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あさま山荘事件

あさまさんそうじけん

1972年2月19日から2月28日にかけて起きた籠城事件
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概要

連合赤軍のメンバーである坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久が河合楽器の「浅間山荘」(正式には河合楽器健康保険組合の所有する「軽井沢保養所浅間山荘」)に当時31歳の山荘管理人の妻を人質に立てこもった事件。
山荘を包囲した警視庁と長野県警の機動隊が人質を救出しようとするが難航し、民間人1名と機動隊員2名の合計3名の死者を出し、報道関係者1名と機動隊員26名が重軽傷を負った。事件発生から10日目の2月28日に部隊が強行突入して人質を救出。犯人5名を全員逮捕した。
冬の軽井沢という酷寒の地で繰り広げられる警察と犯人グループの攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで中継され、現在も当時の映像を見ることが出来る。

エピソード

カップヌードル

マイナス15度にまで気温が低下する冬の軽井沢では隊員に支給された弁当は凍ってしまった。地元住民が炊き出しを行って温かい食事を提供したというエピソードが残っているが、その炊き出しにありつけたのは外周を警備していた長野県警の隊員のみで、最前線の警視庁隊員には、相変わらず凍った弁当しか支給できなかった。

そこで当時販売が開始されたばかりの日清カップヌードルが隊員に配給された。カップヌードルは手軽に調達・調理ができ、寒い中で長期の勤務にあたる隊員の士気向上にも役立った。テレビ中継で美味しそうにカップヌードルを頬張る隊員の様子が全国放送されたことから、商品の知名度が向上。販売開始の1971年度には2億円の売上だったのが1972年には67億円の売上を叩き出している。

余談だが、警視庁機動隊は「警視庁が購入し警視庁の隊員が水を汲んで運び警視庁のキッチンカーで湯を沸かして調理した」として、長野県警の隊員にカップヌードルを一個もあげなかった。このため、警視庁と長野県警の間に軋轢を生んだという。
もっとも、長野県警の隊員たちは住民が作った出来立ての食事を食べていたので当たり前といえば当たり前である。

鉄球作戦

解体工事用の鉄球で壁を破壊する場面が有名であるが、実はこの作戦は失敗に終わっている。一撃食らわせたところで、同乗していた機動隊員がバッテリーをうっかり蹴飛ばして壊してしまったのである。
この攻撃は、2階と3階を分断し、銃口を潰すにとどまっており、当初予定されていた「壁を破壊して突入口を開く」という目的は果たせずに終わっている。

また、この作戦は、このあさま山荘事件で初めて提案されたわけではなく、安田講堂事件でも発案されていた。しかしこの事件では、安田講堂が東京都指定の登録文化財第1号であり、破壊するのは忍びないという理由で当時の警視総監から却下されている。

なおこの作戦で使われた鉄球は、長野県内の鉄工所に現在でも保管されている。

生中継

1972年2月28日の突入作戦時にNHK・民放5社が犯人連行の瞬間まで中継しているが、このうち、NHK日本テレビTBSフジテレビの中継映像がVTRで残っている。地元局である長野放送はカラー中継に対応しない白黒映像の中継車を通じて犯人連行の瞬間を鮮明に中継。この事件を機にフジテレビは報道にも力を入れるようになった。また白黒カメラを暗視カメラとして活用するなど後のテレビ報道に少なからず影響を与えた。

治安

事件解決と山中に潜伏している恐れのある他のメンバー発見のために当時の長野県警の全警官のうち36%にあたる838名が山荘周辺に動員されていた。しかし事件が長期化することで後方治安について不安視されるようになったが、実際はその逆で犯罪件数、交通事故ともに減少傾向を示していた。というのも事件の様子が生中継で放送されており、それが異常な高視聴率を示していたことから在宅率が平時より高くなっていた。在宅率が高いということは自動車の絶対量が減り、空き巣も犯行を断念するから。また犯罪者もテレビ中継を見ていたことで犯罪を起こす気を起こさなかったという考察も見られる。

浅間山荘のその後

事件から10年ほどは観光名所となり、観光バスの周遊コースにもなっていた。その後大半を取り壊してアートギャラリーとなった後中国の企業が買収した。
事件当時新毛沢東主義を掲げたセクトが籠城した現場を、その毛沢東が建国した中国の企業に資本主義のルールによって買い取られるという何とも皮肉な形となった。

参加メンバーとその後

坂口弘

連合赤軍中央委員会書記長で序列は三位。本事件の主犯格であったが、連合赤軍の総括に思うところがあったようで逮捕後は武力革命の必要性を疑問視しはじめた。
その為クアラルンプール事件で超法規的に釈放されるの拒否し、法廷で戦うとして留まった。
裁判の結果、死刑判決を受けたが、まだ執行はされていない。

坂東國男

中央委員会序列五位。しかし委員長の森恒夫の独裁体制を副委員長の永田と共に強く支えた人物であり、ある意味では坂口以上に強い影響力があった。
クアラルンプール事件で超法規的措置により釈放され、日本赤軍に参加し政治的事件を繰り返す。
2001年に日本赤軍のリーダーの重信が解散宣言をしたが、それを受け入れず現在国際指名手配中。
なお、判決が下っているのに坂口の死刑が執行されないのは、共犯者である坂東の裁判が終了していないからである。

吉野雅邦

中央委員会序列七位。しかし幹部としては末席であり、立場はそれほど高くなかった。
妊娠中の妻を総括で死に追いやっており、そのことを非常に悔いている。
裁判では連合赤軍以前の犯罪が重く見られる一方、連合赤軍においては幹部でありながら潜在的な総括の対象者であり、本事件では殆ど坂口と坂東の指示に従っていた従犯と判定され、無期懲役の判決を受け、現在服役中。

加藤倫教

三兄弟で連合赤軍に参加しており、彼は次男である。長男は総括でリンチにあい死亡している。
当時はまだ未成年であったため、少年法が適用されて実名は隠され「少年A」と報道された。
1983年2月に懲役13年の刑が確定。1987年1月仮釈放。
釈放後は実家の農業を継ぐかたわら、野生動物・自然環境保護の団体に所属している。

加藤元久

倫教の弟で、同様に少年法が適用されて当時は「少年B」と報道された。
逮捕された時点で16歳であったため、保護処分だけですまされた。

本件を題材とした創作物

  • 映画『突入せよ!あさま山荘事件』

数多くの学生運動や新左翼のテロ事件に対する警備実施を指揮してきた、警察官僚で危機管理評論家でもある佐々淳行氏は、自身が指揮を務めたこの事件の詳細を書籍化し、1996年に文藝春秋より『連合赤軍「あさま山荘」事件』の題で出版。その後1999年に実戦「危機管理」連合赤軍「あさま山荘」事件の題で文庫化され、ベストセラーとなって現在でも販売されており、この書籍を原作として2002年に『突入せよ!あさま山荘事件』のタイトルで映画化された(但し、映画的ケレン味を重視して事実とフィクションを交えた作りとなっている)。
主演の役所広司佐々淳行氏を演じた他、宇崎竜童伊武雅刀天海祐希といった豪華キャストを据えて撮影された。興行成績は芳しくなかったが(監督を務めた原田眞人曰く「タイトルを救出せよ!にしとけばよかった」とのこと)、下積み時代の上地雄輔や無名時代の荒川良々等も出演しており、そこに注目してみるのも面白い。



  • 映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』
『突入せよ!あさま山荘事件』が警察側の視点からで描いているのに対し、事件を引き起こした連合赤軍側からの視点で、発端である山岳ベースでの凄惨なリンチ事件からあさま山荘事件に至るまでの過程を赤軍当事者達の証言に基づいてドキュメンタリータッチで描いた作品。
監督を務めた若松孝二は大の警察嫌いであり、『突入せよ!あさま山荘事件』を鑑賞した際、「権力側の視点からしか描かれていない」と不満を感じたことからカンパや自費を投じて制作し(若松監督は自宅を抵当に入れた他、終盤のあさま山荘での攻防戦は実際に若松監督自身の別宅をロケセットとして破壊しながら撮影された)、2007年に単館上映の後、2008年に全国公開された。
第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を、第63回毎日映画コンクールで監督賞、第32回山路ふみ子文化賞、第18回日本映画評論家大賞で作品賞を受賞するなど国内で多くの賞を受賞。
さらに2008年2月に開催された、世界三大映画祭の一つであるベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)をダブル受賞するという快挙を成し遂げた。



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