ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

イラク政治家イスラム教スンナ派アラブ人

フルネームをイラク方言アラビア語の発音に可能な限り忠実にカナ文字で表記しようとすると、サッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティーとなる。日本では「サダム・フセイン」と書かれることも多い。


このうちアッ=ティクリーティーは「ティクリート出身の」を意味し、フセイン(あるいはフサイン)は父の名前、アブドゥル=マジードは祖父の名である。アラブ人には姓の概念が無く、父親や祖父の名を乗せて名乗る習慣がある(これは「父称」と呼ばれる)。彼個人の名前は「サッダーム」であり、「直進する者」を意味する。日本のテレビ番組では「困難に立ち向かう者」と紹介されたこともある。


全てを日本語での意味に訳するなら、「ティクリート出身、アブドゥル=マジードの孫、フセインの子サッダーム」となる。


呼称編集

日本や欧米では、父の名である「フセイン」を姓のように扱い、サッダームは表記せず、「フセイン大統領」と呼ぶことも多い。ただ、イラクにおいても、「父称」を姓のように扱うことはあり、「フセイン大統領」と書く新聞記事もある。このように、日本の「フセイン」だけの表記は、イラク本国においても間違ったものというわけではない。ただ、「フセイン」という名はイラク含めアラブ世界では非常に一般的な名前なので、厳密に彼を指す場合は「サダム・フセイン」と言った方が混乱は出ない。


経歴編集

幼少期編集

1937年、イラク中部ティクリート近郊の農家に生まれる。父フセインは、サッダームが生まれる前に亡くなり、母は再婚している。幼いときから叔父ハイラッラー・タルファーフと親しく、サッダームの妻もハイラッラーの娘(つまりいとこ)である。サダムの「反イラン」「アラブ民族至上主義」のような政治思想は、叔父から強い影響を受けたものと考えられている。学校の成績は良かったが、一方で素行が非常に荒く、「人を脅しつけた」「侮辱を受けたので報復した」という逸話が大量にある。


政界へ編集

ストリートギャングを経て政治活動に参画、バアス党員として政敵を自ら殺すなど荒っぽいやり方でのし上がって行く。当時のカーシム首相を暗殺した実行犯ともされる。この暗殺は失敗したため、一時期はシリアエジプトに亡命している。その後、カーシムの政権は崩壊したためイラクに舞い戻り、1979年7月17日に大統領となった。


大統領時代編集

1988年、アメリカ合衆国ソ連の支援を受けてイラン・イラク戦争を起こし、中東の軍事大国にのし上がる。当時の軍事力は世界4位とも5位ともされた。

戦争そのものは辛くも勝利した形となったが、1988年までの長きにわたり続いた戦争は深刻な経済危機をもたらした。また、イラクは石油の輸出が経済の中心であったが、当時は産油国が大量の原油を輸出しており、原油価格が安くなっていた。このため、特に石油を多く輸出していたクウェートによる石油増産を阻止するためクウェートに侵攻。この結果、アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラク領内に攻め込む湾岸戦争を引き起こし大敗した。戦後、国際社会からの経済制裁を受け、大量破壊兵器廃棄を受け入れざるを得なくなった。


イラク戦争編集

2003年、アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュは、9.11テロの首謀者であるアルカイダの支援および大量破壊兵器を廃棄せず持ち続けているとしてイラクに宣戦布告、アメリカ軍を侵攻させた(イラク戦争)。首都バクダッドの陥落に伴いフセインは逃亡したものの、隠れ家に潜んでいる所をアメリカ軍に発見され捕らえられた。


イラク戦争後編集

戦後、アメリカが主張していた「アルカイダ支援・大量破壊兵器所持」の証拠は見つからず、フセイン自自身も裁判で戦勝国の茶番であることを堂々と訴え続けたが、開戦から3年後の2006年12月30日に大量虐殺などの罪で絞首刑となった。

最期の言葉は群衆に対して「この雑魚が!」と言ったとも、自身が抹殺したイスラム教シーア派指導者の孫であるサドル師の名前を嘲るように叫んだとも伝えられている。

処刑の瞬間は全世界で中継され、物議を醸した。


ちなみに獄中では意外にもアメリカの菓子を楽しんでおり、フセインを尋問したFBI捜査官は、「魅力的でカリスマがあってユーモア豊かな人物だった」と好意的な評価もしている。


家族編集

長男ウダイ、次男クサイ、娘婿フセイン・カメルなどの名が知られている。

特にウダイは典型的なドラ息子であり、父サダムの権力を傘にやりたい放題やっていた。ウダイの影武者を務めたラティフ・ヤヒアを元にした映画『デビルズ・ダブル』が詳しい。


映像作品との関わり編集

その強烈な個性から、アメリカのコメディ映画ではよくパロディの対象となっており、ホット・ショット2ではラスボスとしてチャーリー・シーンとアホ臭い対決を繰り広げたり、サウスパークでは顔写真は本人だが、胴体はサウスパーク世界のカナダ人のもので、甲高い声で喋る時もカナダ人と同じように口をパカパカして喋る邪悪なゲイして登場している(声優のクレジットは“HIMSELF”)。


湾岸戦争による放送休止で、当時制作状況が壊滅状態だったふしぎの海のナディアを間接的に救った恩人でもあったりする。ナディアの作画崩壊状態が続いていたら責任を取って庵野秀明が干されエヴァもシンゴジも無かった・・・かもしれない。


関連項目編集

ニコラエ・チャウシェスク・・・公開処刑されたルーマニア大統領

関連記事

親記事

イラク いらく

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 9713

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました