概要
所属国 | アメリカ合衆国 |
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出生日(2024年9月時点) | 1946年7月6日(78歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 コネチカット州ニューヘイブン |
所属政党 | 共和党 |
出身校 | イェール大学・ハーバード大学大学院 |
宗教 | |
配偶者(2024年9月時点) | ローラ・ウェルチ |
子女 | 2人(二卵性双生児の双子) |
その他 | 空軍の軍人として勤務(1968年5月 - 1974年11月) |
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(英語:George Walker Bush、1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。第43代アメリカ合衆国大統領。2代前の大統領だったジョージ・H・W・ブッシュを父に持ち、それと区別する為に「子ブッシュ」とも呼ばれる。東西冷戦が終結した後にアメリカが世界唯一の超大国となった事を背景に、自身の政権では世界の自由と民主主義の為なら、アメリカの損益を問わず武力行使を辞さない思想である新保守主義が台頭した。
経歴
初期
1946年7月6日にコネチカット州ニューヘイブンにて、ジョージ・H・W・ブッシュとバーバラ・ピアースの長男(第1子)として誕生した。1968年5月に空軍の軍人になったのと同月にイェール大学を卒業し、1989年4月にテキサス・レンジャーズの共同オーナーになった。1995年1月にテキサス州知事に就任し、不法行為改革法案の支持・教育資金の増加・学校のより高い基準の設定・刑事司法制度の改革を実現させ、テキサス州をアメリカで有数の再生可能エネルギー先端州にした。
2000年アメリカ合衆国大統領選挙
2000年アメリカ合衆国大統領選挙では、副大統領候補にディック・チェイニー元国防長官を選択した。結果を巡る法廷闘争であるブッシュ対ゴア事件が展開されたが、民主党のアル・ゴア副大統領とジョー・リーバーマン連邦上院議員のペアを破って当選した。こうしてベンジャミン・ハリソン以来112年ぶりに、一般投票で敗北して選挙人投票で勝利した候補という状況で勝利した。
大統領
1期目
2001年1月に大統領に就任し、在任していた同年9月に同時多発テロが発生した。対テロ戦争を掲げて同年10月に首謀者のウサマ・ビンラディンを匿うアフガニスタンに侵攻し、そこを支配していたタリバン政権を打倒した。2003年3月にイラクが大量破壊兵器を密かに保有しているとしてイラク戦争を開戦し、そこのサダム・フセイン元大統領を失脚に追いやってアメリカが主導する政権を樹立したが、肝心の大量破壊兵器が存在しなかったので後に誤りを認めた。
2004年アメリカ合衆国大統領選挙
2004年アメリカ合衆国大統領選挙では再選を目指して出馬し、副大統領候補をチェイニー副大統領にした。本選挙では民主党のジョン・フォーブズ・ケリー連邦上院議員とジョン・エドワーズ連邦上院議員のペアと一戦を交え、286人の選挙人を獲得して再選した。この選挙では都市部のリベラル層がブッシュの支持から離反し、同時多発テロの後・イラク戦争が始まった時の党派を超えた高い支持率は維持できず、終盤は対立候補と支持率が拮抗していると度々報道された。
2期目
2005年1月に2期目の大統領に就任し、同年8月にハリケーン・カトリーナによる大規模な災害が発生したが、後手に回った対応が非難された。1期目で発生したアフガニスタンの紛争とイラク戦争の事後処理は混迷が続き、2007年1月にイラクに対して兵力の増派を開始し、同年12月にアメリカは大不況に突入して2008年9月に世界的な金融危機(リーマン・ショック)へ繋がった。こうした状況から支持率は低下の一途を辿り、記録に残る中では史上最低とされる。
退任
2009年1月に大統領を退任し、この政権で残った問題は後任のバラク・オバマに引き継がれ、退任した後はテキサス州ダラスの自宅に戻って大統領図書館の運営などに従事している。在任中は評価が低かったが、退任した後は政策が再び評価されて回復傾向にある。
外交
日本
2002年2月に日本を訪問した時に国会で演説し、両国の同盟関係が強大である事を示して日本の支援に謝意を表した。特に小泉純一郎が総理大臣に在任していた頃は、互いに「ジョージ」・「純一郎」と呼び合うほど友好関係をアピールした。2009年11月に大統領を退任した後としては初めて日本を訪問し、東京ドームで開催された日本シリーズの始球式に参加した。
イギリス
2001年9月に同時多発テロが発生した時、2977人居る犠牲者の中には67人のイギリス人が含まれており、この攻撃の後にイギリスからアメリカ国民に対して多大な同情の声が寄せられた。トニー・ブレア首相はアルカイダやタリバンに対する軍事行動で、ブッシュ大統領の最も強力な国際的支持者の1人となったが、アメリカ追従姿勢を取った事で「ブッシュのプードル」と揶揄された。
フランス
2001年9月に同時多発テロが発生した時は事件を強烈に非難したが、2003年3月にイラク戦争が開戦した時はこの戦争に反対した。2007年フランス共和国大統領選挙でニコラ・サルコジが当選してから、フランスとは政治的にもより友好関係へと転換していった。同年11月にサルコジはアメリカ連邦議会で演説したが、これは両国の友好関係を強く肯定したものと見做された。
家族
- ローラ・ウェルチ(結婚期間:1977年11月 – 継続)
- バーバラ・ピアース・ブッシュ(1981年11月 – 存命)
- ジェンナ・ウェルチ・ヘイガー(1981年11月 – 存命)
余談
- 1989年4月にMLBのテキサス・レンジャーズのオーナーに就任し、ブッシュがオーナーを務めていた1996年10月にチームは球団史上初の地区優勝を達成している。
- 2008年12月にイラクの記者であるムンタゼル・アル=ザイディから靴を投げつけられ、それが話題を呼んでまさかのフラッシュゲーム化を果たした。このゲームのタイトルは「sock and awe(靴下と恐怖)」で、2003年3月にイラク戦争が開戦した直後にアメリカ・イギリス軍が取った「shock and awe(衝撃と恐怖)」という作戦名をもじったものである。
- ハーバード大学とイェール大学院を卒業しているというトップのエリートにも係わらず、日本の中学生でもやらないような文法上の誤りを犯す・意味の分からない頓珍漢な発言をする事が多かった。これらは「ブッシュイズム」と呼ばれ、しばしば槍玉に挙げられる・ジョークのネタにされたりした。