概要
鄧小平(とうしょうへい、簡体字:邓小平、繁体字:鄧小平、英語:Deng Xiaoping、1904年8月22日 - 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。第2代中華人民共和国最高指導者。中央顧問委員会主任、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席、中国人民政治協商会議主席を兼務し、改革開放・一人っ子政策・中ソ対立の終結を成し遂げた。
経歴
1904年8月22日に清の四川省広安県に地主の子として誕生する。1920年にフランスへ留学し、1924年7月に中国共産党に入党した。1926年にソビエト連邦に移って1927年に帰国し、社会主義革命を目指すゲリラ活動を行っていた。
1952年8月に政務院副総理に任命され、1953年9月から1954年6月までは財政部長を兼任した。1955年4月の中央政治局委員選出を経て1956年9月に党総書記に就任した。1966年5月からの文化大革命で党内から批判を受けて失脚した。一時は全ての役職を失うほど追い込まれていたが、1973年3月に国務院副総理の職務に復帰し、党中央委員会副主席の地位に就いた。
1976年1月8日の周恩来の死後に第1次天安門事件(四五天安門事件)が発生し、このデモに関する責任を問われて再度全役職を解かれた。彼を失脚へ追い込んだ「四人組」の逮捕後の1977年7月に復職した。
最高指導者
1978年12月に肩書は副主席、副首相ながら実権を掌握して事実上の最高指導者となり、1983年6月に軍の統帥者である国家中央軍事委員会主席に就任して国の実質的なトップの地位を手に入れたが、その一方で自身は国家元首である国家主席には就かなかった(国家中央軍事委員会主席については1989年11月まで同職にあった)。1989年5月にソビエト連邦最高指導者ミハイル・ゴルバチョフと会談し、1956年2月に始まった中ソ対立を終結させた。改革開放を行って中国の経済成長を築く一方で、1989年6月の第2次天安門事件(六四天安門事件)などの民主化要求には弾圧姿勢を示した。
1997年2月19日にパーキンソン病・肺の感染の併発で呼吸不全となり、92歳で死去した。
身長は150センチほどしかないと小柄ながら頭脳明晰、眼光鋭く、毛沢東をして「綿中に針を蔵する男」と称され、「ハリネズミの鄧」などとも呼ばれた。フランスに留学した経験からワインやチーズ、サッカーなどを愛好していた。