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バラク・オバマ

ばらくおばま

アメリカ合衆国の政治家。第44代アメリカ合衆国大統領
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概要

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(英語:Barack Hussein Obama Jr.、1961年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。第44代アメリカ合衆国大統領。イリノイ州議会上院議員、同州選出連邦上院議員を歴任した。同国の大統領として初めて白人以外の人種から選出された大統領として注目を集めた(ただし母方は白人の家系である)。

所属政党は民主党で、歴代で最も不法移民を国外退去処分にした大統領である(Newsweek・2017年05月11日 不法移民に厳しいのはオバマだった)。弁護士の出身で、妻のミシェルは弁護士時代の先輩弁護士で、その間に2人の娘がいる。2008年アメリカ合衆国大統領選挙においてヒラリー・クリントンとの接戦の末に民主党の大統領候補に正式指名され、共和党のジョン・マケインを抑えて当選し、2009年1月20日にジョー・バイデンと共に就任した。2012年アメリカ合衆国大統領選挙において共和党の大統領候補であるミット・ロムニーを破って再選を勝ち取ったオバマは、2013年1月21日に2期目の大統領に就任した。

なおオバマの任期中にアメリカ合衆国の海外での評価は大幅に向上した。彼の大統領職は一般的に好意的に評価されており、歴史家・政治学者・一般市民の間での彼の大統領職に対する評価は、大統領の中で上位に位置している。オバマは2017年1月20日に退任し、現在もワシントンD.C.に居住している。

経歴

1961年8月4日にハワイ州ホノルルで誕生する。ハーバード大学ロー・スクールを卒業し、その後はシカゴに戻って有権者登録活動に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務した。人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して、1996年にイリノイ州の州議会上院議員(イリノイ州議会は両院制である。)の補欠選挙に当選を果たした。1998年と2002年に再選され、2004年の11月までイリノイ州議会上院議員を務めた。なお2000年に連邦議会下院議員選挙に出馬するも、オバマを「黒人らしくない」と批判した他の黒人候補に敗北した。

2003年1月に連邦上院議員選挙に民主党から正式に出馬を表明し、2004年3月に7人が出馬した予備選挙を得票率53パーセントで勝ち抜き、同党の指名候補となった。対する共和党指名候補は私生活でのスキャンダルにより撤退し、急遽別の共和党候補が立つが振るわず、2004年11月には共和党候補を得票率70パーセント対27パーセントの大差で破り、イリノイ州選出の連邦上院議員に初当選した。アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)であり、この時点で唯一の現職アフリカ系連邦上院議員であった。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙

2008年11月4日に全米で実施された大統領選挙(大統領選挙人選出選挙)においてオバマは、地元のイリノイ州・伝統的に民主党地盤である大票田のニューヨーク州(クリントン元候補の地元)・カリフォルニア州・ペンシルベニア州に加え、過去2回の大統領選挙で大激戦となったフロリダ州・オハイオ州・さらには長く共和党の牙城とされてきたバージニア州・ノースカロライナ州・インディアナ州でも勝利した。

また近年ヒスパニック系住民の増加が顕著な南西部のうちマケインの地元であるアリゾナ州以外の3州(コロラド州・ニューメキシコ州・ネバダ州)でも勝利を積み上げ、選挙人合計365人を獲得してマケイン(173人)を破り、大統領に確定した。一般投票の得票率は52.5パーセント(マケイン46.2パーセント)だった。獲得選挙人数はクリントン(1992年は370人で1996年は379人)には及ばなかったものの、得票率が50パーセントを越えたのは民主党候補では1976年のジミー・カーター以来だった。

大統領

1期目

2009年1月20日正午(ワシントンD.C.時間)に大統領就任式における宣誓をもって、オバマは第44代アメリカ合衆国大統領に正式に就任した。オバマは大統領就任宣誓をかねてからの予告通り、リンカーンが1861年3月の1期目の就任式で使用した聖書に左手を置いて行ったが、その際にジョン・ロバーツ最高裁判所長官が宣誓文を読み間違えたことを受け(20日の宣誓は法的には有効)、2009年1月21日にホワイトハウス内にて宣誓をやり直した。

アメリカ合衆国では黒人の大統領はオバマが初めてであり、就任時には共和党の支持者を含め、多くの黒人が感激で涙したという。ただし、オバマの父親はケニア(アフリカ)出身であるため、奴隷の子孫という訳では無い。なお黒人の出自の他にも、以下の特異な経歴などが注目された。

  • 大統領としては初のハワイ州出身である
  • 初の1960年代生まれの大統領である
  • 父がイスラム教徒であり、その一方で母方はアングロサクソン系の白人(アメリカでマジョリティとされる)であり、尚且つ先住民であるチェロキー族の血も引いている
  • 少年時代に海外(インドネシア)で長く生活していた
  • 現在のアメリカでは少数派の喫煙者であった(現在は禁煙した。)
  • 麻薬の使用経験を告白した

なおオバマの勝利後、アメリカ国内で銃器の売り上げが一時急増したという。これはオバマや副大統領候補のバイデンが銃規制に前向きであると見られていたからであり、オバマ政権発足後の銃規制強化を懸念した人々からの注文が増加しており、ライフルや自動小銃の売り上げが伸びているという。

2008年のサブプライムローン問題を起因とする経済危機に対しては、アメリカの信用回復を宣言するも中々積極的な政策をとれず、かなり苦慮を強いられた。金融規制改革に取り組んで一定の成果は上げたものの、ますます悪化が進むアメリカ国内の所得格差の拡大と格差社会(貧困問題)については目立った改善を見るに至らなかった。

保守派の反発で何度も頓挫していた国民皆保険制度の導入を政策として掲げ、2010年3月に法案を成立させて2014年1月より制度を開始させた。この制度はオバマの名を取ってオバマケアと呼ばれている。なおこの制度開始時の予算を巡っては、制度開始の延期を求める野党の共和党と折り合いがつかなかったため予算が成立せず、制度どころか政府施設が一時閉鎖されたり、アメリカ国債が債務不履行の危機に陥ったりするなど、国家全体が一時緊迫状態となった。

現職としては3人目のノーベル平和賞(受賞理由は「核兵器廃絶への取り組み」)を2009年10月に受賞した。これは就任時の政策として世界中からの核兵器廃絶を掲げたからだと思われる。ただ就任9ヶ月という具体的な成果がまだ無い状況での受賞には賛否両論が発生した。

2012年アメリカ合衆国大統領選挙

オバマは現職の大統領として、2012年アメリカ合衆国大統領選挙に再選を賭けて出馬した。9月の民主党全国大会で候補者に正式指名を受けると、アメリカ共和党候補者のミット・ロムニーと激しい選挙戦を展開し、第1回討論会などの結果を受けて一時は苦戦を伝えられた。

10月25日に現職の大統領として、初めて期日前投票をした。11月6日に選挙が執行され、ロムニーとの激しい接戦の末、大票田のカリフォルニア州・激戦区となったオハイオ州で勝利を収め、残り2州の結果を待たずに大統領選挙人を300人以上獲得して大統領の再選を勝ち取った。オバマの再選はハリケーン・サンディの対応が高く評価されて、最終的な後押しになったとの論評がある。

2期目

2013年1月20日に憲法の規定に基づき、ホワイトハウスにおいてジョン・ロバーツ最高裁判所長官、大統領夫人と2人の娘が立ち会う中で就任宣誓式を執り行い、オバマ政権の2期目が開始した。しかしこの日は日曜日であることから、翌日の1月21日に改めて連邦議会前にて正式な就任宣誓式を執り行うとされた。

2013年8月21日にかねてから内戦状態であったシリアの首都であるダマスカスの郊外で、化学兵器サリンが使用されたと報じられた。ジョン・ケリー国務長官は、シリア政府が使ったことは「否定できない」と発言するが、化学兵器の使用をシリア政府が行ったものか、反アサド政権組織が行ったものかは特定されなかった。こうした中、オバマは安保理の決議無しでもシリアへ軍事介入する姿勢を見せ、化学兵器の使用についてアサド政権によるものだとの結論に達したと述べ、また、イラク戦争と今回の違いを主張した。しかし、イギリスの参戦が見込めなくなり、また国内からのオバマに対する批判の声が多々挙がり、8月31日にオバマは連邦議会の承認を得た上でアサド政権に対する限定的な武力行使に踏み切ると表明した。オバマは議員との夕食会に参加し、武力介入の支持を求めている。

化学兵器の使用は反体制派に拘束されていた記者が反体制派内の会話から「欧米の軍事介入を誘発するために実施したものだ」と聞いている。また、調査報道記者のシーモア・ハーシュは、シリア内戦に参戦している反アサド政権組織アル=ヌスラ戦線がサリンの製造方法を熟知し、大量に製造する能力を持つという報告が既にオバマに対して上げられていたが、オバマは軍事介入への正当化の為、その情報を意図的に排除していたと指摘している。9月にシリアの化学兵器を国際的な管理のもとで廃棄していくこと、並びにシリアの化学兵器禁止条約への加盟をロシアは提案した。この提案にアメリカも合意をしたことからシリアへの侵攻は見送られた。

2013年9月27日にイランのハサン・ロウハーニー大統領と電話で会談した。これは1979年のイラン革命後初めてのアメリカ合衆国・イラン両国の首脳の接触となった。

2014年12月27日に1961年1月から断交状態だったキューバのラウル・カストロ国家評議会議長と国交正常化に向けた交渉を開始すると発表した。実は2013年よりカナダローマ教皇フランシスコを仲介役とした交渉を極秘裏に行っており、その目処が立ったことを受けての発表だった。そして2015年7月20日には両国に約半世紀ぶりに大使館が設置され、両国は正式に国交正常化を果たした。更に2016年3月20日には現職の大統領としては約90年ぶりにキューバを訪問した。

外交

イギリス

2009年3月にゴードン・ブラウン首相が訪問したが、イギリスの報道機関は首脳会談の時間が短いと指摘するなど、オバマ側の応対に懐疑的な論調が強まっていた。首脳会談に際してブラウンは、イギリス海軍の帆船の廃材を加工したペンホルダーをオバマに贈呈した。その帆船は奴隷貿易撲滅活動に参加した経歴を持ち、姉妹船の廃材はホワイトハウスの大統領執務室の机にも使われていることから、考え抜かれた贈答品であると評価されていた。ところがオバマからの返礼の品は、『スター・ウォーズ』など25枚のDVDであり、しかもイギリス国内では再生不可の規格の「リージョン1」であった。

同様に首相の妻であるサラ・ブラウンはオバマの娘たちのためにトップショップのドレス・ネックレス・イギリス人作家の本を贈ったが、ミシェルからの返礼の品はブラウンの男児のためのマリーンワンの玩具2つであった。さらにホワイトハウスによってサラとミシェルの会談の写真が公表されたが、公開された写真は1枚のみでサラの後頭部しか写っていなかった。これらの応対の様子が公になると、『デイリー・メール』が「無作法な対応」だと指摘し、『タイムズ』に至っては「これほどサラ夫人を見下し、自惚れた意思表示は無い。」と厳しく指摘するなど、火に油を注ぐ結果となった。

2009年4月にオバマ夫妻はバッキンガム宮殿を訪問したが、その際もミシェルはイギリス女王のエリザベス2世の背中に手を回して身体に触れるなど、外交儀礼を無視した行動をとった。

日本

日米安全保障条約を締結するなどアメリカと同盟関係にある日本との間では、沖縄県の普天間基地移設問題などで民主党政権に移行した日本政府との間で軋轢が生じた。

政権交代以前の2009年2月に日本から麻生太郎首相(当時)がアメリカを訪問し、オバマにとってはホワイトハウスで開催される初の外国首脳との会談となった。オバマとの首脳会談に際し、麻生ら日本側は外務省を通じて共同記者会見の開催を懇願したが、ホワイトハウスが拒否した為、共同記者会見は開催できなかった。なお日米首脳会談後に共同記者会見が開催されないのは極めて異例である。この麻生のアメリカ訪問の以前にアメリカはヒラリーを日本に派遣しているが、日本側は皇后とのお茶会を用意するなど、ヒラリーを閣僚クラスとしては破格のもてなしをしている(ヒラリー側の強い希望によるもので、宮内庁は外交儀礼上現職閣僚では無く元大統領夫人として招待した。)。そのため両国の対応の違いを比較して「アメリカは麻生政権を重視していないことの表れではないか。」(江田憲司)という批判的な解釈をする論者もあった。

2009年11月にシンガポールで開催されるAPEC首脳会議に出席する途中の13日にオバマは来日した(翌14日まで滞在した。)。本来12日に来日予定であったが、「テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件の追悼式に出席するため」として13日に変更された。13日から14日に渡る日本滞在では鳩山由紀夫首相主催の晩餐会と鳩山首相との首脳会談で「日米安保」について会談した。この会談でオバマは、鳩山が敬愛する第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの著作『勇気ある人々』の初版本を持参してプレゼントしている。なお同共同記者会見では9.11事件のムハマド被告の裁判に付いて触れ、公正な裁判が期待される旨を述べている(引用されたノーカット版では「モハメド被告は…厳しい形で裁かれる」と通訳されているが、大統領自身は「ジャスティス」という用語を用いており、「公正に裁かれる」の意味である。なおNHKではその様に通訳・報道されている。)。また、サントリーホールで特別に招待された小浜市長を含む日本国民を前に演説した。

さらに皇居御所(スケジュールの都合で宮殿ではなく、天皇の自宅に当たる御所となった。)で天皇・皇后と昼食会など準国賓並みの待遇を受けた。この時天皇と握手した際に最敬礼に近い角度で深々とお辞儀をしたが、アメリカ国内の一部の報道機関からは「大統領が他国の君主に対して頭を下げるのは不適切」との批判の声が挙がった。このお辞儀についてケリー報道官は11月16日の記者会見で「天皇に対する尊敬の表れ」と述べて問題は無いとし、さらに「日本の国家元首と初めて会う際に敬意を示すことは、大統領にとって自然な振る舞いだ」と述べた。退任後も日本を訪れ、安倍首相と会談して旧交を温めている。

2010年11月13日に菅直人首相との日米首脳会談で、日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りを支持することを表明した。またロシア・中国との領土問題での対応に苦慮する日本政府の立場を支持したり、北朝鮮による砲撃事件を契機として安全保障面での協力関係強化を主張するなど、日米同盟を基盤とした関係強化を重視した。

2014年4月24日に日本の安倍晋三首相と会談し、その後の記者会見で、日本の尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象であり、アメリカは防衛義務を負うことを表明した。

2016年5月27日に三重県志摩市でのサミットに参加するため来日した際、現職の大統領として初めて広島平和記念公園を訪問した。そこでは原爆慰霊碑への献花・原爆被害者との面会・広島平和記念資料館への訪問を行い、犠牲者を悼み核廃絶を目指すスピーチも行った。立場上原爆投下への謝罪はできず、日米両国及び諸外国で賛否両論はあったものの歴史的な行動であった。

この広島訪問を印象付けるものの中に折り鶴がある。広島平和記念資料館を訪れた際、自ら折った4羽の折り鶴をオバマは持参していた。この内2羽を同行していた広島の小中学生に渡し、もう2羽は直筆メッセージを書いて資料館の記帳台へ置いた。この4羽の折鶴は後に資料館に寄贈され、期間限定で一般展示された。また、2017年1月6日にもう1つの被爆地である長崎市にも折り鶴2羽を送っている。

メキシコ

メキシコはアメリカ合衆国と国境を接する国の1つであり、大統領就任前後に首脳会談を行うことが半ば慣例となっているなど両国関係は深い。しかし麻薬を巡る非難の応酬によりメキシコ首脳部が激怒する事態を招いた。

2009年1月12日にカルデロン大統領との非公式の首脳会談が行われたが、その直後アメリカ国防総省幹部が「メキシコはいつ崩壊してもおかしくない国」と名指しで批判したことが明らかになった。オバマ政権発足後も国務省が公文書中で「メキシコは失敗国家」と名指しで批判したことが発覚するなど、麻薬の蔓延が深刻化するメキシコへの批判が繰り返されたが、その中で世界最大の麻薬消費国であるアメリカについての自己批判や、アメリカの麻薬犯罪組織摘発の失敗などについては言及されなかった。

一方カルデロン大統領は麻薬撲滅を最重要政策の1つとして掲げており、捜査当局に摘発の強化を厳命した結果、およそ1年2ヶ月で捜査員や麻薬組織関係者ら約7300人の死者を出すほどの厳正な捜査が進められていた。ところが、その捜査によりアメリカ側の公務員が事件に関与していた疑いが強まり、アメリカの警察関係者800名近くが摘発されていた。このような経緯があるにも関わらず、一方的な非難が繰り返されたため、穏健な親米派と目されていたカルデロンが「麻薬撲滅の障害はアメリカの汚職だ。ギャングと癒着している自国の政府関係者もいるが、アメリカはもっと酷い。何人逮捕されていると思っているのか」と激怒する事態となった。さらにカルデロンは「麻薬問題が解決しないのはアメリカが最大の消費国だからだ」とも指摘している。

同年4月16日の首脳会談では、アメリカ国内の麻薬に対する需要がメキシコを混乱させた一因であることをオバマが自ら認め、メキシコとの関係改善を図っている。また、アメリカ合衆国からメキシコへの銃器の流入が麻薬組織と警察・軍との抗争を激化させている点も認めたが、流入防止の為の銃規制強化については実施する考えが無いことを明らかにした。

中華人民共和国

オバマ個人としては異父妹の夫が中国系カナダ人であり、また異母弟にも中国人の妻と結婚している者もいることから、親戚筋を通じて中国と関わりを持ってはいる。

政権発足当初は中華人民共和国との関係を深めようとする関与的な協調路線を採ったため、「親中派」であると評された事もあった。米中戦略経済対話の冒頭演説では、中国の思想家である孟子の教えを引用し、米中両国の相互理解を促した。また米中が緊密な協力関係を結ぶ新時代の幕開けへ向け、気候変動・自由貿易・イランの核開発問題など多くの課題で協力していく事で合意した。このような協力関係はG2と呼ばれた時期もあった。

2009年の米中首脳の会談の時点では、チベットと新疆ウイグルの独立問題・中華人民共和国と中華民国の間におけるいわゆる「台湾問題」では中華人民共和国の立場を尊重し、それに対して中国の胡錦濤国家主席(党総書記)は「アメリカ側の理解と支持を希望する」と述べた。他にオバマはダライ・ラマ14世のアメリカ訪問での会談を見送っており、人権派議員らに「北京への叩頭外交だ」と批判された。しかしオバマ政権はジョージ・W・ブッシュ前大統領と同じように、2010年に入ると台湾へ総額64億ドル(約5800億円)に上る大規模な武器売却を決定するなど、台湾関係法に準じた対応を行った。

2010年2月18日にオバマはアメリカを訪問したダライ・ラマ14世と会談した際、中華人民共和国政府と中国共産党は会談以前から猛烈な抗議と非難を行ったが、アメリカ政府は中国の抗議に取り合わない姿勢を表明していた。その後も中国政府はオバマとダライ・ラマの会談に対して最大限の非難を繰り返した。

2010年9月に東アジアの軍事バランスの変化を重要視するアメリカとASEAN諸国との共同声明において、南シナ海の資源を狙って軍事活動を行う中国の動きを牽制する内容が盛り込まれた。ただし、米中の信頼醸成のために環太平洋合同演習(リムパック)への中国の参加を認め、環境政策では協力できるとしてパリ協定に中国と同時批准を行った。退任後も釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席(党総書記)と会見して中国との交流を深めたいと表明している。

語録

  • Yes we can.

訳は「私達はできる。」。大統領に初当選する2008年アメリカ合衆国大統領選挙でスローガンのように使われ、スピーチでも多用されたオバマの代名詞的なフレーズである。2017年1月に行われた現役最後のスピーチでは、これをもじって「Yes we did.(私達はやった。)」と発言して大喝采を浴びた。

  • Change
訳は「変革」。「Yes we can.」と共に2008年アメリカ合衆国大統領選挙で多用された言葉で、こちらもオバマを象徴するフレーズの一つとなっている。

  • death fell from the sky and the world was changed.
訳は「空から死が降ってきて、世界は変わった。」。現職の大統領として初の広島訪問時に行われたスピーチの一文である。原爆投下はアメリカで戦争終結のきっかけという肯定的な事象であるため、現職の大統領のオバマは直接的な謝罪ができなかった。この文学的な表現は、そんな状況下で原爆投下の惨劇をいかに言い表すかを思案した結果のオバマ流の表現である。

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