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生年 1955年1月28日~

大統領任期(第6代(通算第23代)) 2007年5月16日~2012年5月14日


概要編集

フルネームはニコラ・ポール・ステファヌ・サルコジ・ド・ナジ=ボクサ

フランス共和国第五共和制第6代大統領。所属は国民運動連合。パリ出身。


ハンガリー移民の父とギリシアユダヤ人の母親との間に生まれ、幼少期には父が家族を捨てる形で離婚してしまい、青年期にかけて貧困生活を強いられた。その後、大学に入学し、在学中に後に大統領となるジャック・シラクが設立した政党に参加し政治の世界に入った。大学卒業後は地方議員、弁護士、ヌイイ=シュル=セーヌ市長や閣僚を歴任し確実にキャリアを積み重ねていった。この内、閣僚時代には売春目的の客引きやホームレスの物乞いなどの取締り強化と一部公職従事者の権限を強化する事により国内治安を回復させた通称サルコジ法を成立させた他、アフリカ系の若者が警察の追跡から逃げる際に死傷した事件をきっかけに発生した暴動の鎮圧に際し参加者を罵るような強行的な発言をし一部から批判を浴びる一方、保守系や極右系支持者から絶大な人気を誇った。


そして2007年に社会党のロワイヤルと大統領選を戦い見事勝利し、大統領に就任した。移民2世でユダヤ系の子供という非常に異色の経歴を持ったサルコジの当選はフランスの多民族国家化を象徴するような出来事であった。また、サルコジは敵対する社会党出身者や旧植民地出身者、黒人女性などを政府の要職に抜擢した他、「もっと働き、もっと稼ごう」をモットーに掲げ、平等主義を伝統とするフランスでは異例のアメリカ的な政府の市場介入を極力排除する市場原理主義を重視する政策を打ち出した。このようなフランスの慣習をぶち破る画期的な政策を打ち出した事から、日本の一部経済誌では「フランス版小泉純一郎」と評された。外交面では、親米路線を打ち出し、前政権のシラク政権時代にイラク戦争参戦を断って以来冷え切っていたアメリカとの関係改善に尽力した。


しかし、2008年のリーマンショックに端を発する不況の煽りを受け失業率の上昇などが起きると、異質な政策はフランス国内で反発が強まり、2012年の大統領選挙では社会党のフランソワ・オランドに敗れ大統領の座から降りた。


退任後の2013年3月、2007年の大統領選挙で判断能力が低下した富豪の女性に対して脅迫紛いの手段を使い不正に献金をさせた容疑で刑事訴追されてしまった。ただ、同年10月不起訴が決定し、嫌疑は晴れており、周囲からは2017年の大統領選出馬を期待する声もある。


人物編集

先代大統領ジャック・シラクとは、政治家になるきっかけ的な存在ではあるものの、サルコジが離反などを行った事もあり関係があまり良くなく、そんなシラクへの敵対視からかは不明だが、日本の文化を否定するなど反日的(シラクは親日家として有名)なコメントを行った事がある(ただし、外交面で日本に対し冷遇するなどの嫌がらせは無く、むしろ友好的である)。


身長が平均的なフランス人の身長より10cm程度低く、政治風刺の場ではその低身長をよくネタにされる事がある。


前記した通り親米派で知られるが英語が苦手であり、英語教科のせいで2度学校で落第した事がある。


関連項目編集

フランス 政治家 大統領

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