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菅直人

かんなおと

日本国第94代内閣総理大臣。任期中に『東日本大震災』がおこる。
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概要

日本政治家。第94代内閣総理大臣(在任平成22年6月~同23年9月)。
菅直人の菅原道真の菅であり、配管工のではない。
東京工業大学出身の理系政治家であり、弁理士の資格を持つ。

昭和21年10月10日山口県宇部市生まれ。本籍地は岡山県
昭和55年に衆議院議員に初当選。厚生大臣民主党代表、同党幹事長財務大臣などを歴任した。
妻は母方の従妹で、長男の菅源太郎は政治運動家(民主党から出馬した事はあったが度重なる落選で民主党の公認を得られなくなったため政治家にはなっていない)。

首相就任以前

1980年に社会市民連合から出馬して初当選。その後は新党さきがけに移籍、第1次橋本内閣で厚生大臣として初入閣。薬害エイズ問題の対応などで知名度を高めたが、O-157集団感染問題の際にはカイワレダイコンが原因であるかのような風評被害を起こしたとして批判され農家から訴訟を起こされ国側の敗訴を招いた。この騒動の際にカイワレダイコンの安全性をアピールする目的で記者会見の場でカイワレダイコンを頬張るパフォーマンスを行った。

鳩山由紀夫の民主党立ち上げに参加し、2000年に幹事長となり2002年には党代表と出世も順調だったが、2004年に自民党の年金未納問題の追求の急先鋒に立った所自身が未納であったことが発覚し党代表を辞任(詳細は後述)。
この際「自分を見つめ直す」としてお遍路スタイルで四国八十八カ所巡りを行った。政権交代後の鳩山内閣では、副総理、経済財政政策相として入閣。後に財務大臣も兼ねた。

内閣総理大臣就任後

前任の鳩山内閣で既に民主党政権の支持率は地に落ちており、菅内閣は低支持率での多難なスタートとなった。平成22年(2010年)9月民主党代表選で小沢一郎を下し代表・総理大臣に就任。俗に言うところの「ご祝儀相場」もあり、これにより内閣支持率は一時大きく回復する(朝日新聞の支持率調査では61%)。

総理大臣就任後に総理大臣官邸で行われた記者会見において、「たとえば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります。」と表現の自由を擁護する発言をした。

しかし、直後の2010年6月に行われた第22回参議院選挙において、与党は現職の閣僚(千葉景子法務大臣)も落選するなどして過半数割れを起こし、いわゆる「ねじれ」の状態となる。ちなみに、選挙区の得票数と比例代表の得票数の両方で民主党が、自民党を上回っていたが、1人区で民主党が惨敗したケースが目立ち、結果的に獲得議席数は自民党が上回った。なお、前述の千葉景子は、落選したにもかかわらず、菅は民間人として閣僚に留めおき、法務大臣を続投させたため、「救済」として批判を浴びた。2010年9月の民主党総裁選に菅は立候補し、勝利。これを受けての2010年9月17日に内閣を改造し、前述の千葉法相は、この時に離任した。

総理在任中の2011年3月11日に東日本大震災と福島原発事故が発生した。

水素爆発より約30分前の2011年3月15日5:30頃、東電本社に乗り込み幹部陣を前に「撤退は許さないぞ」として”厳しくことにあたる姿”をアピールするも・・・本社及び現場ではいっさい撤退などとの話は無く、要するに東電を無能な臆病者とののしることで相対的に自身を持ち上げようともした。そして話を終えた間もなく同6時過ぎ、水素爆発は起こった。 (後に朝日新聞が「福島第一の所員、命令違反し撤退、吉田調書で判明」などと題してスクープで報じるも、検証によりこれは誤報であった事が発覚した)

そして同6時過ぎ、水素爆発は起こった。
吉田昌郎氏曰く、「こんな大人数で話をするために来たんじゃないとかいうことで、場所変えろとか何かわめいているうちに、この事象(水素爆発)になった」とのこと。
福島第一原発事故に際し、事故発生3日後に現地に赴いたことが、混乱の一因であるとの説もある。

球温暖化防止のためとして原子力の活用を宣言していたが震災後に方針を変え、浜岡原発の運転停止要請、再生可能エネルギー導入などを訴えたが、野党やマスコミから大震災の対応などが槍玉にあげられ、平成23年夏についに退陣。

2012年の衆議院議員選挙では反原発を訴えたが、首相在任期間中の数々の失態もあり、小選挙区で落選、比例でやっと当選という屈辱を味わうこととなった。

2013年7月の参議院選挙では、東京選挙区の応援において本来なら党員として公認候補の鈴木寛を応援すべき立場であるにも関わらず非公認候補の大河原雅子(当初は民主党公認予定であったが直前に取り消され無所属扱いになった)ばかりを応援に行き、結果的に両候補の共倒れを招いたことから党内外の批判を浴び、党執行部からもその責任を負って離党するよう求められる羽目になったが、これに菅は「受け入れられない」の一点張りで猛反発。結局、党員資格停止3ヶ月の処分に留まっている。この件で菅は鈴木からかなり恨まれており、後に鈴木は離党し第二次安倍内閣の文科省参与として反対陣営につくこととなる。

余談

  • キレやすくすぐ怒鳴る性格なため、通称は「イラ菅」。この性格のため、部下には仕えにくい人物として嫌われあまり人望がない。
  • 2004年に民主党代表を一度辞任した後の経緯から「お遍路」と呼ばれる事もある(ただし、多くの場合は揶揄として言われているので使用の際は注意する事)。
  • 災害対応の現場を混乱させたこと周知の事実であるが、後に本人の自画自賛と責任転嫁を繰り返し、当時原発で事故対応にあたっていた吉田前所長を「戦友」と呼んでいたが、吉田氏は、菅氏が自分が東電の撤退を止めたと主張していたと聞かされて、「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。…ばか野郎と言いたい」と怒っていた。
  • 2010年8月、世界経済の先行き懸念から、安全資産とされる円が買われる動きがあり、1ドル84円台になる円高となった。これに経済界(特に輸出産業)からは早急な対策を求められ、民主党内からも緊急声明が出されたが、菅は夏季休暇を続行し、9月になるまで、何の対策も取らなかった。
  • 政治活動のスタートは市川房枝の選挙スタッフとしてであった。自身が出馬する際、市川からはカンパと事務スタッフの援助があったのみで、「自分の力だけで闘いなさい」と言い含められていたにもかかわらず、彼女の支援者リストを盗み出し、あたかも市川から推薦を受けているかのようにふるまうことで、彼女の支持基盤をそのまま利用するという完全に反則そのものな曲芸をやってのけた。このことから、弟子に裏切られた格好となった市川から「信用してはいけない」と評されていたという。
  • 2010年9月、中国の漁船が尖閣諸島沖で違法操業をしており、これを取り締まろうとした日本の海上保安庁の巡視船と衝突する事件が起こる。菅は、当初、この漁船の船長を国内法に基づいて起訴する方針を取ったが、尖閣諸島を自国領と主張する中国は強く反発し、「閣僚級の交流の中止」「日本人大学生の上海万博招致の中止」「中国のトヨタが賄賂を渡していたとして罰金を科す」などの報復措置を取った。那覇地検は、結局は船長を釈放し、「国外退去処分」という形で帰国させた。船長は中国に帰国した際には英雄扱いとなった。菅は、この釈放を「那覇地検の判断」という態度であったが、国内外の複数のメディアは「地検は起訴に動いていたが、菅首相や仙谷由人官房長官が中心となって、地検に釈放を要求した」と報じている。また、日中の間で、「衝突事件のビデオを公開しない」、「仲井眞弘多沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止する」という密約も結ばれたという(のちにビデオは、菅政権の行動に「衝突映像が闇へ葬られる」と危機感を持った海上保安官によって、流出させられている。なお、このビデオは機密性が低いとして、海上保安官は逮捕されていないものの、のちに退官した)。
  • 北朝鮮による日本人拉致の実行犯である辛光沫(シン・ガンス)の釈放嘆願書に署名している。これは正確には、韓国の政治犯29人の釈放嘆願書であり、その中に辛光沫が含まれていたというものである。また、この署名が行われたのは1989年であり、当時の拉致事件はまだ「拉致された可能性がある」程度でしかなかった。菅自身はこのことについて「知らなかった。よく見ていなかった」と釈明しているが、この29人には辛以外にも名だたる工作員が含まれており、故意か否かに関わらず、あまりに愚かしい行為として批判されている。菅の蔑称の一つ「カンガンス」は、この「シン・ガンス」にひっかけたもの。
  • 拉致問題対策本部長である菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円の政治献金をしていたことが発覚。この問題を受け拉致被害者家族らからは「信じられない」「日本の政治家がやることとは思えない」「拉致被害者家族としてだけでなく、一人の日本人として、菅さんに即刻辞めてくださいと言いたい」と非難を浴びている。


4列目の男

2010年7月の週刊新潮によると、初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、菅直人はかつてノンセクト・ラジカルのグループに所属して学生運動に参加していたが、検挙を覚悟の上でゲバ棒で逆らってくるようなデモ隊の3列目には決して加わらず「4列目の男」と呼ばれていたと語ったという。
これらの行為は後に週刊新潮や木下厚氏の書籍内などで露骨に美化して描かれた。

ブーメラン

他者を攻撃することで支持や好感を稼ぐ手口でのし上がってきたものの、節操無く偽善的な発言を行うため自身に跳ね返ってきた発言がとても多い。この特徴は民主党にも共通する。

  • 自民党議員(石破麻生中川三氏)の国民年金未納発覚に際して「ふざけてますよね。“未納三兄弟”っていうんですよ」と強く批判したが、直後に自身の過去の未納が発覚。あげく「私の未納は厚生労働省の不手際」と言い訳するも当時の厚生大臣は他ならぬ自分自身であった(尤も、菅の未納が厚労省職員の不手際であったことも事実のため、一概に菅が悪いとも言いにくい)。
  • 世襲議員を盛んに批判していたが、自身の息子菅源太郎を出馬させる。この事を批判されると、「優秀な人材を探したら、たまたま息子だった」とした。しかし、源太郎は二度落選し、結局、議員にはなれなかった。
  • 柳沢厚生大臣の「女性は産む機械、というわけではないけれど」という発言に対し、民主党は「大臣がじょせいを産む機械扱いしたぞ!」と歪曲、審議拒否までして批判するも「東京では子供を生む生産性が低い」と発言していた。
  • 橋本元首相の女性スキャンダルを叩くも、自身が戸野本優子と不倫していた事が発覚。
  • 民主党が年金記録問題を攻撃する発言を開始し、国会にて「この法律(年金統合)を施行したのは小泉厚生大臣の時代」と指摘するも、実際の原因は民主党の支持団体の社保庁労組の怠慢。そもそも年金統合は菅厚生大臣時代に推進されたもの。

安倍晋三発行のメルマガの記述を巡る訴訟


安倍晋三発行の2011年5月20日付のメルマガの記事において「(菅直人の)3月12日の海水注入の指示はでっち上げ」と題し(菅直人が)海水の注入を中断を指示したと書かれた。

これに対し、菅は「参議院選挙期間に入った中でも、ネットを使った悪質な名誉棄損行為が行われており、それを放置できないと考えて提訴したものです」として、安倍に対して名誉毀損の裁判を起こした。

2015年12月3日、東京地裁は「記事の内容は誤ってる」と認定し、菅の主張を認めた。一方で安倍の責任については「記事は事故対応の詳細が判明する前に発信されていた上、菅元首相の資質や政治責任を追及するもので公益性があった」等として、退けた。
2016年9月29日、東京高裁において控訴が棄却され、地裁判決が確定した。

語録

  • 「一夜を共にしたが、男女の関係は無い」(上記の不倫発覚に際して。)
  • 「テレビの影響で一億総白痴化が進んでいる、だから郵政選挙で自民党が勝った」
  • 「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」
  • 「東電の馬鹿野郎が!」
  • 「政権交代後に自ら幹事長を務めた小沢さんが、政権交代後のことを人ごとのように批判するのは納得できない」
  • 「乾杯だと完敗になるので、カンショウで行きましょう。では、カンパ~イ」
  • 「優秀な人材を探したら、たまたま息子だった」


関連タグ


  • 菅義偉:すがよしひで。自民党の政治家。姓は同じだが、特に親戚というわけでは無い。

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