概要
西暦3世紀にアルダシール1世により、ペルシア(現イラン)地方に建国されたペルシア人国家のことである。
おおよそアナトリア東部、アルメニアからアムダリア川西岸、アフガニスタンとトルクメニスタン、果てにウズベキスタン周辺まで及んだ。更に最大版図は現在のイランとイラクのすべてを包含し、地中海東岸(エジプトを含む)からパキスタンまで、そしてアラビア南部の一部からコーカサスと中央アジアまで広がっていた。
ササン朝のササンという名称はこの家祖であるサーサーン(アルダシール1世の祖父とされる人物)に由来する。
歴代君主
- アルダシール1世 (224年-241年)
- シャープール1世 (241年-272年)
- ホルミズド1世 (272年-273年)
- バハラーム1世 (273年-276年)
- バハラーム2世 (276年-293年)
- バハラーム3世 (293年)
- ナルセ1世 (293年-302年)
- ホルミズド2世 (302年-309年)
- アードゥルナルセ (309年)
- シャープール2世 (309年-379年)
- アルダシール2世 (379年-383年)
- シャープール3世 (383年-388年)
- バハラーム4世 (388年-399年)
- ヤズデギルド1世 (399年-420年)
- シャープール4世 (420年)
- ホスロー (420年)
- バハラーム5世 (420年-438年)
- ヤズデギルド2世 (438年-457年)
- ホルミズド3世 (457年-459年)
- ペーローズ1世 (459年-484年)
- バラーシュ (484年-488年)
- カワード1世 (488年-497年、499年-531年)
- ジャーマースプ (497年-499年)
- ホスロー1世 (531年-579年)
- ホルミズド4世 (579年-590年)
- バハラーム6世(バハラーム・チョービン、590年-591年)
- ホスロー2世 (590年-628年)
- ヴィスタム (591年-595年)
- カワード2世 (628年)
- アルダシール3世 (628年-630年)
- シャフルバラーズ (630年)
- ホスロー3世(630年)
- ボーラーンドゥフト (630年-631年、女帝)
- ホルミズド5世(630年-631年)
- ペーローズ2世
- ホスロー4世
- アーザルミードゥフト (631年-632年、女帝)
- ホスロー5世 (632年?-632年?)
- ホルミズド6世 (632年?-633年?)
- ヤズデギルド3世 (632年-651年)
- ペーローズ3世 (唐に亡命)
ササン朝ペルシア帝国年表
208年:バーバクがパールス地方を統一。ササン朝の基礎を起こす。
226年:アルダシール1世がパルティア(アルサケス朝)を滅ぼし、イラン・イラクを統一。
240年頃:シャープール1世、クシャーナに遠征し、ガンダーラを奪う。
260年:シャープール1世、エデッサの戦いでローマ軍と戦い、ウァレリアヌスを捕える。
350年頃:シャープール2世、クシャーナを破り、再度征服。
363年:シャープール2世、ユリアヌスを敗死させる。
409年:キリスト教寛容令。
425年:エフタルの侵入。
428年:アルメニア王国を廃絶し、ササン朝の知事を置く。
540年:ホスロー1世、アンティオキアを占領。
567年:ホスロー1世、エフタルを滅ぼす。
575年:ホスロー1世、イエメンを占領。
616年:ホスロー2世、東ローマ領のシリア、エジプトを占領。
627年:ニネヴェの戦いで東ローマ・ヘラクレイオス朝のヘラクレイオスに敗れ、クテシフォン近郊への侵攻を許す。
628年:ホスロー2世暗殺、息子のカワード2世はヘラクレイオスと和睦、占領地を奪回される。
637年:カーディシーヤの戦いでイスラム軍に敗れ、クテシフォンを占領される。
642年:ハマダーン近くのニハーヴァンドの戦いで敗北。
651年:ヤズデギルド3世が逃亡先で暗殺され、ササン朝滅亡。