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概要

  • 露 Никита.С.Хрущёв
  • 英 Nikita Khrushchev

1894年 - 1971年

本名ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ
ソビエト連邦政治家、第3代最高指導者。ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)を兼務した。

1918年にロシア社民労働党多数派(ボリシェビキ)に参加し、党運動員から赤軍の幹部にまで昇格した。
レーニン没後、後継者スターリンクレムリン(ソ連共産党本部)の辞令によりウクライナ共和国(彼は民族的にはウクライナ人)の第一書記に着任、その後中央の政治局員に昇格しクレムリンに入城。

1953年にスターリン直々の後継者マレンコフとバックボーンのベリヤを放逐し、筆頭書記→書記長に就任。肩書きを第一書記に変更(次代のブレジネフが書記長に戻す)する。
スターリンの死後「スターリン批判」を行った。

彼の在任中、スプートニク打ち上げや、キューバ危機といった重大な事件が起き、日本とソ連との国交回復も彼と鳩山一郎によって行われた。

1964年10月13日から14日にかけて開かれた臨時の中央委員会総会で全職を辞する。

逸話

フルシチョフがスターリンの側近になれたのは、スターリンの二番目のナジェージダ・アリルーエワ(通称ナージャ)のおかげである。
ナージャの通う工業大学には論敵を次々に論破する耳の大きな太った若者がいた。後のフルシチョフである。ナージャはスターリンにフルシチョフを推薦し、定期的に家でナージャと三人で食事をするようになったのが出世の始まりとなる。これ以降フルシチョフはスターリンのお気に入りになる。

「こうやって私は生き延びた・・・・・・ナージャの存在は私の幸運の宝くじだった」。フルシチョフには自分がスターリンと同じ場所にいること自体が信じられなかったという。半ば神様のように尊敬していたスターリンが目の前にいて、いとも謙虚に「笑ったり、冗談を言ったり」していたからである。

関連項目

ソ連 ソビエト連邦共産党 スターリン
マレンコフ(前任) ブレジネフ(後任)

【参考文献】
wikipedeia『二キータ・フルシチョフ』

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