概要
帝政ロシアの時代から、ロシアでは抑圧的な支配が続き、政治風刺などとてもできるものではなかった。
だが、そういったなかでも人々は「お笑い」を求めた。
抑圧された環境下で絞り出されたユーモアは開放感をもつ文化として、またエリート層に対する対抗と冷やかしの手段として花開くこととなった。
例
- ある日のアルメニアラジオのリスナーからの質問コーナー
Q「アネクドートがギリシャ語由来の単語だということはわかりました。では実際にはロシア語でどのような意味で使われるのでしょうか?」
A「魔法の呪文を指します。これを唱えればたちまち姿を消したり、アッという間に中央アジアやシベリアへ移動することができます。より高度なものだと寿司を青白く光らすことができます」
Q「ではその呪文を教えて下さい」
A「さっき言いました」
- ある時川で溺れている男性を農夫が助けた。見るとそれは同志スターリンであった。スターリンは農夫にお礼をしてあげようと提案した。
スターリン「何が欲しい?」
農夫「へえ、それじゃ私が同志を助けたことを秘密にしてくだせえ」
このジョークはアドルフ・ヒトラーとユダヤ人など、色んなパターンに置き換えられる事が多い。
- 歴代のソ連最高指導者達を乗せた列車が走行していると、線路が途中で途切れていた。歴代の最高指導者たちは、それぞれ次のような命令を出した。
ウラジーミル・レーニン:資本家たちに新たなレールを発注するように!
ヨシフ・スターリン:乗務員と駅員を射殺せよ!
ニキータ・フルシチョフ:列車の後ろのレールを外し、列車の前に敷き直せ!
レオニード・ブレジネフ:窓のカーテンを全て閉め、客車を揺らすように命令して列車が進んでいるように見せかけた。 ユーリー・アンドロポフ:窓の外を見ようとして死んだ。 コンスタンティン・チェルネンコ:窓の外を見るまでもなく死んだ。
ミハイル・ゴルバチョフ:ホームに足を踏み入れ、次のように演説した。「同志たちよ、前へ進む道はない。だからこそ、我々の列車を加速的に再編成する必要がある!」
- シベリア鉄道でソ連各地を巡ったフルシチョフ。
フルシチョフ「腕を噛まれた!」側近「ここはポーランドです、同志」
フルシチョフ「手にキスをされたぞ!」側近「ここはチェコスロバキアです」
フルシチョフ「腕時計を盗まれた!」側近「ここは⋯」
フルシチョフ「言わずとも分かっておる。ようやくソ連へ帰ってきたのだな」
ブレジネフ
⋯ソ連の長い停滞期であったレオニード・ブレジネフ時代では、多数のジョークが作られた。
- テロリスト達がブレジネフを誘拐し、監禁した。犯人たちの声明はこうだった。
「身代金を用意しないのなら、お前たちの元にブレジネフを送り返すぞ!!」
- 国家機密
A「赤の広場で、『ブレジネフはバカだ』と叫んだ男が逮捕されたよ」
B「国家の最高指導者を侮辱した罪でかい?」
A「国家の重大機密を漏らした罪でだよ」
ただしこのジョークはフルシチョフからチェルネンコまで4代の書記長が引き合いに出されている。しかも最後の部分が「書記長本人が『逮捕は国家の最高機密を漏らした罪だ』とおどけ、如何を問うた記者会見を和ませた」などと変わっているものもあれば、ブレジネフがスターリンになってるものもある。
ゴルバチョフ
- とある青年が、ゴルバチョフを殺そうと、赤の広場へ向かった。しかし、広場には行列が並んでいた。青年は行列の最後尾の人に尋ねた。「もし、なんで並んでいるんですか?」「決まっているだろう!みんなゴルバチョフを殺したい奴らさ!」