概要
所属国 | アメリカ合衆国 |
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出生日(2024年12月時点) | 1961年8月4日(63歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 ハワイ州ホノルル |
所属政党 | 民主党 |
出身校 | オクシデンタル大学・コロンビア大学・ハーバード大学 |
宗教 | キリスト教プロテスタント |
配偶者(2024年12月時点) | ミシェル・ロビンソン(婚姻期間:1992年10月 - 継続) |
子女 | 2人 |
バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(英語:Barack Hussein Obama Jr.、1961年8月4日 - 存命中)は、アメリカ合衆国の政治家。第44代アメリカ合衆国大統領。ケニア人の父とアメリカ人の母との間に誕生し、初めて白人以外の人種から選出された大統領として注目を集めた。歴代の大統領で最も不法移民を国外に退去させる措置を実行し、在任していた時に300万人以上の移民を強制送還した。名前の「バラク」は「神に祝福されし者」を意味するスワヒリ語であり、姓の「オバマ」はケニアに住むルオ族に見られる姓である。
経歴
初期
1961年8月4日にハワイ州ホノルルで、女性と子供のためのカピオラニ・メディカル・センターで誕生した。1983年5月にコロンビア大学を政治学学士号を取得して卒業した後、イリノイ州シカゴでコミュニティ・オーガナイザーとして活躍した。1988年9月にハーバード・ロー・スクールに入学し、そこでハーバード・ロー・レビューという法学雑誌で黒人初の編集長を務めた。
政界
1992年8月にシカゴ大学ロースクールで教員として教鞭を執り、2004年11月に連邦上院議員に選出されるまでは、ここで憲法を教えた一方で選挙政治にも携わった。1997年1月にイリノイ州議会上院議員を務め、2004年11月に連邦上院議員選挙に立候補して当選した。2005年1月に連邦上院議員(イリノイ州選出)に就任し、黒人議会議員団で唯一の連邦上院議員となった。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙
2008年アメリカ合衆国大統領選挙では予備選挙でヒラリー・クリントン連邦上院議員と接戦を繰り広げた。同年6月に民主党の大統領候補に正式指名され、同年8月にジョー・バイデン連邦上院議員を副大統領候補とした。本選挙で共和党のジョン・マケイン連邦上院議員とアラスカ州のサラ・ペイリン州知事のペアと一戦を交え、365人の選挙人を獲得して勝利した。
大統領
1期目
2009年1月に第44代アメリカ合衆国大統領に就任し、その行動は経済を大幅な不況から回復させる為の大規模な景気刺激策・前任の政権での部分的な減税の延長・医療保険制度改革法案・イラクでの大規模なアメリカ軍の駐留終了などを含んでいた。ソニア・ソトマイヨールとエレナ・ケーガンを連邦最高裁判所判事に任命し、ソニアはヒスパニック系アメリカ人として初の判事となった。
テロとの闘い
2011年4月にアメリカ同時多発テロの首謀者にして、アルカイダの初代司令官であるウサマ・ビンラディンを殺害するべくネプチューン・スピア作戦を命令し、テロとの戦いの成果と強調して国内外での報復テロなどに対する警戒を緩めない方針を強調した。更に「アメリカの安全が脅かされる事態に甘んじる事は決して無い。」と述べ、今後も同盟国などと連携しながらテロとの戦いを継続すると訴えた。同年3月に採択された安保理決議を履行するべくリビアに対する軍事的な関与を命令し、ムアンマル・アル・カダフィを打倒するのに貢献した。
2012年アメリカ合衆国大統領選挙
2012年アメリカ合衆国大統領選挙では再選を目指して出馬を表明し、ジョー・バイデン副大統領を引き続き副大統領候補に選択した。本選挙では共和党のマサチューセッツ州のミット・ロムニー前州知事とポール・ライアン連邦下院議員のペアと一戦を交え、332人の選挙人を獲得して大統領の再選を勝ち取った。オバマが再選されたのは同年10月にハリケーン・サンディが発生した時の対応が高く評価され、これが最終的な後押しになったとの論評がある。
2期目
2013年1月に2期目の任期が開始されてからは気候変動と闘う措置を講じ、CO2(二酸化炭素)排出量を制限する行動計画を発表すると共にパリ協定を批准した。一方で1期目の時に可決された医療費負担適正化法やその他の法案の施行を主宰し、イランと核合意を交渉してキューバとの外交関係を正常化した。アフガニスタンに駐留しているアメリカ軍兵士の数は政権の2期目で劇的に減少したが、結局自身の在任中に兵員は一貫してアフガニスタンに留まった。
LGBT
LGBTでのアメリカ人の包摂を推進し、大統領に在任していた2015年6月に連邦最高裁判所は、オーバーゲフェル対ホッジス事件で同性結婚を禁止する事は憲法に違反するとしてこれを無効とした。この裁判は5対4という僅差の評決で決定し、ある州で正式に結婚を認定された同性のカップルには、他の全ての州でも正式に結婚する資格を認定する事が義務になった。
退任後
2017年1月に2期8年の任期を満了して大統領を退任した後も、引き続きワシントンD.C.に居住している。シカゴにある大統領図書館は2021年8月に建設が開始され、退任した後も自身は民主党の政治に積極的に参加し続けている。2020年アメリカ合衆国大統領選挙では自身の政権で副大統領を務めたバイデンが当選するなど、様々な選挙で候補者の選挙運動を実施して来た。
外交
日本
安全保障
2010年11月に菅直人総理との首脳会談で、日本が国際連合安全保障理事会常任理事国になる事に支持を表明した。一方でロシア・中国との領土問題で対応に苦慮する日本の立場を支持し、同月に延坪島砲撃事件が発生したのを契機として、日米同盟を基盤とした両国の同盟関係を重視した。2014年4月に安倍晋三総理と会談し、両名はその後の記者会見で「日本の尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用対象であり、アメリカは防衛義務を負う。」と表明した。
広島訪問
2016年5月に三重県志摩市でのサミットに参加する為に日本を訪問し、現職の大統領として初めて広島平和記念公園を訪問した。そこでは原爆慰霊碑へ献花・原爆被害者との面会・広島平和記念資料館を訪問し、犠牲者を悼んで核兵器の廃絶について演説した。立場上原爆投下についての謝罪は出来ず、日米両国・諸外国で賛否両論はあったものの歴史的な行動であった。
キューバ
2014年12月にラウル・カストロ国家評議会議長と会談し、外交関係の正常化に向けた交渉を開始すると発表した。1961年1月にアメリカはキューバと外交関係を断絶したが、2013年6月からカナダとローマ教皇フランシスコを仲介役として極秘裏に交渉しており、その目処が立ったのを受けての発表であった。2015年7月に両国に大使館が設置されて正式に外交関係を樹立し、2016年3月に現職の大統領としては、1928年1月のクーリッジ元大統領以来88年振りにキューバを訪問した。
メキシコ
オバマ政権の優先事項としては高くなかったが、安全保障の問題に関してはゆっくりとした進展が見られた。
アルゼンチン
2016年3月にアルゼンチンを公式訪問し、マウリシオ・マクリ大統領と会談して安全保障・エネルギー・健康・人権の分野など普遍的な価値と利益を促進する為の協力を強化する方法について協議した。オバマはラテンアメリカ地域と世界に於けるアルゼンチンの信頼性を高めるべく両国の新たな時代を宣言し、両国の友好関係を再び構築する為の貿易と経済の取り組みを発表した。
イギリス
2009年3月にゴードン・ブラウン首相がアメリカを訪問したが、イギリスの報道機関は首脳会談の時間が短いと指摘するなどオバマの応対に懐疑的な論調が強まっていた。同年4月に妻のミシェルとイギリスを訪問した際、ミシェルがエリザベス2世の背中に手を回して身体に触れるなど外交儀礼を無視した行動に出た。2011年5月にイギリスを国賓として訪問し、議会での演説で両国の同盟関係が再び確認された。この演説ではイギリスとヨーロッパのより強力なリーダーシップと、大西洋を越えたグローバルなパートナーシップの必要性を訴えた。
イタリア
オバマ政権では両国の友好関係が築かれたが、その優先事項とアプローチの転換はイタリアの外交政策が実行される状況を変えた。2013年10月にホワイトハウスでイタリアのエンリコ・レッタ閣僚理事会議長を迎え、この訪問は両国の同盟関係を浮き彫りにした。
中華人民共和国
異父妹の夫が中国系カナダ人であり、異母弟にも中国人の妻と結婚している者も居る事から、親戚筋を通じて中国と関わりを持っている。政権が発足した当初は中国との関係を深めようとする関与的な協調路線を採った事から親中派と評された事もあり、米中戦略経済対話冒頭演説では中国の思想家である孟子の教えを引用して米中両国の相互理解を促した。また米中両国が緊密な協力関係を結ぶ新時代の幕開けへ向け、気候変動・自由貿易・イラン核開発問題など多くの課題で協力していく事で合意し、この様な協力関係はG2と呼ばれた時期もあった。
シリア
2013年8月に兼ねてから内戦状態であったダマスカス市郊外で化学兵器であるサリンが使用されたと報じられ、ジョン・フォーブズ・ケリー国務長官はシリア政府が使用した事は「否定出来ない。」と発言した。しかし化学兵器をシリア政府が使用したものか、反アサド政権組織がそうしたものかは特定されなかった。こうした中でオバマは安保理決議が無くてもシリアへ介入する姿勢を見せ、化学兵器の使用についてアサド政権によるものであるとの結論に達したと述べた。
しかしイギリスの参戦が見込めなくなり、国内から自身に対する批判の声が多々挙がった。結局連邦議会での承認を得た上でアサド政権に対する限定的な武力行使に踏み切ると表明し、オバマは議員との夕食会に参加して軍事介入の支持を求めていた。2013年9月にロシアはシリアの化学兵器を国際的な管理によって廃棄し、シリアが化学兵器禁止条約に加盟するよう提案した。最終的にアメリカがこの提案に合意した事から、シリアに対する軍事侵攻に踏み切るのは中止された。
イラン
2013年9月にイランのハサン・ロウハニ大統領と電話で会談し、1979年2月にイラン革命が発生した後としては初めて両国の首脳が接触した。
家族
1992年10月にミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年7月に長女のマリア・2001年6月に次女のサーシャが誕生した。2006年10月のインタビューでは拡大家族の多様性を強調した。
語録
- Yes we can.
訳は「私達は出来る」である。大統領に初当選する2008年アメリカ合衆国大統領選挙でスローガンのように使われ、スピーチでも多用されたオバマの代名詞的なフレーズである。2017年1月に行われた現役最後のスピーチでは、これをもじって「Yes we did.(私達はやった)」と発言して大喝采を浴びた。
- Change
訳は「変革」。「Yes we can.」と共に2008年アメリカ合衆国大統領選挙で多用された言葉で、こちらもオバマを象徴するフレーズの1つとなっている。
- death fell from the sky and the world was changed.
訳は「空から死が降って来て、世界は変わった」。現職大統領として初の広島訪問時に行われたスピーチの一文である。原爆投下はアメリカで戦争を終結させた契機という肯定的な事象である為、現職の大統領であるオバマは直接的な謝罪が出来なかった。この文学的な表現はそんな状況下で原爆投下の惨劇をいかに言い表すかを思案した結果のオバマならではの表現である。
余談
- 2009年1月に大統領就任式で実施した宣誓は、リンカーン元大統領が1861年3月に1期目の就任式で使用した聖書に左手を置いて執行した。その際にジョン・ロバーツ最高裁長官が宣誓文を読み間違えた為、20日の宣誓は法的には有効であるものの、翌21日にホワイトハウス内でやり直している。
- 任期中にアメリカの海外での評価は大幅に向上したとされる。オバマの大統領職は一般的に好意的に評価されており、歴史家・政治学者・一般市民間での彼の大統領職に対する評価は、大統領の中で上位に位置している。
- 一方でそのリベラル左派としての手腕から、本国の右翼層からは「社会主義者」と揶揄される事がある。
- オバマ勝利後にアメリカ国内で銃器売上が一時急増した。これはオバマやバイデンが銃規制に前向きであると見られていたからである。政権が発足した後に銃規制が強化されることを懸念した人々からの注文が増加し、ライフルや自動小銃売上が伸びたという。
- 『大乱闘スマッシュブラザーズ』ではキャプテン・ファルコン使いであることが、2023年に発覚した。
- 大統領を退任した後の2018年3月に来日し、その時に安倍元総理と対談した後、ワールドメイト教祖である深見東州と対談した。
- 前述の通りアフリカ系ではあるが、アフリカ系アメリカ人の最大多数派である、いわゆる「奴隷の子孫」ではない(アメリカ人に連れて来られた黒人奴隷の大半がアフリカ西海岸系であるが、彼の父親はアフリカでも東海岸系)。
- ただし遺伝子検査の結果、西アフリカ系DNAも検出されている。これはほぼ純粋な白人系と思われていた母方にも、実は「アメリカに連れて来られたアフリカ系奴隷」の先祖が僅かながら居た為と思われる。
関連タグ
ボブとはたらくブーブーズ:彼の言葉「Yes we can.」の元ネタ。
ヨゴシマクリタイン:彼の言葉「Yes we can.」をまんま使っている。