曖昧さ回避
概要
左翼( 左派 )とは、通常、より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層を指す。対義語は右翼。革命運動、社会主義、共産主義、社会民主主義などを支持する層を指すことが多く、広義の社会主義やそれに親和的な勢力を漠然と示す呼称である。ただし、日本の民社党やイタリアのムッソリーニなど社会主義の流れから出てきたもののタカ派的・国家主義的傾向を強めた結果、右翼と呼ばれるようになったケースもある。
ソ連崩壊後は自由主義者(リベラル派)と同一視されることが多いが、本来は社会主義と自由主義は全く異なる概念である。ただし、個人の財産権、自然権、自由権を強調する古典的自由主義者に対し、平等主義を強調する社会自由主義者がリベラリストと呼ばれるようになった結果、リベラリズムが社会主義に近接していった側面がある(リベラルの記事を参照)。
様々な特徴・バリエーション
左翼は総称であり、非常に幅広い潮流を含んでいる。たとえば目標とする国家については市民や労働者の自治を重視するサンディカリスム、政府を否定する無政府主義( アナキズム )や、逆に国家の積極的な介入を重視する福祉国家、執権党が一党独裁を行うソ連型社会主義などがある。
現代における先進国の左翼は基本的価値観として自由、平等、労働条件の改善、福祉の重視、環境保護、平和主義などを掲げ追求する場合が多い。しかし、歴史的には左翼は暴力による革命、独裁、統制経済、重工業の重視、大規模開発による自然改造、軍事的覇権主義、集中管理による国民への弾圧など全く相反する方向に傾倒してきた場合がしばしばある。これは社会主義や共産主義が農業に依存した封建的な社会を打破し、近代化を推進するための思想という一面を持っていたためである。
変革の方法
変革の方法についても、資本主義の枠内での変革を目指す社会改良主義、議会制民主主義のもとで将来的には社会主義社会を目指す平和革命主義、急進的に武力革命を行うべきとする暴力革命主義等がある。それまでの身分制度や封建主義などに反対して近代化と富の増大を求める面では、資本主義と同様に近代主義・啓蒙主義・自由主義の側面が濃いが、逆に資本主義による伝統的な地域共同体の破壊や労働者の搾取に反対する面では、保守主義の側面がみられる。
極左
左翼の中でも極端に急進的な変革・革命を求めるものは極左と呼ばれる。極左と極右はその全体主義性や暴力性、党派性などに類似性が指摘される事もあり、また反権力の観点から極左と極右が連係する事例もある。
1960年代にソ連や既存左派勢力への反発から新左翼と呼ばれる、若者を主体とした急進的左翼活動を行う団体が各国で台頭し、日本でもいわゆる極左暴力集団と呼ばれる中核派、革マル派、日本赤軍、連合赤軍等がその流れを汲むとされる。
主な極左の著名人
政治家
歴史
フランス革命直後の国民議会では、王党派に対して共和派が「左翼」と呼ばれたが、第二期では右翼とされるフイヤン派( 立憲君主制支持 )が没落し今まで左翼だった共和派が主流となるものの、政策を巡って再び左右で割れ、新しい軸が生まれた。議会の右側には穏健派のジロンド派が座り、左側には過激派のジャコバン派が座ることとなり、これが「左翼」の語源となったとされる。
ジャコバイトの活躍
1793年にはジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、ロベスピエールが目指した共和政ローマ類似の独裁政治が敷かれたものの、ジャコバン派は新興資本家寄りのダントン派と労働者層寄りのエベール派に分裂、それを見たロベスピエールは両者を粛清して恐怖政治を強めた。1794年にはテルミドールのクーデターによりロベスピエールをはじめとしたジャコバン派が次々と投獄・処刑されることになり、ナポレオン帝政を経て、左翼は一時衰退する。
パリ・コミューン
1871年には短期間ではあるが史上初の社会主義政権であるパリ・コミューン( wikipediaへのリンク )が成立した。
20世紀
20世紀においては専ら大学の教授や学者などの知識人が大衆の左翼運動を指揮し、欧州やロシアではカール・マルクスの思想に基づくマルクス主義が台頭し、同時に穏健派である社会民主主義も勢力を増大させた。
ソ連
帝政が続くロシアでの革命は成功し、ソビエト連邦が成立したが、レーニンの死後は世界革命を主張するトロツキーが失脚させられ、後継には一国社会主義を主張するスターリンが権力を掌握、彼の独裁体制は政敵や無辜の民に対する大粛清を行うなど恐怖政治が横行し、粛清の犠牲者は第二次世界大戦での戦死者をも上回るという。帝政からの解放者としてのソ連共産党が全体主義的な傾向を強めていき民主主義色が薄れていったため、マルクス・レーニン主義から欧州の知識人も離反。西欧の共産党は反ソ連・反スターリンの傾向を強め、リベラリズムとの親和性が高いユーロコミュニズムを提唱していった。
欧州
第二次世界大戦後の西側諸国(特に北欧・フランス・西ドイツ)の社会主義政党(中道左派)は、保守政党と並ぶ2大政党としてしばしば政権を担い、「資本側と労働者側が政府を仲介として協調する( ネオ・コーポラティズム )」福祉国家を建設した。一方、イギリスの社会民主主義は階級制度の残存への対抗から「階級闘争勢力としての社会主義」が根強く、ヨーロッパ大陸の左派勢力の福祉国家路線とはやや形態が異なっていた。しかし、1990年代にイギリスの左翼は新自由主義を大きく取り入れ、「第三の道」と言われる方向に変化していく。同時期にはヨーロッパ大陸部の中道左派政権も新自由主義的な経済政策を取り入れたため、急進左派勢力がある程度勢力を拡大している。
現在の状況
社会主義国
社会主義を標榜する中華人民共和国やベトナムは、政治的には一党独裁を堅持しながら経済的には鄧小平理論やドイモイ政策などに基づいて市場原理を導入している。
ラテンアメリカ
ラテンアメリカではアメリカ合衆国が主導するアメリカニゼーション・新自由主義に対する反発から、ベネズエラのウゴ・チャベスやボリビアのエボ・モラレスなどの反米左翼政権が数多く誕生することとなった。反米というわけではないがブラジルの大統領であったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァも労組出身、所属政党も労働者党であった、その後次の大統領ジルマ・ルセフもルラの政策を引き継いでいたが、弾劾により連立政権を組んでいたブラジル民主運動党のミシェル・テメルがその職を引き継いだ。
ヨーロッパ
ドイツでも旧東ドイツのドイツ社会主義統一党の流れを汲む民主社会党( PDS )とドイツ社会民主党( SPD左派 )が合流した左翼党が党勢を伸張しており、東欧では市場経済導入以降の国内の経済格差批判から旧共産党の社会民主主義政党が政権に戻りつつある。イギリスでは、ブレアが採った第三の道が格差を広げたとの批判が高まり、社会主義者のジェレミー・コービンが党首に就任し、同党の政策を左側に舵を切った。
日本
戦前
明治時代から第二次世界大戦の間は東洋社会党 (1882年)から日本共産党に至る多くの社会主義政党が結成されたが、禁止に至るものが多かった。昭和時代には合法的な社会主義政党である無産政党として左派の労働農民党、中間派の日本労農党、右派の社会大衆党などがあったが、大政翼賛会に合流した。
戦後
第二次世界大戦終結後は、合法化された日本共産党と、戦前の多数の無産政党が集まって結成された日本社会党が、「左翼政党」の代表的存在であった。社会党は1990年代に支持母体であった連合が中道系の候補に肩入れするようになったり、野党再編の流れの中で衰退、1996年に社会民主党に改称した後は小政党に甘んじている。
この他、労働者農民党(1957年解散し社会党に合流 )や日本共産党を除名されたり離党した複数の党派も含む新左翼各派や、日本社会党から分裂した民社党(但し左翼ではない)や社会民主連合や新社会党などの政党がある。
日本では、1990年代の非日本共産党系の社会主義勢力の衰退により「日本の左翼=日本共産党」と言ってだいたいあってるという現状であるが、特定の政党にくみしない左派系市民団体や労働組合もある。
左翼と創作
労働者を中心とする共産主義者の創作は労働者を中心とするプロレタリア芸術、特に社会主義でのプロレタリアをリアルに描いた「社会主義リアリズム」がその中心となっている。ソ連初期にはブルジョア芸術の一つ「ロシア未来派」の影響も大きかったが、社会主義が進むにつれその社会の芸術もブルジョア芸術からの自立が必要とされ消えていった。
一方、戦後日本の左翼では何故か右翼の夢野久作の作品が好まれるようになった。祖父に右翼を持つ夢野久作は江戸時代の感性を引き継ぎ、数奇・怪奇・心中・才女などの要素を好んでいたが、戦後日本の左翼の創作もその影響を多大に受けて、だいぶ日本的なものとなっていた。
(書きかけ)