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概要編集

西暦3世紀にアルダシール1世により、ペルシア(現イラン)地方に建国されたペルシア人国家のことである。

おおよそアナトリア東部、アルメニアからアムダリア川西岸、アフガニスタントルクメニスタン、果てにウズベキスタン周辺まで及んだ。更に最大版図は現在のイランとイラクのすべてを包含し、地中海東岸(エジプトを含む)からパキスタンまで、そしてアラビア南部の一部からコーカサス中央アジアまで広がっていた。


ササン朝のササンという名称はこの家祖であるサーサーン(アルダシール1世の祖父とされる人物)に由来する。


歴代君主編集



ササン朝ペルシア帝国年表編集

208年:バーバクがパールス地方を統一。ササン朝の基礎を起こす。

226年:アルダシール1世がパルティア(アルサケス朝)を滅ぼし、イランイラクを統一。

240年頃:シャープール1世クシャーナに遠征し、ガンダーラを奪う。

260年:シャープール1世、エデッサの戦いでローマ軍と戦い、ウァレリアヌスを捕える。

350年頃:シャープール2世、クシャーナを破り、再度征服。

363年:シャープール2世、ユリアヌスを敗死させる。

409年:キリスト教寛容令。

425年:エフタルの侵入。

428年:アルメニア王国を廃絶し、ササン朝の知事を置く。

484年:ペーローズ1世エフタルとの戦いで戦死。

540年:ホスロー1世、アンティオキアを占領。

567年:ホスロー1世、エフタルを滅ぼす。

575年:ホスロー1世、イエメンを占領。

616年:ホスロー2世、東ローマ領のシリア、エジプトを占領。

627年:ニネヴェの戦いで東ローマ・ヘラクレイオス朝のヘラクレイオスに敗れ、クテシフォン近郊への侵攻を許す。

628年:ホスロー2世暗殺、息子のカワード2世はヘラクレイオスと和睦、占領地を奪回される。

637年:カーディシーヤの戦いイスラム軍に敗れ、クテシフォンを占領される。

642年:ハマダーン近くのニハーヴァンドの戦いで敗北。

651年:ヤズデギルド3世が逃亡先で暗殺され、ササン朝滅亡。


関連タグ編集

ペルシア イラン  アルダシール1世 帝国 中東 東洋史


外部リンク編集

ササン朝(Wikipedia)

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