略歴
1948年(昭和23年)12月6日生まれ、秋田県雄勝郡雄勝町(現・湯沢市)出身。
満州国の鉄道員を経てイチゴ農園を営み、生産者組合長や町議を歴任した父親と、高校教師をしていた母親との間に、4人姉弟の3人目である長男として誕生する。
高校卒業後、上京してダンボール工場で2年働き、その後法政大学法学部政治学科に進学。アルバイトで学費を稼ぎながら卒業し、電気通信設備会社に2年勤務した後、小此木彦三郎の秘書となり政界に足を踏み入れる。
その後横浜市議を経由し、1996年の第41回衆議院議員総選挙(神奈川2区)で国政転身する。
国政では地味な存在であった菅が表舞台に立ったのは2005年の第3次小泉内閣 (改造)で総務副大臣に抜擢されたことで、続く第1次安倍晋三内閣で総務大臣として初入閣。自民党の政権復帰後の第2次安倍内閣では内閣官房長官に就任した。第2次安倍内閣発足以降は官房長官に在任し続け、在職日数が歴代1位となっている。
2019年4月1日の新元号「令和」の発表を担当。令和おじさんと呼ばれるようになった。
2020年安倍内閣総辞職を受けて9月14日に自由民主党総裁に選出され、9月16日に第99代内閣総理大臣に就任し、翌年10月まで務める。
第99代内閣総理大臣(2020年9月16日~2021年10月4日)
人物
自民党内ではどの派閥にも所属していない、珍しい人物である(但し、元々は小渕派を経て古賀派に属しており、特に前者の流れをくむ竹下派との繋がりは今でも強く、細田派・麻生派などその他主力派閥とも関係が強化している)。また、世襲揃いの自民党の有力議員としては珍しく、係累に政治家や官僚がいない。息子が3人いるが、今のところ政界を目指す動きはないようだ。
全くの下戸で甘党である(特にパンケーキが好物)ことから、昔は今よりも若干ふくよかな体型だったが、将来の健康を考えて2009年頃にスープカレーダイエットを開始。夫人のサポートもありダイエットに成功し、かなりスリムになった。
前述の通り苦学生であり、働きながら学費を捻出して学位を取ったという経歴は、富豪や二世の跋扈する華やかな政界において非常に地味である。
小泉純一郎政権下の2005年、総務副大臣に抜擢されたのが政界での出世のきっかけで、当時総務大臣であった竹中平蔵との関係が特に深い。竹中と二人三脚で郵政民営化、NHK改革などに取り組み、首相就任後も竹中をブレーンとして重用している。元総裁・元首相の安倍晋三とも盟友とも言える仲であり、党総裁選時にも積極的に応援活動を行うなど、女房役に徹していた。しかし、安倍のもう一方の盟友である麻生太郎とは確執を取り沙汰されることが多い。菅の官房長官時に自民党幹事長を務めていた谷垣禎一とその後任の二階俊博とも"不仲説"が流れたこともあるが、二階は2020年の総裁選で菅の支持をいち早く表明して菅勝利の流れをつくり、菅の総裁就任後も幹事長を続投して菅政権への影響力を誇示した。
官房長官時代
安倍政権の顔とも言える存在で、メディアへの露出も多かった。記者会見で記者の質問に「そのような指摘は当たらない」「全く問題ない」などと一蹴する姿勢が特徴的で、長々と私見を述べて持ち時間を超過する記者に対しては「ルールを守れ」と一喝して質問を打ち切ってしまうなど、厳しい対応を見せた。
同じ苗字である菅直人元総理と区別するため、某笑ってはいけない番組のネタを基に「ガースー」という愛称で呼ばれた。この呼称について本人は、ニコニコ動画に出演した際に「公認」している。
首相時代
盛んに各国首脳とツイッター上でやり取りしていた安倍前総理に比して、ツイートは必要最低限に留める傾向にあり、言葉遣いも良く言えば飾り気のない、悪く言えば素っ気ないものが多い。記者会見での冷徹な対応も健在で、野党議員からは「壊れたテープレコーダー」等と揶揄されることも。
2020年から世界中で感染が拡大しているCOVID-19の対策については、感染症対策の専門家尾身茂の指示を仰ぎ、複数回の緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置を発動。
PCR検査の徹底を訴える野党に対し、これを重視せず、ワクチン接種の徹底を主張。自ら起用した河野太郎ワクチン担当大臣の頭越しに直接メーカーと交渉するなどして海外からのワクチン確保に奔走し、一日100万回を目標に接種を推進している。並行して、ワクチンが不足している周辺諸国への剰余ワクチン援助を行った。
しかし、こういった取り組みが国民に評価されているとは言えず、度重なる自粛要請への不満などから、内閣支持率は2021年4月より下降を続けた。また、感染拡大で医療現場が逼迫する中、「GoToトラベル」の一時停止を訴え東京オリンピックの開催に懸念を示す尾身との軋轢も顕在化し、官邸と医療専門家との足並みの乱れが目立った。
退陣へ
総理就任から1年が経つ2021年9月、自民党総裁の任期満了に伴う総裁選に出馬すると見られていたが、支持率の低迷や党内で菅降ろしの動きが活発化したことで一転して出馬しない意向を示した。これにより自民党総裁の任期が満了となる9月末に総裁を退任することとなり、菅内閣も10月に総辞職した。後任には岸田文雄が選出され、第100代内閣総理大臣に就任した。
退陣後は、それほど話題にならなかったが、ロシアによるウクライナ侵攻に関して勃発した核共有に関して「議論してもおかしくはない」と発言した。参照
また、退陣後は後任の岸田政権と距離を置き非主流派に甘んじていたものの、2023年1月には「総理でありながら派閥の会長を続けるのはいかがなものか──。」と岸田総理(および政権)を露骨に批判した。この発言を受けた霞ヶ関では「ポスト岸田として主流派に返り咲く」もしくは「ポスト岸田をめぐる争いのキングメーカーになる」のいずれかを目論んでいるのではないかと噂されている模様。
評価
菅政権下では、「デジタル庁」、「携帯料金引き下げ」、「ワクチン政策」が主要な目玉政策として注目され、功績として評価される。特にワクチン政策においては、当初その遅さと杜撰さが問題になったものの次第に一日ごとの接種速度で世界最高水準となり、国内外でも最大の功績として評価された。
また地方創生にも力を入れていて、特に日本維新の会、大阪維新の会を中心に行う大阪の再生には理解を示しており、安倍晋三と橋下徹、松井一郎の橋渡し役としても活躍した。
逆に維新に対して反抗的な態度を取る大阪自民には「個人的には理解できない」と冷遇の姿勢を取る。
しかし、内閣官房長官以来持っていた菅自身の良く言えば淡々とした、悪く言えば冷徹な態度や、コロナの感染拡大が急速に拡大する中でただでさえ国民の間で不人気であったオリンピック開催に踏み切ったことなどから国民の支持は得られなかった。政権発足当初には、緊急事態宣言が長期に渡って出される中で総理自身が知人らと高級飲食店で会合をするというスキャンダルを起こし、イメージ戦略において重要な要素である第一印象のアピールに失敗しているなど、メディア掌握が巧みだった安倍政権経験者を多く擁しながらも菅政権はその能力を大きく欠いていた。
特に、アピール戦略において全年代通して比較的自民党に批判的であり、かつ投票行動に熱心でコロナウイルスによる高い重症化と死亡リスクにさらされる老年層の支持を失ったことは政権にとって痛手となってしまう。事実、菅内閣の支持率は感染状況によって上下する傾向にあり、菅内閣が倒れる直前の2021年の夏にはそれまでの感染者数・死亡数を大きく上回る被害をもたらしたデルタ株の大流行が起きていた。
総理大臣として最大かつ安定してポジティブな印象を与えやすい外交の場での立ち回りも、パンデミックにより殆どの外国の首脳陣と会うこともできなかった。
最大の同盟国であるアメリカの悪化していた日中・日韓関係の動静もほとんどなかったことから右派からの支持強化、無党派層の評価獲得にはつながらなかった。先のワクチン政策も、総理というよりはSNSで熱心にアピールをしていた河野太郎に注目が行きがちで、ここでも菅の「仕事人」気質のキャラクター性が裏目に出てしまっていた。
こうしたイメージ改善が図られず、目立った場での活躍の機会を失った中で、菅政権は国政補選だけではなくお膝元である横浜市長選挙でも、自らが推薦した実績ある地元の有力一族の候補が敗れたことにより、党内から「選挙で勝てない総理」と見做されるようになり、急速に求心力を失っていき崩壊へと繋がる。
しかし、菅政権の退陣は「失政なき退陣」とも呼ばれており、政局面での駆け引きの強さや事務処理能力の高さは野党指導者からも評価されるところであり、立ち位置はさておき今後の活躍も十分有り得る。