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生没年: 1913年7月14日 - 2006年12月26日

在任期間: 1974年8月9日 - 1977年1月20日


概要編集

本名はジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニア。

(出生時の名前はレスリー・リンチ・キング・ジュニアだったが、母親の再婚に伴い改名している)

ネブラスカ州オマハ出身。


共和党所属で第二次ニクソン政権時の副大統領。先代のニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後に大統領に就任した。


フォードはニクソン政権の当初の副大統領ではなく、先任のスピロ・アグニューが州知事時代の収賄容疑で立件され、辞任した後、大統領の指名と上下両院の承認を得て就任したのだった。選挙を経ずして就任した初の副大統領だった。


清廉潔白な人柄で、ウォーターゲート事件で大きく損なわれた政権、大統領の信用回復に貢献した一方、ニクソンに”恩赦”を与えてしまい真相解明にブレーキをかけた件で反感も買った。さらに事件への反発から民主党に多く議席を奪われた、いわゆる「ねじれ議会」を前に政権運営は困難を極めた。


1976年の大統領選挙で再選を目指すが、先代の引き起こしたウォーターゲート事件の傷は深くジミー・カーター氏に惜敗する。これにより、フォードは一度も選挙を経ることなく就任・退任した初の大統領となり、歴代でも唯一である。任期も2年164日と、死去による退任をのぞけば歴代最短である。


1980年の大統領選挙では、ロナルド・レーガンから副大統領候補の指名を受ける予定だったが、両者の意見が合わなかったことで政権への返り咲きはならなかった。


現役時代は、前政権から引き継いだアジア政策の一環で、日本や中国を公式訪問した以外は目立った成果は残せなかったが、誠実な人柄を慕い、賞賛する声は少なくなかった。柔軟な一面もあり、ニクソンの前代、民主党のジョンソン政権時代には、公民権法の成立に”超党派”で協力している。


現役当時の地味な業績にもかかわらず、1999年に当時のビル・クリントン大統領から合衆国自由勲章(文民に贈られる、アメリカでは最高位の勲章)を授与され、新型の原子力空母のネームシップ(クラス名)に名前を引き継がれるなど、高い評価を得ている件も、こうした人柄と、退任後の活動故だろう。


2006年12月26日、死去。享年93歳と165日。当時の大統領経験者としては最長寿の”大往生”だった(その後、ジョージ・H・W・ブッシュとジミーカーターに抜かれて現在は3番目である)。

翌年執り行われた国葬には、ジョージ・ブッシュ親子、クリントン、かつて選挙戦を争ったカーターら、現職・席代の大統領が参列し、別れを惜しんだ。


余談編集

  • スポーツマンでもあり、大学時代にはNFLデトロイト・ライオンズグリーンベイ・パッカーズからオファーが来たこともあった(が、プロ選手にはならなかった)。退任後はチャリティーゴルフにも精を出していた。腕前は”そこそこ”だったそうだが、「元大統領と一緒にコースを回る」という栄誉に与りたいゴルファーは数多く、相当な寄付を集め、社会に還元したという。
  • 現職の大統領としては初めて日本に公式訪問した大統領ではあるが、現在では日本人にとってはジェラルド・フォードというと空母だったり、空母を擬人化した美少女だったりと本人は影が薄い。

関連タグ編集

アメリカ合衆国大統領

共和党

ジェラルド・R・フォード


リチャード・ニクソン(先代) → ジェラルド・フォード → ジミー・カーター(次代)

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