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概要

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(英語:Barack Hussein Obama Jr.、1961年8月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。同国第44代大統領(任期:2009年1月20日 - 2017年1月20日)。イリノイ州議会上院議員、同州選出連邦上院議員を歴任した。同国の大統領として初めて白人以外の人種から選出された大統領として注目を集めた。ただし母方は白人の家系である。所属政党は民主党で、歴代で最も不法移民を国外退去処分にした大統領である。

経歴

初期

1961年8月4日にハワイ州ホノルルに誕生した。1991年6月にハーバード大学ロー・スクールを卒業した後、イリノイ州シカゴに戻って人権派弁護士として頭角を現した。

政治の道

1997年1月にイリノイ州議会上院議員となり、2004年11月まで務めた。

2003年1月に連邦上院議員選挙に民主党から正式に出馬を表明し、同党の指名候補となった。共和党候補がスキャンダルで撤退し、急遽別の候補にするなどの混乱もあったことで大差で勝利した。イリノイ州選出の連邦上院議員に初当選した。アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)であり、この時点で唯一の現職のアフリカ系連邦上院議員であった。

2008年11月の大統領選挙にて民主党の候補として出馬した。共和党の大統領候補であるジョン・マケインに勝利した。

大統領

1期目

2009年1月に執行された就任式を経て、第44代大統領に就任した。アメリカでは黒人の大統領はオバマが初めてであり、就任時には黒人だけでなく共和党の支持者までもが感激で涙したという。ただしオバマの父親はケニア(アフリカ)出身である為、奴隷の子孫という訳では無い。なお黒人の出自の他にも、以下の特異な経歴などが注目された。

  • 大統領としては初のハワイ州出身である。
  • 初の1960年代に誕生した大統領である。
  • 父がイスラム教徒であり、その一方で母方はアメリカでマジョリティとされるアングロサクソン系の白人であり、尚且つ先住民であるチェロキー族の血も引いている。
  • 少年時代に海外(インドネシア)で長く生活していた。
  • 現在のアメリカでは少数派の喫煙者であった(現在は禁煙した)。
  • 麻薬の使用経験を告白した。

2008年9月のサブプライムローン問題を起因とする経済危機に対しては、アメリカの信用回復を宣言するも中々積極的な政策をとれず、かなり苦慮を強いられた。金融規制改革に取り組んで一定の成果は上げたものの、ますます悪化が進むアメリカ国内の所得格差の拡大と格差社会(貧困問題)については目立った改善を見るに至らなかった。

保守派の反発で何度も頓挫していた国民皆保険制度の導入を政策として掲げ、2010年3月に法案を成立させて2014年1月より施行させた。この制度はオバマの名前を取ってオバマケアと呼ばれている。施行時の予算を巡っては、延期を求める野党の共和党と折り合いがつかなかったので予算が成立せず、政府施設の一時閉鎖・アメリカ国債が債務不履行の危機に陥るなど、国家全体が一時緊迫状態となった。

2009年10月に「核兵器廃絶への取り組み」を理由としてノーベル平和賞を受賞した。これは就任時の政策として世界中からの核兵器廃絶を掲げたからだと思われる。しかし就任から9ヶ月という具体的な成果がまだ無い状況での受賞には賛否両論が発生した。

2012年11月の大統領選挙では2期目の再選を賭けて出馬した。民主党全国大会で党の正式指名を受けると、共和党の大統領候補であるマサチューセッツ州のミット・ロムニー前州知事と激しい選挙戦を展開した。

現職の大統領として初めて期日前投票を実施した。ロムニーとの激しい接戦の末、大票田のカリフォルニア州・激戦区となったオハイオ州で勝利を収め、残り2州の結果を待たずに選挙人を300人以上獲得して大統領の再選を勝ち取った。オバマの再選は同年10月に発生したハリケーン・サンディの対応が高く評価されて、最終的な後押しになったとの論評がある。

2期目

2013年8月に内戦状態にあるダマスカス(シリアの首都)の郊外で、化学兵器のサリンが使用されたと報じられた。ジョン・ケリー国務長官は、シリア政府が使ったことは「否定できない」と発言するが、化学兵器の使用をシリア政府が行ったものか、反アサド政権組織が行ったものかは特定されなかった。こうした中、オバマは安保理の決議無しでもシリアへ軍事介入する姿勢を見せ、化学兵器の使用についてアサド政権によるものだとの結論に達したと述べ、イラク戦争と今回の違いを主張した。しかしイギリスの参戦が見込めなくなり、また国内からのオバマに対する批判の声が多々挙がり、結局オバマは連邦議会の承認を得た上でアサド政権に対する限定的な武力行使に踏み切ると表明した。オバマは議員との夕食会に参加し、武力介入の支持を求めている。

同年9月にロシアはシリアの化学兵器を国際的な管理のもとで廃棄し、シリアの化学兵器禁止条約への加盟を提案した。この提案にアメリカも合意した事からシリアへの軍事侵攻は見送られた。

イランのハサン・ロウハーニー大統領と電話で会談し、1979年2月のイラン革命後としては初となる両国の首脳の接触となった。

2014年12月にキューバのラウル・カストロ国家評議会議長と国交正常化に向けた交渉を開始すると発表した。同国とは1961年1月以来外交関係を断絶していたが、2013年6月からカナダローマ教皇フランシスコを仲介役とした交渉を極秘裏に行っており、その目処が立ったことを受けての発表だった。2015年7月に両国に大使館が設置され、正式に外交関係を樹立した。2016年3月に現職の大統領としては、1928年1月のカルビン・クーリッジ元大統領以来88年ぶりにキューバを訪問した。

2017年1月20日に任期満了で退任し、現在もワシントンD.C.に居住している。

外交

イギリス

2009年3月にゴードン・ブラウン首相が訪問したが、イギリスの報道機関は首脳会談の時間が短いと指摘するなど、オバマ側の応対に懐疑的な論調が強まっていた。同年4月にオバマ夫妻はバッキンガム宮殿を訪問したが、その際もミシェルはイギリス女王のエリザベス2世の背中に手を回して身体に触れるなど、外交儀礼を無視した行動をとった。

日本

2009年2月に日本から麻生太郎首相(当時)がアメリカを訪問し、オバマにとってはホワイトハウスで開催される初の外国首脳との会談となった。

同年11月にシンガポールで開催されるAPEC首脳会議に出席する途中に訪日した。日本の鳩山由紀夫首相との首脳会談で「日米安保」について会談し、この会談でオバマは鳩山が敬愛するジョン・F・ケネディ元大統領の著作である『勇気ある人々』の初版本を持参してプレゼントしている。

皇居御所で天皇・皇后と昼食会など準国賓並みの待遇を受けた。この時天皇と握手した際に最敬礼に近い角度で深々とお辞儀をしたが、アメリカ国内の一部の報道機関からは「大統領が他国の君主に対して頭を下げるのは不適切。」との批判の声が挙がった。このお辞儀についてケリー報道官は記者会見で「天皇に対する尊敬の表れ。」と述べて問題は無いとし、さらに「日本の国家元首と初めて会う際に敬意を示すことは、大統領にとって自然な振る舞いだ。」と述べた。退任後も日本を訪問し、安倍首相と会談して旧交を温めている。

2010年11月に菅直人首相との首脳会談で、日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りの支持を表明した。またロシア・中国との領土問題での対応に苦慮する日本政府の立場を支持し、同時期に発生した延坪島砲撃事件を契機として安全保障での協力関係の強化を主張するなど、日米同盟を基盤とした関係強化を重視した。

2014年4月に安倍晋三首相と会談し、その後の記者会見で「日本の尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象であり、アメリカは防衛義務を負う」事を表明した。

2016年5月に三重県志摩市でのサミットに参加する為に訪日し、現職の大統領として初めて広島平和記念公園を訪問した。そこでは原爆慰霊碑への献花・原爆被害者との面会・広島平和記念資料館を訪問し、犠牲者を悼んで核兵器の廃絶について演説した。立場上原爆投下への謝罪はできず、日米両国及び諸外国で賛否両論はあったものの歴史的な行動であった。

メキシコ

大統領就任前後に首脳会談を開催する事が半ば慣例となっているなど両国関係は深いが、麻薬を巡る非難の応酬によってメキシコの首脳部が反発する事態を招いた。

2009年1月にフェリペ・カルデロン大統領との非公式の首脳会談が開催されたが、その直後に国防総省の幹部が「メキシコはいつ崩壊してもおかしくない国」と名指しで批判したことが明らかになった。オバマ政権発足後も国務省が公文書中で「メキシコは失敗国家」と名指しで批判したことが発覚するなど、麻薬の蔓延が深刻化するメキシコへの批判が繰り返されたが、その中で世界最大の麻薬消費国であるアメリカについての自己批判・アメリカの麻薬犯罪組織摘発の失敗などについては言及されなかった。

同年4月の首脳会談では、アメリカ国内の麻薬に対する需要がメキシコを混乱させた一因であることをオバマが自ら認め、メキシコとの関係改善を図っている。また、アメリカ合衆国からメキシコへの銃器の流入が麻薬組織と警察・軍との抗争を激化させている点も認めたが、流入防止の為の銃規制強化については実施する考えが無いことを明らかにした。

中華人民共和国

異父妹の夫が中国系カナダ人であり、また異母弟にも中国人の妻と結婚している者もいる事から、親戚筋を通じて中国と関わりを持っている。

政権発足当初は中華人民共和国との関係を深めようとする関与的な協調路線を採ったため、「親中派」であると評された事もあった。米中戦略経済対話の冒頭演説では、中国の思想家である孟子の教えを引用し、米中両国の相互理解を促した。また米中両国が緊密な協力関係を結ぶ新時代の幕開けへ向け、気候変動・自由貿易・イランの核開発問題など多くの課題で協力していく事で合意した。このような協力関係はG2と呼ばれた時期もあった。

2009年11月の米中首脳の会談の時点では、チベットと新疆ウイグルの独立問題・両岸の間におけるいわゆる「台湾問題」では中華人民共和国の立場を尊重し、それに対して胡錦濤党総書記は「アメリカ側の理解と支持を希望する」と述べた。他にオバマはダライ・ラマ14世のアメリカ訪問での会談を見送っており、人権派議員らに「北京への叩頭外交だ」と批判された。しかしオバマ政権はジョージ・W・ブッシュ前大統領と同じように、2010年に1月に台湾へ総額64億ドル(約5800億円)に上る大規模な武器売却を決定するなど、台湾関係法に準じた対応を取った。

同年2月にオバマはアメリカを訪問したダライ・ラマ14世と会談した際、共産党政府は会談以前から猛烈な抗議と非難を行ったが、アメリカ政府は中国の抗議に取り合わない姿勢を表明していた。その後も中国政府はオバマとダライ・ラマの会談に対して最大限の非難を繰り返した。

同年9月に東アジアの軍事バランスの変化を重要視するアメリカとASEAN諸国との共同声明において、南シナ海の資源を狙って軍事活動を行う中国の動きを牽制する内容が盛り込まれた。ただし米中両国の信頼醸成のために環太平洋合同演習(リムパック)への中国の参加を認め、環境政策では協力できるとしてパリ協定に中国と同時に批准した。退任後も釣魚台国賓館で習近平党総書記と会見して中国との交流を深めたいと表明している。

家族

1992年10月にミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年7月に長女のマリア・2001年6月に次女のサーシャが誕生した。ミシェルは弁護士時代の先輩であり、1989年6月に出会った。

2006年10月のインタビューで、オバマは拡大家族の多様性を強調した。

語録

  • Yes we can.

訳は「私達はできる。」である。大統領に初当選する2008年11月の大統領選挙でスローガンのように使われ、スピーチでも多用されたオバマの代名詞的なフレーズである。2017年1月に行われた現役最後のスピーチでは、これをもじって「Yes we did.(私達はやった。)」と発言して大喝采を浴びた。

  • Change
訳は「変革」。「Yes we can.」と共に2008年11月の大統領選挙で多用された言葉で、こちらもオバマを象徴するフレーズの一つとなっている。

  • death fell from the sky and the world was changed.
訳は「空から死が降ってきて、世界は変わった。」。現職の大統領として初の広島訪問時に行われたスピーチの一文である。原爆投下はアメリカで戦争終結のきっかけという肯定的な事象であるため、現職の大統領のオバマは直接的な謝罪ができなかった。この文学的な表現は、そんな状況下で原爆投下の惨劇をいかに言い表すかを思案した結果のオバマ流の表現である。

余談

  • 2009年1月の大統領就任の宣誓には、リンカーンが1861年3月の1期目の就任式で使用した聖書に左手を置いて執行したが、その際にジョン・ロバーツ最高裁判所長官が宣誓文を読み間違えたことを受け(20日の宣誓は法的には有効)、翌21日にホワイトハウス内にてやり直している。
  • 任期中にアメリカの海外での評価は大幅に向上したとされる。オバマの大統領職は一般的に好意的に評価されており、歴史家・政治学者・一般市民の間での彼の大統領職に対する評価は、大統領の中で上位に位置している。
  • オバマの勝利後、アメリカ国内で銃器の売り上げが一時急増した。これはオバマやバイデン副大統領が銃規制に前向きであると見られていたからであり、政権発足後の銃規制強化を懸念した人々からの注文が増加し、ライフルや自動小銃の売り上げが伸びたという。



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