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概要

ロナルド・ウィルソン・レーガン(英語:Ronald Wilson Reagan、1911年2月6日 - 2004年6月5日)は、アメリカ合衆国の政治家。第40代アメリカ合衆国大統領。過去にカリフォルニア州知事を務めた。

選出年齢がドナルド・トランプに次いで歴代第2位(69歳349日)の大統領である。また歴代の大統領で唯一離婚歴のある。所属は共和党俳優出身という異色の経歴を持っており、その演技と演出の力は自身の大統領選挙で非常に強みとなった。この点はヨハネ・パウロ2世とも似ている。

元々2流の西部劇俳優であったため、「大統領の役を最も上手に演じる2流役者」と揶揄されたこともあったが、演技力や演出力の必要な局面では見事に成果を残しており、任期を通じて支持層を中心にそのユーモアにあふれた言動は人気を得ていた。特に本人の演技力とアメリカ政府の人材と資金による演出で、当時のソビエト連邦を軍拡競争と宇宙開発競争のチキンレースに巻き込んで崩壊へ追い込んでしまったのは有名である。

経歴

1911年2月6日にイリノイ州タンピコに誕生した。1928年にイリノイ州のユーリカ大学に入学し、経済学と社会学を専攻して1932年に卒業した。

俳優時代

元々レーガンはラジオアナウンサー出身の映画俳優であった。映画俳優としては前述したように二流の西部劇スター止まりであったが、生来スピーチの才能があったレーガンはラジオアナウンサー、司会者としてキャリアを積む中でこの能力・話術・演説の技能を磨いていった。ディズニーランド開園時を伝えるニュースも担当していたりする。

なお、この頃から赤狩りにハリウッドにおける内部告発者として積極的に協力したり、共産主義や大きな政府志向の政策に反対するキャンペーンに参加するなど保守派としても知られていた。

政界入り

1964年アメリカ合衆国大統領選挙におけるバリー・ゴールドウォーターの応援演説で一躍し、名演説家としての評価を確立し、政界入りする。所属政党は当初民主党であったが、1962年に共和党に転じ、保守派の中心人物となる。また、ゼネラル・エレクトリックがタービンを納めているテネシー川流域開発公社に反対して「ジェネラル・エレクトリック・シアター」のパーソナリティーから降板させられた。

カリフォルニア州知事時代

1967年1月に第33代カリフォルニア州知事に就任した。レーガンの自由主義者としての顔は、州知事時代に行った政策にも如実に現れている。

例えば州議会を「バイクに乗る際、ヘルメットの着用を義務付ける」という法案が通過した際、レーガンは州知事権限でこれを取り消した。その理由は「バイクに乗る者は、バイクに乗るという行為がどれだけ危険か分かって乗っているはずだ。ならばヘルメットの着用などということは個人に任せるべきであって、それに州政府が関与する必要は無い。」というものだった。なおカリフォルニア州では、1992年にヘルメット着用が義務化された。

また当時激戦を極めていたベトナム戦争に関して、「ベトナムを焼き払って駐車場にすればいい」と発言して批判を浴びたこともある。レーガンはベトナム戦争終結後の1975年1月まで州知事を務めた。

1980年アメリカ合衆国大統領選挙

1975年1月までカリフォルニア州知事を2期務めた後に1980年アメリカ合衆国大統領選挙へ出馬し、カーター大統領の再選を阻止して大統領に当選する。

大統領

1981年1月21日に第40代アメリカ合衆国大統領に就任した。この日にイランのアメリカ大使館人質事件において人質となっていた大使館員らが解放された。再選をかけた1984年アメリカ合衆国大統領選挙でも、民主党候補のウォルター・モンデール前副大統領を破って再選を果たした。その後1989年1月20日まで在任し、ドワイト・D・アイゼンハワー(在任期間:1953年1月20日 - 1961年1月20日)以来久々に2期8年の任期を満了した。

内政

当時、アメリカ経済はジミー・カーター政権期から続くスタグフレーション(不況とインフレの同時進行)に悩まされていた。レーガンはこれを解決すべく、レーガノミクスと呼ばれる経済政策を行い、大幅減税による国民の貯蓄と投資の増進などで経済を建て直そうとした。これによりスタグフレーションからの脱却には成功したが、結果的には貿易と財政両方で莫大な赤字(所謂双子の赤字)を出すことに繋がった。また、小さな政府志向によりアメリカの格差が急速に拡大・固定化し、治安が悪化するなど現在もアメリカが引きずる慢性的な社会問題を生み出してしまうなど、内政においてはお世辞にも成功した大統領ではなかった。

外交

レーガン・ドクトリンと呼ばれる基本方針を打ち出し、それまで比較的緩やかな関係に落ち着いていた。

ソビエト連邦・その他

悪の帝国(Evil Empire)と直接的に批判して刺激した。戦略防衛構想という眉唾ものの計画を発表した際は「アメリカならやりかねない」みたいな感じでそれまでの軍拡競争で疲弊し始めてきたソ連をビビらせた上、宇宙開発競争などを煽って同国の財政状況を悪化させて崩壊に追いやった他、反共運動を積極的に支援してベルリンの壁崩壊と多くの東ヨーロッパ諸国の民主化を達成した。

日本

1970年代に表面化した日本との貿易摩擦では、アメリカ国内の保守派・大企業・組合などからの圧力を受けて一貫して強硬姿勢を取り続けたが、その一方で日本をアメリカの安全保障上欠かすことのできない「パートナー」として重視した。

ソ連への強硬路線は日米関係にも影響を与えた。1982年12月のレフチェンコ事件・1983年9月の大韓航空機撃墜事件など、冷戦期の北東アジアで発生した事件では日本と共同歩調を取り、その他に極東アジアにおける軍事プレゼンスを高める為、青森県の三沢基地に当時最新鋭の戦闘機であったF-16戦闘機の飛行隊を配備するなど、日本を含む極東アジアに陸軍・海軍・空軍・海兵隊合わせて14万人の兵力を展開した。

1983年11月・1986年5月・1989年5月に現職の大統領としては最多の3度に渡って日本を公式訪問している。

冷戦を終結させた大統領

以上の外交面の行いから「冷戦を終結させた大統領」と言われている。正式な冷戦終結宣言を行ったアメリカの大統領はレーガンの後任のブッシュだが、諸政策で終結宣言とソ連崩壊を導き出したのはレーガンであるため、本当に冷戦を終わらせた大統領はレーガンと言うべきであろう。

配偶者

1940年1月にジェーン・ワイマンと結婚していたが、後に離婚した。ワイマンはアカデミー主演女優賞も獲得した有名な女優であった。その後は1952年3月にナンシー夫人として知られるナンシー・デービスと再婚している。なおドナルド・トランプが大統領に就任するまで離婚歴のある唯一の大統領でもあった。

逸話

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中で1955年へマーティがタイムスリップしてその時代のドクから「1985年の大統領は誰だ?」との質問に「レーガンだ」と答えると「レーガンだって?あの大根役者の!?それじゃあファーストレディはジェーン・ワイマンか?」と揶揄するシーンがある(その少し前に、出演者として、レーガンの名前がある映画『バッファロー平原(Cattle Queen of Montana)』のポスターが映り込むという伏線もある)のだが、当の本人は怒るどころかそのシーンが大のお気に入りだったらしく、何度も巻き戻しては観ていたという。
それどころか、レーガンは後に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と絡めた一般教書演説も行っており、シリーズそのものを非常に気に入っていたことが窺える。

在職中の1981年3月に暗殺未遂事件に遭遇し重傷を負って入院したが、手術を担当する医師にジョークで「君たちがみんな共和党員だといいのだがね」と言い、医師も「私たち(担当スタッフ)は皆共和党員です」といって皆で笑った(実際にはその医師は民主党員だった)という重傷下でもジョークを忘れないタフネスぶりを披露してもいる。
また、この暗殺未遂の生還から、それまでの「西暦の1の桁が0の年に当選した大統領は酷い最期を遂げる」とされるジンクス「テカムセの呪い」を断ち切った人物ともされる。

その後

退任後に数年して、アルツハイマー病を患っていることを告白した。発症時期については明確なことはわかっていないものの、関係者の証言から、在任末期には既に発症していたともいわれており、ナンシー夫人は自宅の彼の部屋を大統領執務室風に改装し、新聞を読むなど「仕事」をさせて在任中に近い環境を維持することで症状の軽減に努めたという。

1994年11月5日に国民にあてた手紙の中で“I now begin the journey that will lead me into the sunset of my life.”「私は今、人生の黄昏へと至る旅に出かけます)」と述べ、これが公の場で発した最後のメッセージとなってしまった。

それ以降は人前には出ずに自宅で静かに療養生活を送っていたとされる。それでも病魔は徐々に彼の体をむしばんでいき、2001年に自宅内で転倒して腰骨を骨折して寝たきりとなって以降はその病状はさらに悪化していった。

2004年6月5日にカリフォルニア州ベル・エアにて、93歳で死去した。歴代の大統領の中では4番目の長寿となった。

ちなみに

  • 彼の功績は多くの人々に讃えられ、名前が空港空母などに使われている。
  • なお、タカ派として知られたレーガンだが、それらは全て演技であり、実際は軍拡と核兵器による世界秩序が健全であるはずがないと考えていたと後の側近は語っている。
  • 当時の中曽根康弘首相とは親密だったようで『ロン』『ヤス』と愛称で呼び合うほどだったという。


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