概要
リチャード・ミルハウス・ニクソン(英語:Richard Milhous Nixon、1913年1月9日 - 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第37代アメリカ合衆国大統領。ウォーターゲート事件により歴代で唯一辞任した大統領として知られる。
経歴
1913年1月9日にカリフォルニア州ヨーバリンダにて、クエーカー教徒の貧しい家庭に誕生した。1937年6月にデューク大学ロースクールを卒業し、1937年11月にカリフォルニア州で弁護士を務め、1942年6月に軍人として勤務した。
1947年1月にカリフォルニア州選出の連邦下院議員に就任し、アルジャー・ヒス事件に関する取り組みで、指導的な反共主義者としての評判が確立された。それによって全国的に有名になり、1950年12月に連邦上院議員に就任した。
1952年アメリカ合衆国大統領選挙で、共和党の大統領候補であるドワイト・D・アイゼンハワーから副大統領候補に選ばれた。1953年1月から1961年1月まで副大統領を2期8年務め、1960年アメリカ合衆国大統領選挙に立候補したが、民主党の大統領候補であるジョン・F・ケネディに僅差で敗北。その後の1968年アメリカ合衆国大統領選に再度出馬し、一般投票で民主党のヒューバート・ハンフリーを1パーセント未満の差で破り、独立党のジョージ・ウォレスも同様に破って勝利した。
1969年1月に大統領に就任し、1973年1月に徴兵制度の廃止・同年3月に泥沼化していたベトナム戦争からの撤退を実現した。1972年2月に中国を訪問してアメリカの多極外交の幕開けを告げ、同年5月にソ連と弾道弾迎撃ミサイル制限条約締結した。
徐々に連邦政府から州に権力を移譲し、90日間の賃金と価格統制・南部の学校の人種差別の撤廃・環境保護庁の設置などを実施。アポロ11号の月面着陸も見届け、その後は1972年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党のジョージ・マクガヴァンを破り、歴史的な地滑り的勝利で再選した。
1973年1月に2期目の大統領に就任したが、同年3月以降はニクソン政権がウォーターゲート事件に関与したことが明るみとなり、議会と国内での政権に対する信頼は失われた。1974年8月に弾劾と罷免がほぼ確実視され、ニクソンは歴代で初めて大統領を辞任した。辞任後は講演会や回想録の執筆・元大統領として外交面で活動を続けた。
1994年4月22日、ニューヨークにて脳卒中で死去。81歳没。
家族
1940年6月にテルマ・キャサリン・ライアンと結婚し、新婚旅行でメキシコを訪れた。夫妻はホイッティアで結婚生活を開始し、2人の子女が誕生した。
関連タグ
アメリカ合衆国大統領
リンドン・ジョンソン(前任)
ジェラルド・フォード(後任)
ニクマン候補(桃太郎電鉄USA)
バック・トゥ・ザ・フューチャー…PART2のビフ・タネンによって改変された1985年の新聞記事(エメット・ブラウンが精神病院に入ったという記事の隣にある)で一瞬のみ登場した。記事の見出しは「ニクソン、5回目の任期を願う。1985年までにベトナム戦争の終結を誓う。」というとんでもないものだった。