目的
全共闘は各大学で統一された呼称で結成されたが、各大学によって結成された時期や目的、方針などはそれぞれ異なる。
その中でも日大と東大全共闘が有名である。日大では教職員等による授業料不正使用問題。東大では医学部の学生処分問題をきに全共闘が結成された。
「帝大解体」 「造反有理」といった様々なスローガンを掲げ中でも「実力闘争」を前面に持ち出し、全共闘と機動隊との衝突では投石やゲバルト棒も使われた。特定の党派が一つのスローガンや方針を掲げる組織運動というよりは、インターネットの祭りのような大衆運動といった感じであった。
東大安田講堂事件
東大・医学部の学生がインターン制度「無給で研修制度」に対し反対し学生らは、医学部の教授を拘束する事件が起きた。大学側は事件に関わった学生17人を退学や停学処分。ところが、当時現場にいなかった学生までもが処分され。その件でさらに学生らに火をつけ学生は6月15日、東大のシンボルである安田講堂を占拠。大学は機動隊を要請。学生は講堂から逃げ出すが、これをきっかけに、医学部の闘争は全学規模に拡大。72時間におよぶ攻防が繰り広げられ、東大全共闘の運動は収束に向かった。
その後
1970年の華青闘告発事件(華僑の運動組織から新左翼も日本人であることを自己批判するよう要求された事件)で新左翼運動が混乱してしまい、大衆性を喪失する。
そして70年代に入りブントや中核派、革マル派などの各党派内部で抗争が発生し100人以上の殺人が起きたほか、新左翼の中でも特に過激な日本赤軍及び連合赤軍による事件が発生、一般人に対しても害を及ぼすようになったため、学生運動は急速に支持を失ない全共闘は消滅した。
ちなみに、いわゆる「全共闘世代」とは1940~50年代生まれ(おおむね、焼け跡世代から団塊の世代にかけて)の人を指す言葉。