた。1879年10月にガンダマック条約が締結され、これでアフガンはイギリスの保護国となった。


1919年5月編集

1914年7月に発生した第一次世界大戦でイギリスが疲弊したのを好機と見て、1919年2月にアフガン王族が国王を暗殺してアフガンの完全な独立を図った。イギリスは空軍を動員したものの双方が膠着し、1919年8月に休戦協定が締結されて休戦となった。


紛争編集

1979年12月編集

1978年4月にアフガンでは共産主義政党の人民民主党が、革命によって政権を掌握して東側陣営に属する国となった。しかし人民民主党は長年パルチャム派・ハルク派の内部対立が激しく、政権を獲得した後もこれは変わらなかった。1979年9月にアミンが指導者となったが、その間に革命政権の急進的な近代化政策に、反政府勢力のムジャヒディーンが各地で武装蜂起した。


1979年12月にソ連ブレジネフの決定で、11万5千人のソビエト連邦軍をアフガンに派遣し、同月にアミンを殺害してパルチャム派のカルマルを傀儡とした。この事態にアメリカは表向きは介入しなかったが、中央情報局を通じてムジャヒディーンに武器を供与して抵抗運動を支援した。中ソ対立の状況にあった中国もハザラ人の毛派ゲリラ組織を支援した一方で、イスラム諸国からも多くの義勇軍が参戦し、山岳地帯でのゲリラ戦法にソビエト連邦軍は苦戦を強いられた。


1980年7月に開催されたモスクワオリンピックでは、ソ連・アフガン戦争を理由としてアメリカを筆頭にボイコットが続出し、日本も巻き添えを喰らう事になった。1985年3月に指導者となったゴルバチョフの判断で、1988年5月にアフガンからの撤退を開始して1989年2月に完了させた。ソビエト連邦軍は敗北したが、一方のアフガンは全域が荒廃して復興に長い年月を要し、アメリカとソ連が遺した大量の武器と兵器は各地の武装勢力に力を与えてしまった。


1989年2月編集

1989年2月にソビエト連邦軍が撤退したが、人民民主党政権は存続していた。しかし各地の抵抗組織は武装勢力として残存し、内戦状態が継続されていた。1991年12月にソ連が崩壊して政府の後ろ盾はいなくなり、人民民主党員のドスタム将軍の造反で政権は崩壊した。更に続く内戦を経てオマル師が率いるタリバンが勢力を拡大し、ビンラディンが率いるテロ組織アルカイダを支援した後、1996年9月にタリバンが「アフガニスタン・イスラム首長国」を宣言した。


タリバンの恐怖政治が続いてアルカイダを支援し、バーミヤンの大仏を破壊するなどやりたい放題だったが、タリバンにマスードが率いる北部同盟が抵抗を続けていた。人民民主党の残党をほぼ吸収したドスタム将軍派は、マザーリシャリーフで世俗的な政治運営を行っていたが、組織の内紛でタリバンの占領を許して北部同盟に加わった。


2001年10月編集

2001年9月にアメリカで同時多発テロが発生し、アメリカはビンラディンが率いるアルカイダの犯行と断定した。更にアルカイダを匿うタリバンに引き渡しの要求を拒否され、アメリカはイギリスを初めとする有志連合を結成してアフガンを攻撃した。これによってタリバン政権は一時的に崩壊したが、各地でタリバンの残党によって政情不安は続いている。


2011年5月にアメリカはビンラディンの殺害に成功したが、アルカイダの残党は今も活動している。2010年代後半には相次ぐ政治汚職により、支持率の低下していた新政府に対する不満からタリバンが再び台頭した。2020年2月に和平交渉の結果としてアメリカとタリバンは休戦協定を締結し、在留アメリカ軍の完全な撤退が決定したが、撤退が完了する直前の2021年8月に首都のカブール(カーブル)が陥落し、再びタリバンが政権を掌握する事となった。


意義編集

イギリスとロシア・アメリカとソ連・アメリカでのテロなど、文明の衝突の舞台に度々晒されたアフガニスタンは、時代の裏側で影響を及ぼす舞台となった。特に20世後半にアメリカはソ連に対する戦略としてイスラム戦士を育成したが、その彼らがアメリカに敵対する勢力となってアメリカに牙を剥き、2021年8月まで続く「対テロ戦争」の始まりとなった。


関連タグ編集

アフガニスタン 戦争 紛争 イギリス ロシア帝国ソ連 アメリカ

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