概要
イギリス首相(イギリスしゅしょう、英語:Prime Minister of the United Kingdom)は、イギリスの政府(国王陛下の政府)の長で、閣議の議長を務める。議会が制定した法律に従った行政権を、君臨すれども統治せずの国王または女王に代わって実質的に執行する最高責任者である。
歴史
成立の背景
1714年8月に先代のアン女王が崩御し、新たに即位したジョージ1世がドイツ生まれである事から英語を解せず、以前の君主と違って行政権が臣下の政府に委任されるようになった事に始まる。1721年4月に第一大蔵卿に就任したロバート・ウォルポールは議会の与党から支持されて閣議を主宰し、1742年2月までイギリスの行政を取り仕切った。ウォルポールの政権運営は後世で言う議院内閣制に当たり、後任の第一大蔵卿たちも同じ慣習に従い、閣議を主宰して行政を取り仕切った。
この第一大蔵卿をやがて非公式に首相と呼ぶようになったが、元々は国王が執行するべき国政全体の差配を臣下であるウォルポールが越権している事についての皮肉が籠っており、ウォルポールも公式にはこの称号を承認しなかった。しかし後継者が代々この立場を継承する事によって、プライム・ミニスターの称号にも相応の権威が発生していった。
名称
1878年7月にベルリン条約が締結された時、ベンジャミン・ディズレーリが首相を名称として最初に使用した。この名称は1937年7月に国王大臣法が成立して規定されたが、外交文書ではこれ以前に使用されている。首相は国家公務員の長として官僚たちを指揮する国家公務員担当大臣(1968年11月に新設)を兼務し、今は逆に首相が兼任する肩書きの中に第一大蔵卿が含まれている。
第一大蔵卿
元々第一大蔵卿は国家財政を司る大蔵卿委員会の筆頭の事であり、第一大蔵卿が実質的な首相の任務を執行するようになってからは次席の第二大蔵卿が財政を担当する大臣となり、現代では財務大臣が兼任する肩書きが第二大蔵卿となっている。
選出と責任
慣習法(憲法的習律)によって議会の庶民院(下院)議員の中から、国王または女王によって選出される。議会は首相を指名する選挙などは実施せず、あくまでも庶民院から最も信任される者を選出するという慣習に従って君主が選出するシステムである。
最初は総選挙で庶民院の過半数の議席を獲得した政党があれば、その党首が国王または女王に謁見して任命される。第一党が過半数を得なかった場合は、政党間の連立交渉を国王も見守り、連立によって過半数を確保した党首が謁見して任命される。例外的な事例として1974年2月に庶民院の総選挙が実施された時は、連立交渉が失敗して過半数を得る政党が無くなってしまったが、この結果第一党である労働党の党首を女王が任命している。
首相と内閣は一体として庶民院に対して責任を負い、庶民院が内閣の責任を問うには内閣不信任案を可決するという方法がある。もし内閣不信任案が可決された場合、首相が総辞職する・国王または女王に求めて庶民院の解散総選挙を実施するかの選択を迫られる。
官邸
イギリスの首相官邸はダウニング街10番地に設置されており、元々は第一大蔵卿のウォルポールに国王が私的に与えた屋敷だったが、ウォルポールがこの場所を公的な官邸として用いるべきとして後任に譲った。こうして慣習的にダウニング街10番地が第一大蔵卿の官邸となり、現在は実質的な首相官邸として機能している。
歴代首相
代数 | 氏名 | 所属 | 在任期間 | 特記事項 |
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初代 | ロバート・ウォルポール | ホイッグ党 | 1721年4月 - 1742年2月 | |
第2代 | スペンサー・コンプトン | ホイッグ党 | 1742年2月 - 1743年7月 | |
第3代 | ヘンリー・ペラム | ホイッグ党 | 1743年8月 - 1754年3月 | |
第4代 | トマス・ペラム=ホールズ | ホイッグ党 | 1754年3月 - 1756年11月 | |
第5代 | ウィリアム・キャヴェンディッシュ | ホイッグ党 | 1756年11月 - 1757年6月 | |
第6代 | トマス・ペラム=ホールズ | ホイッグ党 | 1757年7月 - 1762年5月 | |
第7代 | ジョン・ステュアート | トーリー党 | 1762年5月 - 1763年4月 | |
第8代 | ジョージ・グレンヴィル | ホイッグ党 | 1763年4月 - 1765年7月 | |
第9代 | チャールズ・ワトソン=ウェントワース | ホイッグ党 | 1765年7月 - 1766年7月 | |
第10代 | ウィリアム・ピット(大ピット) | ホイッグ党 | 1766年7月 - 1768年10月 | |
第11代 | オーガスタス・フィッツロイ | ホイッグ党 | 1768年10月 - 1770年1月 | |
第12代 | フレデリック・ノース | トーリー党 | 1770年1月 - 1782年3月 | アメリカ合衆国が独立を宣言した当時の首相。 |
第13代 | チャールズ・ワトソン=ウェントワース | ホイッグ党 | 1782年3月 - 1782年7月 | |
第14代 | ウィリアム・ペティ | ホイッグ党 | 1782年7月 - 1783年4月 | |
第15代 | ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク | ホイッグ党 | 1783年4月 - 1783年12月 | アメリカ合衆国の独立を承認するパリ条約が締結された当時の首相。 |
第16代 | ウィリアム・ピット(小ピット) | トーリー党 | 1783年12月 - 1801年3月 | |
第17代 | ヘンリー・アディントン | トーリー党 | 1801年3月 - 1804年5月 | |
第18代 | ウィリアム・ピット(小ピット) | トーリー党 | 1804年5月 - 1806年1月 | 在任中に死亡した。 |
第19代 | ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル | ホイッグ党 | 1806年2月 - 1807年3月 | |
第20代 | ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク | トーリー党 | 1807年3月 - 1809年10月 | |
第21代 | スペンサー・パーシヴァル | トーリー党 | 1809年10月 - 1812年5月 | 在任中に暗殺された。 |
第22代 | ロバート・バンクス・ジェンキンソン | トーリー党 | 1812年6月 - 1827年4月 | |
第23代 | ジョージ・カニング | トーリー党 | 1827年4月 - 1827年8月 | 在任中に死亡した。 |
第24代 | フレデリック・ジョン・ロビンソン | トーリー党 | 1827年8月 - 1828年1月 | |
第25代 | アーサー・ウェルズリー | トーリー党 | 1828年1月 - 1830年11月 | |
第26代 | チャールズ・グレイ | ホイッグ党 | 1830年11月 - 1834年7月 | 彼の爵位(グレイ伯爵)にちなむ紅茶がアールグレイ |
第27代 | ウィリアム・ラム | ホイッグ党 | 1834年7月 - 1834年11月 | 彼の爵位(メルバーン子爵)を冠する都市がメルボルン |
第28代 | アーサー・ウェルズリー | トーリー党 | 1834年11月 - 1834年12月 | |
第29代 | ロバート・ピール | 保守党 | 1834年12月 - 1835年4月 | |
第30代 | ウィリアム・ラム | ホイッグ党 | 1835年4月 - 1841年8月 | |
第31代 | ロバート・ピール | 保守党 | 1841年8月 - 1846年6月 | |
第32代 | ジョン・ラッセル卿 | ホイッグ党 | 1846年6月 - 1852年2月 | |
第33代 | エドワード・スミス=スタンリー | 保守党 | 1852年2月 - 1852年12月 | |
第34代 | ジョージ・ハミルトン=ゴードン | ホイッグ党 | 1852年12月 - 1855年1月 | |
第35代 | ヘンリー・ジョン・テンプル | ホイッグ党 | 1855年2月 - 1858年2月 | |
第36代 | エドワード・スミス=スタンリー | 保守党 | 1858年2月 - 1859年6月 | |
第37代 | ヘンリー・ジョン・テンプル | 自由党 | 1859年6月 - 1865年10月 | |
第38代 | ジョン・ラッセル | 自由党 | 1865年10月 - 1866年6月 | |
第39代 | エドワード・スミス=スタンリー | 保守党 | 1866年6月 - 1868年2月 | |
第40代 | ベンジャミン・ディズレーリ | 保守党 | 1868年2月 - 1868年12月 | |
第41代 | ウィリアム・グラッドストン | 自由党 | 1868年12月 - 1874年2月 | |
第42代 | ベンジャミン・ディズレーリ | 保守党 | 1874年2月 - 1880年4月 | 初めて首相を公称。 |
第43代 | ウィリアム・グラッドストン | 自由党 | 1880年4月 - 1885年6月 | |
第44代 | ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯) | 保守党 | 1885年6月 - 1886年1月 | |
第45代 | ウィリアム・グラッドストン | 自由党 | 1886年2月 - 1886年7月 | |
第46代 | ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯) | 保守党 | 1886年7月 - 1892年8月 | |
第47代 | ウィリアム・グラッドストン | 自由党 | 1892年8月 - 1894年3月 | |
第48代 | アーチボルド・プリムローズ | 自由党 | 1894年3月 - 1895年6月 | |
第49代 | ロバート・ガスコイン=セシル (第3代ソールズベリー侯) | 保守党 | 1895年6月 - 1902年7月 | 日英同盟が締結された当時の首相。 |
第50代 | アーサー・バルフォア | 保守党 | 1902年7月 - 1905年12月 | 英仏協商が締結された当時の首相。 |
第51代 | ヘンリー・キャンベル=バナマン | 自由党 | 1905年12月 - 1908年4月 | |
第52代 | ハーバート・ヘンリー・アスキス | 自由党 | 1908年4月 - 1916年12月 | |
第53代 | デイヴィッド・ロイド・ジョージ | 自由党 | 1916年12月 - 1922年10月 | |
第54代 | アンドルー・ボナー・ロー | 保守党 | 1922年10月 - 1923年5月 | |
第55代 | スタンリー・ボールドウィン | 保守党 | 1923年5月 - 1924年1月 | |
第56代 | ラムゼイ・マクドナルド | 労働党 | 1924年1月 - 1924年11月 | 史上初の労働党出身の首相。 |
第57代 | スタンリー・ボールドウィン | 保守党 | 1924年11月 - 1929年6月 | |
第58代 | ラムゼイ・マクドナルド | 労働党 | 1929年6月 - 1935年6月 | |
第59代 | スタンリー・ボールドウィン | 保守党 | 1935年6月 - 1937年5月 | |
第60代 | ネヴィル・チェンバレン | 保守党 | 1937年5月 - 1940年5月 | 第2次世界大戦が発生した当時の首相で、ナチス・ドイツに対して宥和政策を実施した。 |
第61代 | ウィンストン・チャーチル | 保守党 | 1940年5月 - 1945年7月 | |
第62代 | クレメント・アトリー | 労働党 | 1945年7月 - 1951年10月 | 第2次世界大戦が終結した当時の首相で、福祉国家の建設を本格化させた。 |
第63代 | ウィンストン・チャーチル | 保守党 | 1951年10月 - 1955年4月 | |
第64代 | アンソニー・イーデン | 保守党 | 1955年4月 - 1957年1月 | スエズ危機が発生した当時の首相。 |
第65代 | ハロルド・マクミラン | 保守党 | 1957年1月 - 1963年10月 | |
第66代 | アレック・ダグラス=ヒューム | 保守党 | 1963年10月 - 1964年10月 | |
第67代 | ハロルド・ウィルソン | 労働党 | 1964年10月 - 1970年6月 | |
第68代 | エドワード・ヒース | 保守党 | 1970年6月 - 1974年3月 | |
第69代 | ハロルド・ウィルソン | 労働党 | 1974年3月 - 1976年4月 | |
第70代 | ジェームズ・キャラハン | 労働党 | 1976年4月 - 1979年5月 | イギリスで史上唯一4大国務大臣(首相・財務相・外相・内相)の全てを経験した。 |
第71代 | マーガレット・サッチャー | 保守党 | 1979年5月 - 1990年11月 | 女性としては初の首相で、冷戦が終結した当時の首相である。 |
第72代 | ジョン・メージャー | 保守党 | 1990年11月 - 1997年5月 | 大学を卒業していない首相としては最後である。 |
第73代 | トニー・ブレア | 労働党 | 1997年5月 - 2007年6月 | |
第74代 | ゴードン・ブラウン | 労働党 | 2007年6月 – 2010年5月 | |
第75代 | デビッド・キャメロン | 保守党 | 2010年5月 – 2016年7月 | |
第76代 | テリーザ・メイ | 保守党 | 2016年7月 – 2019年7月 | イギリスをヨーロッパ連合から離脱させる決定を下した。 |
第77代 | ボリス・ジョンソン | 保守党 | 2019年7月 – 2022年9月 | |
第78代 | リズ・トラス | 保守党 | 2022年9月 – 2022年10月 | エリザベス2世に任命された最後の首相で、その在任期間は歴代最短であった。 |
第79代 | リシ・スナク | 保守党 | 2022年10月 – 2024年7月 | 初のインド系首相で、チャールズ3世に任命された。 |
第80代 | キア・スターマー | 労働党 | 2024年7月 – 現職 |