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概要

1971年に共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(安保京浜共闘 国政政党の日本共産党とは異なる。後述)が合流して結成された過激派。毛沢東思想、反スターリン主義を基本。
活動のピークはわずか2年足らずだがその残虐な内ゲバが広くインパクトを与えた。

背景

赤軍派共産主義者同盟の最強硬派として分離独立されたがよど号事件を起こしたりM作戦という強盗を行うなどしたため警察に次々とメンバーが逮捕されていった。さらに日本赤軍としてアラブに拠点を移すメンバーも増え、国内では弱体化が進んでいた。一方、共産主義者同盟から分裂したマルクス・レーニン主義派から警鐘グループ日本共産党(左派)(毛沢東思想を掲げた為国政政党の日本共産党本部から追放された勢力)に移籍した後、再度離脱し日本共産党(革命左派)神奈川県委員会を名乗った。しかし、武装闘争に固執するあまりに多くメンバーが組織を割って日本労働党を結成し弱体化していた。弱体化が進む両組織は共闘によって組織を維持しようと考え、後に合併し連合赤軍を名乗ることとなった。

しかしながらこの組織合同は、金は有る(M作戦=金融機関強盗による)が武器の無い赤軍派と、金は無いが武器は有る(銃砲店襲撃による)革命左派とが、互いの違法行為を認め合い利害の一致を見てのモノではあったのだが、実はは統一した組織も指揮系統も無く、赤軍派と革命左派が連合赤軍と言う看板を表に出しているだけの状態だった。
なぜなら『統一した』のはそれぞれの非合法の軍事部門である中央軍(赤軍派)と人民革命軍(革命左派)のみであり、組織そのものが合同したものではなかっただけでなく、『統一した』はずの軍事部門ですら足並みは揃わないどころか主導権争いなどで対立する体たらくだった。
しかも統一した組織の名前をどうするかと言う時点で、赤軍派獄外最高指導者の森恒夫(山岳ベース事件の主犯)と革命左派議長の川島豪が早速対立している有様だった。
挙句の果てには、合法部門である組織そのものを分派と決めつけ、反革命の烙印を捺して暴力闘争の標的にする始末だった。

事件

結成の年(1971年)の12月初頭には山梨県の新倉ベースにおいて初めての合同軍事訓練等を行っている。
だがこの頃から上述の通り合法部門である組織と対立し、12月20日頃に榛名ベースにおいて両派の指導部会議が開かれ、その場で合法部門との決別と統一新党の結成が宣言された。
そして両派を離脱したメンバーが榛名ベースに集うのだが、この時集まったのは男性19人女性10人の僅か29人であった。
この中には森恒夫の他、坂東國男や植垣康博(共に赤軍派)、永田洋子や坂口弘(共に革命左派。二人は内縁の夫婦だった)などの後に悪名を為す者も居た。

しかし寄せ集め(両派のメンバーではない一般人の家族すら居た)集団の悲しさか、訓練開始早々に路線対立などから内輪もめが起きるようになり、榛名山中の「山岳ベース」と呼ばれた拠点内の狭い世界で「総括」と称してメンバーに反省を促す吊るし上げ、というよりあれこれ難癖つけ暴力を振るうリンチが発生し出した。
リンチはエスカレートしていき、寒い外に放り出されて凍死した者、「見込みがないから死刑」と宣告され残虐な方法で殺された者もおり結局12人が死亡。特にリーダーの森恒夫のコンプレックスから京大や早稲田の一流大学の出身者、恋愛関係にある者、過去にそうであった者、事実上の夫婦である者が一方的なレッテル貼りにより“処刑”されている。
一方で、永田洋子と坂口弘は内縁の夫婦でありながら、永田が森に心酔し忠実なる実行者であった事から目を付けられなかったが、坂口は内心森に反発していた為、事件終盤において遂に総括を言い渡されるが事件そのものの集結により有耶無耶にされて無事だった。

これら一連の事件を「山岳ベース事件」と呼ぶ。
これらの詳細は多数解説サイトがあるが、写真ではなく文章中心のものが多いとはいえ残虐な描写が多いためグロ耐性のない人は閲覧に注意

翌1972年警察の山狩りなどで追いつめられたメンバーは榛名ベースを出て妙義山に移ろうとしたが、山狩り中の警察官に遭遇したり、榛名ベース跡が警察に見つかるなどした為、長野県方面に逃げる事を決め移動を開始したものの、その過程で4人が逮捕される。しかもこの中には森と永田が含まれていた。
続いて軽井沢駅にて4人が逮捕され、残った5人が武装して長野県北佐久郡軽井沢町にある山荘に押し入り一般人である管理人の妻を人質にとって立てこもる事件を起こす。これが「あさま山荘事件」である。
山荘はやがて警察に包囲され、攻防戦の末に警察官2名、民間人1名の死亡者を出して制圧された。
この制圧の際に警察がクレーンで鉄球をぶつけたり放水したりといった様子がニュース映像として流され世間にインパクトを与えた。
あさま山荘事件の発生と山岳ベース事件の発覚によって、前年の9月に成田で発生した東峰十字路警察官殺害事件によって国民の間に芽生えた新左翼への嫌悪を決定的なものにし、既に下火になっていた学生運動への目がさらに冷たくなることになった。
組織のメンバーも殆どが逮捕され、山岳ベース事件の凄惨な実態も明らかになった。

なお、一連の山岳ベース事件において脱走した4人のメンバーは後にいずれも自首している。
彼らが軽井沢に行ったのは目的があったからではなく、雪の積もる道なき山中で迷い偶然軽井沢にでてしまっただけである。
軽井沢駅で警察に見つかったのは、駅の売店で新聞を買った際に余りの臭いの酷さに驚いた店員が不審に思い警察に通報したからである。彼らは数ヶ月風呂に入っていなかった。

その後

リーダーの森恒夫は獄中で自殺し、サブリーダーの永田洋子は死刑判決を受けたが執行前に病死。
その他のメンバーは現在も獄中にある者、出所して細々と暮らすものなど様々である。

組織は分裂を重ね、日本赤軍の支援組織や日本労働党に移ったものもいる。

なお共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派はその後マルクス主義青年同盟と名乗り、岡山で殺人事件を起こした。現在では「がんばろう、日本!」国民協議会と名を変え組織ごと保守団体となって存続している。また日本共産党(左派)や日本労働党も存続しており、選挙に立候補者をたてて一部の自治体では議席を持つこともある。


上記の事件は狭い世界で暴走していく人間の集団心理のサンプルとしても多くの人の興味を引き、多数のフィクションの題材にも使われている。

連合赤軍をモチーフとしたフィクション作品

映画

  • 食卓のない家
  • 光の雨

漫画



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テロリスト 日本赤軍 ディストピア

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