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イラクの政治家。イスラム教スンナ派のアラブ人。

フルネームはサッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティー


このうちアッ=ティクリーティーは「ティクリート出身の」を意味し、フセイン・アブドゥル=マジードは父の名である。アラブ人には姓の概念が無く、父親や祖父の名を乗せて名乗る習慣がある(これは「父称」と呼ばれる)。彼個人の名前は「サッダーム」であり、「直進する者」を意味する。日本のテレビ番組では「困難に立ち向かう者」と紹介されたこともある。


概要

1937年、イラク中部ティクリート近郊の農家に生まれストリートギャングを経て政治活動に参画、バアス党員となりのし上がって行き、1979年7月17日に大統領となった。


大統領時代

1988年、アメリカ合衆国ソ連の支援を受けてイラン・イラク戦争を起こし、中東の軍事大国にのし上がる。戦争そのものは辛くも勝利した形となったが、1988年までの長きにわたり続いた戦争は深刻な経済危機をもたらした。クウェートによる石油増産をやめさせるためクウェートに侵攻・併合。アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラク領内に攻め込む湾岸戦争を引き起こし大敗した。戦後、国際社会からの経済制裁を受け、大量破壊兵器廃棄を受け入れざるを得なくなった。


2003年、アメリカ大統領のジョージ・W・ブッシュは、9.11テロの首謀者であるアルカイダの支援および大量破壊兵器を廃棄せず持ち続けているとしてイラクに宣戦布告、アメリカ軍を侵攻させた(イラク戦争)。首都バクダッドの陥落に伴いフセインは逃亡したものの、隠れ家に潜んでいる所をアメリカ軍に発見され捕らえられた。


イラク戦争後

戦後、アメリカが主張していた「アルカイダ支援・大量破壊兵器所持」の証拠は見つからず、フセイン自自身も裁判で戦勝国の茶番であることを堂々と訴え続けたが、開戦から3年後の2006年12月30日に大量虐殺などの罪で絞首刑となった。

最期の言葉は群衆に対して「この雑魚が!」と言ったとも、自身が抹殺したイスラム教シーア派指導者の孫であるサドル師の名前を嘲るように叫んだとも伝えられている。

処刑の瞬間は全世界で中継され、物議を醸した。


ちなみに獄中では意外にもアメリカの菓子を楽しんでおり、フセインを尋問したFBI捜査官は、「魅力的でカリスマがあってユーモア豊かな人物だった」と好意的な評価もしている。


家族

長男ウダイ、次男クサイ、娘婿フセイン・カメルなどの名が知られている。

特にウダイは典型的なドラ息子であり、父サダムの権力を傘にやりたい放題やっていた。ウダイの影武者を務めたラティフ・ヤヒアを元にした映画『デビルズ・ダブル』が詳しい。


映像作品との関わり

その強烈な個性から、アメリカのコメディ映画ではよくパロディの対象となっており、ホット・ショット2ではラスボスとしてチャーリー・シーンとアホ臭い対決を繰り広げたり、サウスパークでは顔写真は本人だが、胴体はサウスパーク世界のカナダ人のもので、甲高い声で喋る時もカナダ人と同じように口をパカパカして喋る邪悪なゲイして登場している(声優のクレジットは“HIMSELF”)。


湾岸戦争による放送休止で、当時制作状況が壊滅状態だったふしぎの海のナディアを救った恩人でもあったりする。ナディアの作画崩壊状態が続いていたら責任を取って庵野秀明が干されエヴァもシンゴジも無かった……かもしれない。

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