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経歴編集

日本政治家。第87~89代内閣総理大臣であり、第20代自民党総裁(在任:平成13年4月~平成18年9月)。

1942年(昭和17年)1月8日生まれ。


内閣総理大臣の在任期間は1980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては佐藤栄作吉田茂、愛弟子だった安倍晋三に次ぐ第4位で平成の総理大臣としては最長。また、最後まで辞任せずに任期を全うすることができた唯一の自由民主党総裁でもある。


2009年、次男の小泉進次郎を後継に指名し、政界を引退した。



人物編集

離婚歴があり、首相としては珍しく独身(吉田茂内閣時のファーストレディは娘の麻生和子)だった。髪型から、「ライオン」の異名をとる。


長男は俳優の小泉孝太郎。三男は一般人で離婚した元妻が引き取っている。


発言編集

マスメディア受けするキャッチコピーを多用する政治手法は、小泉劇場(劇場型政治)として当時の流行語になった。


語り草となった発言・スローガンとしては

「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」(貴乃花への賞杯授与で)

「米百俵の精神」(2001年の国会の所信表明演説。戊辰戦争の長岡藩に見舞いとして送られてきた米百俵を人材育成にあてたというもの)

「改革なくして成長なし」

「聖域なき構造改革」など。

2001年の総裁選で小泉が叫んだ「自民党をぶっ壊す!」は、2013年に設立されたNHK党立花孝志に「NHKをぶっ壊す!」として模倣されるなど、退任後も影響力を残した。


評価編集

戦後日本でも有数の、カリスマ性にあふれた政治家だった。

演説等のフレーズのチョイスの上手さに加えて、敵に揚げ足を取らせない巧者ぶりと強運はしばしばネタにされる。郵政民営化、後期高齢者医療制度を含む医療制度改革、特殊法人の民営化、各種規制緩和、教育改革、靖国神社参拝など、個々の政策の是非については当時から賛否が大きく割れたものの、独特のキャラクターと存在感のもつインパクトは大であった。


竹中平蔵に金融機関の不良債権処理を断行させてバブル崩壊以来続いていた金融不安を払拭したことや、北朝鮮による日本人拉致を認めさせた上の拉致被害者の一部返還は高く評価されている。


批判編集

小泉は自民党の同僚議員を道路族や郵政族と痛罵したが、自分自身は大蔵族であった。 小泉の政治家としての本質は「対米追随派の大蔵族」ということに尽きる。大蔵大臣こそ就任し損なったが、大蔵政務次官、自民党財政部会長、衆議院大蔵常任委員長を歴任し、内閣国会すべてのポストを経験している。よって基本的な立ち位置は緊縮財政であり、首相在任中は公共事業費をはじめ、教育費、防衛費、医療費などに大ナタがふるわれた。特に地方分権改革の一環として断行した義務教育費の削減(国庫負担率が2分の1から3分の1に下げられた)の影響は大きく、教育現場や地方公務員の労働条件悪化(自治体の義務教育費負担が増えたしわよせで他の部署も人員が減ったため)が進んだ。小泉は所信表明演説で「米百俵の精神」を語ったが、教育費削減はこの趣旨と全く相反するものである。


そして小泉退任後、高度経済成長期以来のインフラの老朽化、気候変動による自然災害の激甚化、氷河期世代の困窮、少子化の激化、地方公務員のブラック化による教員・公務員離れなどの問題が次々と噴出し、小泉流の緊縮財政と規制緩和路線への批判が高まった。陸運業界は過当競争で労働環境が著しく悪化し、相次ぐ高速ツアーバス事故の遠因となったと囁かれている。また、小泉政権下でなされた国立大学の独立行政法人化に代表される大学改革は、日本が「研究不正大国」になる一因となったと指摘される(詳細は当該記事を参照)。


もっとも、公務員削減も規制緩和も当時の有権者の多くが支持していた政策であり、小泉ばかりの責任とは言えない。また、上記の北朝鮮による拉致被害者の帰国についても「一時帰国」との約束を反故にする形だったと言われているため、北朝鮮との交渉が長期停滞する原因を作ったとの批判も一部にある。


中曽根康弘からの評価編集

小泉によって引退勧告され、政治家引退を決意した中曽根康弘からは下記のように評されている。

「小泉内閣は、私がやったような政治の本道―たとえば財政とか行革とか、教育―ではなくて、道路と郵政をやっただけだ。どちらかと言えばはじっこのことだ。それを劇場政治として面白くやったんだな。俺に言わせれば印象派の政治だ(笑)」

また最大の失政として「憲政の常道に反し、参議院で否決された郵政民営化法案を成立させようと衆議院を解散したこと」と指摘している。


長期政権となった要因編集

長期政権となった要因として参議院の実力者であった青木幹雄に参議院枠を初めとする一定の配慮を示していたことも大きい。

小泉内閣の公共事業削減で、青木が地元の島根県で大幅な削減計画を発見すると、関係官僚を呼び出し一喝して撤回させることも黙認するなど歯切れのいい発言などとは裏腹に様々な根回しなども進めていたことがうかがえる。

これは自身が厚生大臣時代に参議院スケジュール管理に支障を来たしたことで、当時の参議院のドンと呼ばれ「天皇」というあだ名迄付けられた村上正邦をブチ切れさせたトラウマとも言われている。


ある意味で自民党をぶっ壊した男編集

脱派閥を掲げていた一方で総理となるまで派閥政治家の一面もあり、出身派閥である清和政策研究会に対する忠誠心も強かった。

福田康夫の父に当たる福田赳夫を師事し忠誠心は絶大だったといわれ、同じ派閥の安倍晋太郎安倍晋三の父)が自民党総裁を逃した際には痛罵するなど存在感は絶大だった。

前任の首相である森喜朗と同じ派閥だったことを考えると、のちに安倍・福田と繋がっていき同じ派閥で固められることとなった。

結果的に自身の出身派閥の力をより強固なものとする形となったと言え、一度世間を奪われ安倍となり政権へと復帰後には自民党の最大派閥になるくらいまでに「膨張」を遂げることとなった。


熾烈な派閥闘争を繰り広げていたこれまでの自民党とは打って変わって、絶対的多数を占める派閥へと変貌を遂げさせたという点でもある意味で「自民党をぶっ壊した」といっても過言ではないのかもしれない。


余談編集

2014年の東京都知事選では細川護熙元首相を擁立し、反原発を主体とした選挙運動を行った。しかし、選挙戦では小泉ばかり目立って肝心の細川の影が薄くなったことと、反原発以外の政策ビジョンが不明確だったことが災いし、都民の支持は得られなかった。


総理大臣公邸に入居する前のこと、前任者の森喜朗から公邸で幽霊を見たという話を聞かされ

「幽霊なんかいるわけないでしょ。俺はそんなのまったく信じないから怖いことなんかないよ」

と言いつつもさすがに不安になったのか、神職を呼んできっちりとお祓いをやってもらったという。


関連タグ編集

小泉 小泉総理 総理大臣

自民党 首相 構造改革

小泉孝太郎...長男

小泉進次郎...次男

福田康夫 麻生太郎

安倍晋三...愛弟子にして次期総理大臣

X-JAPAN...ファンであり、メンバーの一人であるhideは地元横須賀の後輩。

ウルトラ銀河伝説...ウルトラマンキングとしてゲスト出演。ウルトラマンナイスにネタにされた(推薦したのは息子の進次郎氏)。

中のひとまである意味キング

チベットスナギツネ...似ている

Dr.マシリト...似ている。ちなみに橋本龍太郎スッパマンにそっくり。

小泉ジュンイチロー...自身のパロディキャラ

アクメツパロディキャラが登場するが後々の蓋を開けてみれば辿った道は正反対という、なかなかに皮肉の効いた結末となっている。

アカマツ(トレーナー)...あるシーンで「どっちもがんばった!感動した!」という台詞がある。

小泉鈍一郎...「秘密結社鷹の爪」のキャラクター。


外部リンク編集

本人のWikipedia

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