ポーランド出身。本名カロル・ウォイティワ。ローマ教皇になる前は古都クラクフの大司教をやっていた。
あまりにも無名であったため、選ばれた時には名前の語感からアフリカ人が選ばれたと誤解した人もいたという。
1978年10月に就任。当時58歳で、教皇としては非常に若くして選ばれたこともあって在位期間は26年にも及び、これは歴史上確実な範囲で歴代2位の長さである。
世界平和と戦争反対への呼びかけと、それだけにとどまらない数々の平和維持活動の実践、それに伴う精力的な外遊による「教皇外交」から「空飛ぶ教皇」と呼ばれた。聖職者になる前は劇団員であり、非常に演技力と言語能力に優れていた。わずかながら日本語も話すことができた。これに加えて篤い信仰心から、外遊先で大地に接吻するなどの行為を行い信望を集めた。
自分を殺そうとした暗殺者と対話し和解するなどその徳の高さを伝えるエピソードは多い。
1981年2月には日本を訪れたこともある。
2005年4月2日死去。死後異例の速さで列福・列聖手続きが始まり、2011年5月1日に列福され、2014年4月27日にヨハネ23世とともに列聖された。
関連項目
ベネディクト16世…後任者
ポーランド…出身地