概要
古来では外交手段として、自らの決意を表明するために相手に取らせることもあった。
現在では脅迫のダシとして使われることがほとんどである。
日本では「人質による強要行為等の処罰に関する法律」により最低でも6ヵ月以上10年以下の懲役の対象となる。もし人質を死なせでもしたら人質殺害罪となり無期懲役か死刑のみの判決が下されるが、裁判以前に特殊部隊によって射殺される事の方が多いだろう。
日本史における人質
日本史でも「人質」という言葉が出てくる。先述の意味で使われることもあるが、多くはあくまでも謀反を起こさないようにするために身元を引き渡すものであって、決して刃物を突き付けられて脅されているようなイメージのものではない。人質でもごく普通に生活していた。
戦国時代に置いては重要な戦略・外交の駒であり、徳川家康は幼少期に長い人質生活を送った。政略結婚もまた人質の役目の側面があった。
世界史における人質
古典ギリシャ時代のテーバイやローマ帝国、春秋時代の中国の有力国でも傘下の国や異民族から人質を取っていたが、相手国の若手エリートを自国の価値観や文化に染め上げて、良く言えば相利共存の懸け橋に、悪く言えば支配の手駒にする教育を行っていた。
ただし、人質が優秀過ぎると先進文明圏の知識や技術を改良されて、強敵を作り出す結果にもなりかねない。
例えば、テーバイの名将エパミノンダスは属国マケドニアの王子フィリッポスにテーバイ式の高度な教育を施して名将に鍛え上げたが、フィリッポス自身はエパミノンダス個人には恩義を感じていても、エパミノンダス亡き後のテーバイには何としてでも敵対を避ける、という程の思い入れは無く、その王太子に至っては単なる征服対象の他国としか見ていなかった。
余談
創作作品等において人ではなく、相手にとってとても価値のある物(キーアイテムや家族の形見等の相手にとって思い入れのある品)を何らかを強要する際の脅しのネタに使う場合は人質ならぬ『物質(ものじち)』という言い回しが作品外で用いられる場合もある。