概要
連合赤軍の一派による集団リンチおよび、大量殺人事件。
特筆すべきは、事件の中心人物である森恒夫と永田洋子の両名以外は、事件の被害者にして加害者と言うことである。
また、元々は後述するように現代日本の中でも有数の大事件であるあさま山荘事件を契機に発覚した事件であり、ある種この二つの事件は地続きの事件となっている。
特にこの事件をきっかけに当時の日本を席巻していた学生運動は急速に収束していっており、事件の影響度と重要度で言えばむしろこちらの方が大きいのだが、余りにも聞くに堪えない内容の為か、テレビなどのマスメディアでは、現代日本を振り返る際に「あさま山荘事件」のことは触れられても、こちらの事件は余り触れられない傾向にある。
むしろこの事件を取り上げる場合は、1コーナーで軽く触れるような事はせず、特番での中心企画の一つとして、事件の残虐さと凄惨さを伝える為にかなりしっかりとした尺を取って紹介される傾向にある。
詳細
本事件を簡単にまとめると、過激派連合赤軍の仲間内で取るに足らない理由での拷問とリンチが行われ続けた末に、12名の人間が殺害され死体が遺棄されたと言うことになる。
事件の中心人物となったのは最高指導者の森恒夫、永田洋子の両名であり、主に二人がメンバーに難癖をつけ、彼らに命じられた者が「総括」と称して仲間にリンチを加えメンバー12名を殺害し、亡骸を山中に埋めた。後年事件を扱った番組でよく使われる、当該現場で遺体を示す白線が幾つも並んだ映像は有名。
ここで使われる「総括」とは、本来の意味としての総括とはやや異なり、元々は過去を振り返る「反省」の意味合いとして使われていた。
その為、最初は暴力などは用いなかったが、言葉の意味とそれに伴う手段がだんだんエスカレートしていき、正座をさせ食事を与えない、女性の髪をハサミで乱雑に切りボウズにするなど陰湿な嫌がらせのようになっていった。
最終的には、「総括に集中させる」という名目で殴る蹴るの暴力を伴うリンチへと変容してしまい、おかしいと気付いた者も自分が“総括”の対象になるのを恐れて反駁できず、これが更に行き過ぎたことで、後の仲間内での殺し合いに発展していく。
当初はあくまで「目が覚めた時に真の戦士になれるよう、殴って気絶させる」というのが目的だった、らしい。これはリーダーの森が高校の剣道部時代に体験した『竹刀で打たれて目覚めたら嫌なことも素直に受け入れられる新しい人格に変わっているのを感じた』という謎の理論に拠る。
そもそも森と永田はそれぞれにリーダーとしての資質が大きく欠けた人物だった。学生時代の森は大人しい文学青年で頭も然程良い人間ではなく、そのため高学歴の人間にコンプレックスがあった。赤軍派のリーダーになったのも実力ではなく前リーダーの逮捕に伴う繰り上がり選抜だった。他方の永田は後述の持病の影響もあるが、短気でヒステリック、特に自分より容姿の優れた女性や恋人のいる女性に対する敵意が甚だしかった(要はコレが過激になった感じだろうか)。ともかく、性格に難がある上に劣等感に塗れた二人に到底人望が集まることは無く、それでも皆が彼らに逆らえなかったのは偏に恐怖心によるところだろう。
その粛清理由は、当初は作業のミスや装備の不備を非難したものだったが、次第に単なる言い掛かりへと変化していくようになる。
具体例を挙げると以下のようなものになる。
アジトでキスをしたメンバーの男女に対し、
「キスするとは何事だ、総括!」
警官役との模擬戦闘でぶちのめされたメンバーに対し、
「撃退できないとは何事だ、総括!」
銭湯に行ったメンバーに対し、
「自分だけ風呂に入るとは何事だ、総括!」
総括対象者に侮辱された事を根に持っていたメンバーに対し、
「私怨で殴ったな?総括!」
ちり紙を取ってもらったメンバーに対し、
「他人に頼るな!総括‼︎」
若い女のメンバーに対し、
「髪をセットするとは革命戦士としての自覚はあるのか?総括!」
服を着替えたメンバーに対し、
「着替えたな?総括!」
「すいとん…」と呟いたメンバー(総括中)に対し、
「飯に執着するとは何事だ、総括!」
…上記のように、支離滅裂でめちゃくちゃな理屈での暴力行為が横行していった。
クメール・ルージュ真っ青の難癖で総括対象者となった者は、度重なる暴力に加え、不自然な格好で縛られて極寒の外へ放置されるなどの私刑により、衰弱死した。
それどころか、総括の最中に森から「死刑」宣告された者はアイスピックで心臓を刺され、首を絞められて殺害された。
当初は顔を殴るだけだったが、「顔を殴っても腫れるだけで意味がない」として、腹を中心に殴打するようになったりもした。女性メンバーに対しては、「男に殴られても喜ぶだけ」との理由で女性メンバーが暴行を加えた。兄弟で参加していたメンバーは、弟に兄を殴らせた。
メンバーの中にはなんと妊娠中の妻を連れた男や生後数ヶ月の赤ん坊を連れた夫婦(しかも後者は活動家ではない只のシンパ)まで居り、前述の男は後にあさま山荘に立て籠る主犯となるが、妻はメンバーに“総括”され胎児ごと死亡してしまう。後年男は妻を見殺しにしたことを悔恨している。後述の赤ん坊の父親は妻子と引き離された末に厳寒の野外に放置され凍死。後に母親は我が子を見捨てて逃げ出すが、幸い赤ん坊は森と永田が遠出した隙に世話係の女性に助けられ、脱出に成功している。
止める者無き閉鎖空間で、
流行りの熱に浮かされるように若気の赴くまま、
純粋だった筈の思想は血と暴力で塗りたくられ、当初の目的は何処へやら、
彼らの『活動』は正常な思考を放棄したまま取り返しのつかない惨禍へ雪崩れ込んでいった。
総括中に死亡したメンバーは「敗北死」とされ、革命戦士のなり損ないと更に軽蔑された。理不尽な暴力に耐えかねて逃げ出そうとした者もいたが、運悪く森に見つかって壮絶な暴行を受け死亡した。
なお、この難癖リンチが始まる以前に組織を脱走したメンバー2名を殺害(印旛沼事件)しており、「同志殺し」の一線は既に超えていた。
これには首謀者の1人永田洋子の健康状態も影響していた。永田はバセドウ病という甲状腺機能に異常をきたす難病に悩まされており、普段であれば投薬による症状がおさえられたものの逃亡生活のために薬を得ることができず、バセドウ病の症状である躁状態を悪化させ、猜疑心と嫉妬を余計に募らせることになっていった。
無論、バセドウ病は適切な治療を受ければこのような凶行に及ぶことはないし、この事件は永田がバセドウ病を患ったという事実だけにすべての責任があるわけではないことは記しておく必要がある。
不幸なことに、事件後暫く永田と同じ病というだけで周囲から心ない中傷を受け、名誉を傷つけられ苦しんだ患者は少なくなかったという。
こんな中でも、厳寒の山奥で生き延びるためにメンバーは最低限の現実は見えていたようで手先が器用で大工仕事ができ、登山経験もあるメンバーを生かすなどしていた。
やがて異常な空間に耐えかねたメンバー3名(うち1人は上記の赤ん坊を助けた女性)が、森・永田の不在の隙を突いて脱走。全員が生き延びるために必死だった。3名の脱走は森たちの知るところとなるが、東京にいる2人がアジトにすぐ戻ることには無理があり、已む無く最後に滞在した迦葉山ベースの拠点を捨て、群馬県妙義山の洞窟に潜伏。この時最後に総括を受けた男性が死亡し、残る生存者たちと、急いで群馬にやって来た森と永田は合流に失敗。既に脱走者のリークした情報を元に捜索を続けていた警察により1972年2月17日、遂に森と永田は逮捕された。ラジオで2人の逮捕を知ったメンバーは引くに引けなくなり、軽井沢へ向かって道なき道を進んでいった。
その後彼らはあさま山荘事件を引き起こすに至り、逮捕されたメンバーの自供で本件が世間の明るみに出る。凄惨な経緯が全国に知らされる事になり、これをきっかけに学生運動に対する世間の評価は完全なる悪と認識されるようになったと言って良い。
あさま山荘事件との関わり
この事件の最大の特徴として、あさま山荘事件の後に発覚したということ。
つまりは、あさま山荘事件が起きなかった場合、もしくはあさま山荘事件にて事件の関係者が全員死亡していた場合はそのままこの事件を誰も知らないまま忘れ去られ、いわゆる完全犯罪として事件そのものが闇に葬られた可能性がある。
また、「あさま山荘事件」は日本でも珍しい、大規模な立てこもり事件ということもあって全国規模でその名前が知られており、これにより「あさま山荘事件」と繋がりの深いこの事件も全国に名を知られることになった。
逆に言えば、学生運動が単なる大学生のお遊びではなく、ヤクザやマフィアに並ぶほどの、場合によってはそれよりも大きな危険性を秘めた、掛け値なしのテロ犯罪である事を知らしめた事件と言える。
影響
この事件が現代日本に与えた影響は大きく、これまでは利権を貪る政治を嫌い、国の為に戦う熱心な学生として、場合によっては好意的にさえ受け止められていた学生運動が、目的のためなら大量殺人も犯す危険な狂気の暴力集団と言う見方を社会に与えたことが大きい。
この事件をきっかけに、それまで学生運動やその下地になっていた左翼思想や共産主義思想などは大きく非難されるようになり(尤も連合赤軍の主義主張は元の思想より遥かに逸脱した、歪極まりない思考回路の発露だが)、これまで彼らを擁護していた文化人や知識人は一斉に手のひらを返すようになった。
また日本社会全体もこの事件の発覚以後、それ以前とは比較にならないほどの厳しい視線を学生運動そのものに向けるようになり、学生運動自体が危険な犯罪と認知され、排除されるようになった。たとえ時代が移ろうとも第二の連合赤軍が生まれないとも限らない以上、この傾向が覆ることは無いだろう。
社会の風向きが変わったことで学生運動自体も急速に収束していき、その反動で日本社会では政治について語ることもタブー視されるようになった。
後年の評価
一言で言えば、テロリストによる内部粛清事件である。その上粛清の理由も、難癖のレベルではなく、ただ暴力を振るいたいが故の後付けとしか思えないものであったことから、これまでの学生運動に対する反権力の為の戦いという評判は完全に覆って、国民の間に芽生えた新左翼に対する嫌悪感を決定的なものとした。
思想的原因について、元新左翼で転向して今は学生運動研究をしている外山恒一は、
「右翼で卑劣な奴というのは単にそいつが元々そういう奴なだけで思想は関係ないんだが、左翼の場合まさに思想を原因として、元々いい奴だったはずが人間ここまで卑劣になれるかってことを始めるからなあ。フェミニズムとか共産主義とかにカブれての、そういう例を間近に、掃いて捨てるほど見てきた。」と評している。
この一件は、文化的にも大きく影響を与えたと言って良い。学生運動離れは若者のサブカルチャーへのシフトを招いたことが指摘され、サブカルチャー文化人が抱いた70年代学生運動失敗の代替は、遠くオタク文化にまで脈々と受け継がれている。また本事件の余りに突飛且つ残酷な内容は後世の創作人の耳目を惹き、山本直樹氏の漫画を筆頭にこの事件を元に制作された作品も多い。
またアメリカで起きた人民寺院の事件と並び、人間の閉鎖空間における集団心理の暴走のサンプルとして心理学的な面でも注目されている。