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ロナルド・レーガン

ろなるどれーがん

ロナルド・レーガンとは、アメリカ合衆国の政治家である。
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生年没年 1911年2月6日~2004年6月5日
大統領任期(第40代) 1981年1月20日~1989年1月20日

概要

フルネームはロナルド・ウィルソン・レーガン
イリノイ州出身。

第40代アメリカ合衆国大統領で、選出年齢が現職のドナルド・トランプに次いで歴代第2位(69歳349日)の大統領である。また、歴代大統領で唯一離婚歴のある大統領でもある。所属は共和党俳優出身という異色の経歴を持っており、その演技と演出の力は、自身の大統領選で非常に強みとなった。
この点、ヨハネ・パウロ2世とも似ている。

もともと二流の西部劇俳優であったため、「大統領の役を最も上手に演じる二流役者」と揶揄されたこともあったが、演技力や演出力の必要な局面では見事に成果を残しており、任期を通じて支持層を中心にそのユーモアにあふれた言動は人気を得ていた。
特に本人の演技力とアメリカ政府の人材と資金による演出で、当時のソビエト連邦を軍拡競争と宇宙開発競争のチキンレースに巻き込んで崩壊へ追い込んでしまったのは有名である。


俳優時代~カリフォルニア州知事時代

レーガンは元々、ラジオアナウンサー出身の映画俳優であった。

映画俳優としては前述したように二流の西部劇スターどまりであったが、生来スピーチの才能があったレーガンはラジオアナウンサー、司会者としてキャリアを積む中でこの能力と話術、演説の技能を磨いていった。ディズニーランド開園時を伝えるニュースも担当していたりする。
なお、この頃から赤狩りにハリウッドにおける内部告発者として積極的に協力したり、共産主義や大きな政府志向の政策に反対するキャンペーンに参加するなど保守派としても知られていた。

1964年大統領選におけるバリー・ゴールドウォーターの応援演説で一躍、名演説家としての評価を確立、政界入りする。所属政党は当初民主党であったが、1960年代に共和党に転じ、保守派の中心人物となる。

その後、カリフォルニア州知事を二期務めた後に大統領選へ出馬し、ジミー・カーターの再選を阻止して大統領に当選する。

大統領時代

内政面では、レーガノミックスと呼ばれる経済政策を行い、大幅減税による国民の貯蓄と投資の増進などで経済を建て直そうとしたが、結果的に貿易と財政両方で莫大な赤字(所謂双子の赤字)を出す結果となった。また、小さな政府志向によりアメリカの格差が急速に拡大・固定化し、治安が悪化するなど現在もアメリカが引きずる慢性的な社会問題を生み出してしまうなど、内政においてはお世辞にも成功した大統領ではなかった。

一方、外交面では非常に大きな成果を残している

レーガン・ドクトリンと呼ばれる基本方針を打ち出し、それまで比較的緩やかな関係に落ち着いていたソ連を「悪の帝国」(Evil empire)と直接的に批判して刺激した。
戦略防衛構想」という眉唾ものの計画を発表した際は「アメリカならやりかねない」みたいな感じでそれまでの軍拡競争で疲弊し始めてきたソ連をビビらせた上、宇宙開発競争などを煽って同国の財政状況を悪化させ、崩壊に追いやった他、反共運動を積極的に支援して、ベルリンの壁崩壊や多くの東欧諸国の民主化を達成した。

以上の外交面の行いから「冷戦を終結させたアメリカ大統領」と言われている(正式な冷戦終結宣言を行ったアメリカ大統領はレーガンの後任のブッシュだが、諸政策で終結宣言とソ連崩壊を導き出したのはレーガンであるため、本当に冷戦を終わらせた大統領はレーガンと言うべきであろう)。

彼の功績は多くの人々に讃えられ、名前が空港空母などに使われている。

なお、タカ派として知られたレーガンだが、それらはすべて演技であり、実際は軍拡と核兵器による世界秩序が健全であるはずがないと考えていたと後の側近は語っている。

当時の内閣総理大臣中曽根康弘とは親密だったようで『ロン』『ヤス』と愛称で呼び合うほどだったという。

配偶者

俳優当時はアカデミー主演女優賞も獲得した有名女優ジェーン・ワイマンと結婚していたが、のち離婚。ナンシー夫人として知られるナンシー・デービスと再婚している。
ドナルド・トランプが大統領になるまで離婚歴のある唯一の大統領でもあった。

逸話

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の中で1955年へマーティがタイムスリップしてその時代のドクから「1985年の大統領は誰だ?」との質問に「レーガンだ」と答えると「レーガンだって?あの大根役者の!?それじゃあファーストレディはジェーン・ワイマンか?」と揶揄するシーンがある(その少し前に、出演者として、レーガンの名前がある映画『バッファロー平原(Cattle Queen of Montana)』のポスターが映り込むという伏線もある)のだが、当の本人は怒るどころかそのシーンが大のお気に入りだったらしく、何度も巻き戻しては観ていたという。
それどころか、レーガンは後に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と絡めた一般教書演説も行っており、シリーズそのものを非常に気に入っていたことが伺える。

在職中、暗殺未遂事件に遭遇し重傷を負って入院したのだが、手術を担当する医師にジョークで「君たちがみんな共和党員だといいのだがね」と言い、医師も「私たち(担当スタッフ)は皆共和党員です」といって皆で笑った(実際にはその医師は民主党員だった)という重傷下でもジョークを忘れないタフネスぶりを披露してもいる。
また、この暗殺未遂の生還から、それまでの「西暦の1の桁が0の年に当選した大統領は酷い最期を遂げる」とされるジンクス「テカムセの呪い」を断ち切った男ともされる。

その後

退任後数年して、アルツハイマー病を患っていることを告白した。発症時期については明確なことはわかっていないものの、関係者の証言から、在任末期には既に発症していたともいわれており、ナンシー夫人は自宅の彼の部屋を大統領執務室風に改装し、新聞を読むなど「仕事」をさせて在任中に近い環境を維持することで症状の軽減に努めたという。

1994年11月5日に国民にあてた手紙の中で“I now begin the journey that will lead me into the sunset of my life.”「私は今、人生の黄昏へと至る旅に出かけます)」と述べ、これが公の場で発した最後のメッセージとなってしまった。

それ以降は人前には出ずに自宅で静かに療養生活を送っていたとされる。
それでも病魔は徐々に彼の体をむしばんでいき、2001年に自宅内で転倒して腰骨を骨折して寝たきりとなって以降は、その病状はさらに悪化していった。

2004年6月5日に、カリフォルニア州ベル・エアで死去。享年93歳。
アメリカの歴代大統領の中では歴代4番目の長寿となった。

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