概要
英(Japanese Red Army)
1960〜70年代に活発に活動した「共産主義者同盟赤軍派(Communist League Red Army)、略称:赤軍」の分派のひとつ(他の分派としては連合赤軍などが存在する)。『赤軍』なので軍隊を思わせるが、実際上は軍隊の様相を持つまでにいたらなかったと思われる。※1
革命を起こす事を夢見ていた赤軍やその他過激派組織の間には国際根拠地論といい、「海外に拠点を持つべき」と考えた者がおり、そのうちの重信房子(元赤軍派中央委員、この団体に参加後テロ活動に従事、偽造旅券を用いて日本二入国している際旅券の偽造で逮捕され、オランダのフランス大使館襲撃、いわゆるハーグ事件で有罪となり懲役20年、服役期間を終え出所)・奥平剛士(京都大学在学時に活動を始め、パルチザンのグループに属する。テルアビブ空港乱射事件の際死亡)らがパレスチナに渡り、1971年、現地で結成した(この考えにて海外に拠点を持ったグループとしてはよど号ハイジャックのグループが存在する)。1974年ごろ「日本赤軍」と名乗るようになる。
後述するように最高指導者の重信房子は逮捕された翌年に日本赤軍の解散を宣言し、関連する政治団体のムーブメント連帯も2014年に活動を停止している。
- ※1…詳しくない人には、全学連(全日本学生自治会総連合、昭和23年設立の学生自治会の連合組織であるが、政治的活動などを行い、現在では5つに分裂して現存しており、中核派などがそれである。)、全共闘(全学共闘会議、大学内で実力闘争が行われた際学部やセクトを超えた運動として組織した大学内の連合体であるが、反対団体、例えば全学連民青派、も存在した)、連合赤軍、日本赤軍の違いもわからない上、数人規模で別の『革命部隊』を名乗ることが多く、組織形態が無秩序であり全貌がつかみきれない点が存在する。
活動
パレスチナに渡った後、パレスチナ解放人民戦線(パレスチナの武装組織および政党、テロに訴えてでもパレスチナに世界の注目を集める点がある)など、現地の過激派組織と連携するなどしてレバノンに拠点を置き、1970〜80年代にかけて多数のテロ事件を起こした。
この団体が起こしたテロの中ではイスラエルの空港で起こした「テルアビブ空港乱射事件」は、無関係の民間人を含めた100人以上を無差別に乱射し殺害するという残虐なものだった。
他にもハイジャック事件、大使館の占拠事件などを起こし、後によど号ハイジャックグループのメンバーを通じて北朝鮮との接触も判明している。
一時期は反イスラエル感情の強かったアラブ諸国で彼らを支持する向きもあったものの、やがて彼らも距離を置くようになり、日本や欧米諸国のテロ対策強化、冷戦の終結等もあり、彼らの活動は資金などが不足していき、1990年代以降先細りになっていき、メンバーも次々に逮捕されていった。
2000年11月、密かに帰国し高槻市に潜伏していた最高指導者の重信房子が逮捕され、彼女は翌年獄中で日本赤軍の解散を正式に発表し、後に獄中インタビューで「世界を変えるといい気になっていた」と反省の弁を述べた一方、自身らが起こした事件を正当化する主張も度々行っている。
かつてのメンバーは現在も獄中にある者、逃亡中の者、細々と貧しい暮らしをしている者、テロ活動中に死亡した者、内ゲバ※2で命を失った者など様々であるが、生き残った者達は還暦〜70代などかなり高齢化している。
最高指導者であった重信も現在ガンを患い、医療刑務所で治療を受けながら服役していたが、2022年5月末に出所した。
日本赤軍自体は解散を宣言し、後任団体のムーブメント連帯も2014年に活動を停止したが、解散寸前まで政治工作を行おうとしていた形跡がある。
なお、日本の警察では未だ逃亡中のメンバーがいる事や、元最高指導者の重信が日本赤軍の起こした一連の事件を正当化する主張を行なっている事などから解散宣言から長い月日を経た現在でも危険な組織として警戒している。
- ※2…社会主義革命達成の手段、方法、手順をめぐる対立、自身が正当な共産主義的思想の持ち主を証明するために『共食い』的な方法を正当化したなど。
参考
- 『連合赤軍A少年』
関連タグ
福田赳夫…「ダッカ事件」で超法規的措置により日本赤軍のメンバーを釈放した。
重信房子:最高指導者
足立正生:日本の映画監督。日本赤軍に於いてはスポークスマンの役割を担っていた。
連合赤軍……日本共産党革命左派(国政政党日本共産党とは無関係で、ブントのセクトによる僭称)と、パレスチナや北朝鮮へ行かず国内に残留した赤軍派が合同したセクト。組織体系が非常に無秩序であり統制や全貌がつかみきれておらず、主力はあさま山荘事件などで壊滅したと思われるものの現在も彼らの残党がいまだ活動している可能性が存在する。
なお、国際手配中の日本赤軍メンバーの一人である坂東國男は連合赤軍メンバーとしてあさま山荘事件で逮捕された後、超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流したという経歴がある。