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習近平

しゅうきんぺい

中華人民共和国の政治家。第5代中華人民共和国最高指導者
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概要

習近平(簡体字:习近平、繁体字:習近平、英語:Xi Jinping、1953年6月15日 - )は、中華人民共和国の政治家。第5代中華人民共和国最高指導者。中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家軍事委員会主席、国家主席を兼任している。党中央書記処常務書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席などを歴任した。

共産主義者であり、派閥は太子党。父の習仲勲が文化大革命における反乱学生と見なされたことから陝西省で生活した。1974年に中国共産党に入党し、1975年に国家重点大学である清華大学に入学して1979年に卒業した。その後様々な役職を歴任し、2012年11月15日より最高指導者に就任した。

「ハエもトラも叩く」とする汚職撲滅に力を入れ、中国梦(中国民族の偉大な復興)を政策に掲げる。しかし習の親族の名前がパナマ文書に記載されていたことも発覚し、今後の影響が注目される。

幼少期に父親が左遷され、極めて過酷な幼少・青年期を送っている。その為か権力への執着心は人並み外れており、2018年3月に国家主席の任期を廃止してその地位を永遠のものとした。先述の汚職撲滅も自身と対立する政治家を失脚させる意味合いも含まれている。

一方聞き上手で質素倹約家な一面もある。また父親の習仲勲はダライ・ラマ14世と親友であった事から、チベット問題が快方に向かう可能性がある。

経歴

1953年6月15日に北京市で誕生した。1965年に中学校である北京市八一学校に入学したが、1966年の文化大革命の発生により学校が解散された。この事により習の学校教育が中断された。習は世界最強の囲碁棋士の1人に数えられる聶衛平と北京25中学からの友人で、聶によれば中国人民解放軍の劉衛平少将との3人で「北京25中学の三平」と呼ばれていたとされる。八大元老でもあった父の習仲勲が迫害された文化大革命において反動学生として批判された。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、4度も監獄に放り込まれた。

1969年から7年間に渡って陝西省延安市延川県に下放される中、1974年に中国共産党に入党した。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年に文化大革命の期間中で、全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ。1979年に同大学を卒業した後、国務院弁公庁及び中央軍事委員会弁公庁において、副総理及び中央軍事委員会常務委員の耿飈の秘書をかけ持ちで務めた。

1985年にアメリカ合衆国を視察で訪問し、当時のアイオワ州知事で後に駐中国大使のテリー・ブランスタッドと親交を結んでホームステイをした。1998年から2002年にかけて、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得た。しかし、海外の複数メディアから論文の代筆の疑惑が報じられている。

廈門副市長、福州市党委員会書記を経て、2000年に福建省長となった。2002年11月に張徳江に代わって49歳で浙江省の党委書記に就任し、この時期に浙江省軍区党委員会第一書記、南京軍区国防動員委員会副主任、浙江省国防動員委員会主任を兼任した。2006年に上海市で大規模な汚職事件が発覚し、当時の市党委書記の陳良宇が罷免された。翌年の2007年3月24日、書記代理を務めていた上海の韓正市長に代わって上海市党委書記に就任した。これにより、第17期の党中央政治局入りは確実とみられた。同年10月の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において、一気に中央政治局常務委員にまで昇格するという「二階級特進」を果たし、中央書記処常務書記、中央党校校長に任命された注 2]。上海市党委書記は兪正声が引き継いだ。中央党校校長時代は「幹部は歴史を学べ。世界四大文明の中で中華文明だけが中断せずに今日まで続いている」と述べた。後年にエジプト・イラク・インドなどを集めた「世界古代文明フォーラム」の共同設立を唱える習の歴史観や思想戦略が既に形成されていたとされる。

2008年3月15日に第11期全国人民代表大会第1回会議で国家副主席に選出される。2009年12月には国家副主席として日本を訪れ、環境に優れた先進技術施設として安川電機の産業用ロボット工場を視察した際に経営陣から伝えられた創業者の安川敬一郎と孫文ゆかりの逸話に感銘を受けて「とても感動した、我々はこの日中友好の伝統を受け継いで発揚するべきだ」と発言して中国の公用車である紅旗の組立用につくられたロボットの披露に拍手を贈った。一方で訪日の中で起きた天皇特例会見の問題は日本で論争を巻き起こした。

政治局常務委員

中国共産党第17期政治局常務委員には、胡錦濤直系である共青団出身の李克強も習と同じ第5世代の中核として選出され、習と李のいずれかがポスト胡錦濤となると見られたが、習が李よりも党内序列が上であり、また、胡自身も党総書記就任までの2期10年を中央書記処書記として経験を積んだことを考えると、習がポスト胡錦濤に一番近い存在であった。なお、習はかつて中央軍事委員会弁公庁秘書や南京軍区国防動員委員会副主任などを務めており、第17期政治局常務委員で唯一国防文官の経歴を有する人物であった。このことは習と軍部との結びつきを強める一因ともなった。

軍事委員会副主席

2010年10月18日に第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出された。党中央軍事委員会は共産党が国家を領導するという中国の政治構造上として、事実上の最高軍事指導機関である。副主席として党中央軍事委員会に入ったことで、習は胡の後継になることが事実上確定した。

さらに同月28日に全国人民代表大会常務委員会の決定によって国家中央軍事委員会副主席に就任した。しかし、習が党中央軍事委員会副主席の地位を獲得するまでには紆余曲折があった。2009年9月の第17期4中全会で党中央軍事委員会副主席に選出されるという見方があったが、結局選出されなかった。その理由として、背後で胡直系の共青団出身の李克強を推そうとする勢力と、江沢民系の上海閥(上海幇)と呼ばれる勢力との間に生じた権力闘争が原因だとする見方があった。これによると、習は上海閥の流れを汲む人物であり、共青団系の勢力が躍進している現在においては党内基盤が弱くなっているというものだった。しかし、江沢民だけで無く、共青団系で最長老の1人である宋平も習の強力な後ろ盾になったとされる。

結局、2010年10月の第17期5中全会で党中央軍事委員会副主席に選出され、胡の後継者としての地位を確立した。これは各派閥の妥協の結果とされ、特定の派閥というよりは軍部の強い支持を受けてのものとされる。習を支える陝西閥(陝西幇)・陝軍・之江新軍などの習近平派は後に台頭することになる。

外交

アメリカ合衆国

中央軍民融合発展委員会の主任に就任して以降中国は軍需産業を強化して、アメリカ合衆国に次ぐ世界2位の規模となり、第一列島線の重視真珠の首飾り戦略を引き継いで南シナ海での人工島建設など中国の海洋進出を強硬に推し進め、中国が世界最大の海軍を保有しているとアメリカは警戒を強めた。

また経済力を高める習政権での中国は、アメリカとの貿易摩擦を引き起こして新冷戦・米中貿易戦争とも呼ばれることとなった。特に新型コロナウイルス感染症の世界的流行が起きたトランプ政権後期頃からアメリカ政府が中国への批判を強めるようになり、米中対立が深まった。

2017年4月7日にマー・ア・ラゴにおいて、アメリカのトランプ大統領が米中首脳会談を行ったが、その会話の内容をトランプ大統領が『ウォール・ストリート・ジャーナル』のインタビューで話し、習が「朝鮮半島は中国の一部だった」と発言したことを明らかにし、「習近平主席が中国と朝鮮半島の歴史について話した。数千年の歴史と数多くの戦争について、朝鮮は実は中国の一部だった」・「朝鮮は実際に中国の一部だった(Korea actually used to be a part of China)」・「習主席から中国と韓国の歴史について聞いた。北朝鮮ではなく韓半島全体の話だった。(中国と韓国には) 数千年の歳月の間、多くの戦争があった」・「(習主席の歴史講義を)10分間聞いて(北朝鮮問題が)容易ではないことを悟った」と語った。

2020年アメリカ合衆国大統領選挙で11月7日にバイデンの当選確実報道が出ると、各国首脳は続々とバイデンに祝辞を贈ったが、習近平はしばらく祝辞を出さず、11月25日になってようやく出している。文面は「双方が衝突せず、対抗せず、相互に尊重し、協力とウィンウィンの精神」を堅持し「互いの不一致を管理する」ことを求めるというもので、これは2016年にトランプに贈った祝辞をほぼ踏襲したものだったが、米中関係の悪化を反映して文字数が減った。

バイデン政権発足後も米中対立が終わる気配は無く、バイデンは習を専制主義者と名指しで批判し、「中国は世界のリーダーとなり、最も豊かで強い国になるという目標を持っている。私が大統領でいる限りそうはさせない」と述べている。また貿易政策では中国に対する関税を即時撤廃せず、トランプ前政権と中国の習政権が締結した米中経済貿易協定についても順守を求めた。

2021年4月20日にボアオ・アジア・フォーラムでの演説で「新冷戦に反対する」と述べてデカップリング(切り離し)に警鐘を鳴らし、サプライチェーンの中国への依存脱却を図るアメリカの政策を暗に批判した。

台湾

2015年11月7日に台湾の馬英九総統とシンガポールのシャングリ・ラ・ホテル・シンガポールで史上初の首脳会談を行い(1945年の蔣介石・毛沢東の重慶会談は中国大陸と台湾が分断される前に行われた)、両首脳は中国大陸と台湾が共に「中国」に属するという「一つの中国」原則を確認した「92コンセンサス(九二共識)」をもとにホットラインの開設など平和的な関係を築く考えで一致した。

習指導部は2012年の発足以来「中華民族の偉大な復興」という壮大な目標を掲げた。その最終目標と言えるのが中台統一である。歴代の指導者がこれまで切り開いてきた対話を首脳レベルに引き上げ、次の指導者に引き継がせる意味もある。中国は近年台湾に経済的恩恵を与える事で台湾を引き付けようとする政策を採ってきた。2014年3月に台北で起きた「ひまわり学生運動」や同年秋の台湾統一地方選挙における与党である国民党の敗北は中国政府に衝撃を与えたが、習指導部は「経済」という切り札を握る自信から「現状維持」を保ちつつ、台湾市民の抵抗が和らぐのをじっくりと待つ構えだった。

日本

2012年12月に民主党から政権を奪還した自民党の第2次安倍内閣は、第1次安倍内閣と同様に戦略的互恵関係を日中関係の基礎と位置付けて関係改善を図りつつ、尖閣諸島を「核心的利益」とする中国に対して領土問題で妥協しない姿勢を保って日中双方が時に牽制しあった。

しかしアメリカで日中両国のアメリカに対する貿易黒字を問題視するトランプ政権が発足した2017年から日米貿易摩擦の再燃と米中貿易戦争が起きたことにより、日中両国は歩み寄りを見せ始めた。2018年5月に安倍首相と電話会談を行い、その他に2008年から交渉されてきた日中防衛当局間のホットラインである「海空連絡メカニズム」の運用開始で一致し、他にも複数の合意文書を交わした。

同時に訪問した韓国の文在寅大統領との対応の差が目立ち、その歓待ぶりから「政熱経熱」とも評され、同年10月には日本の首相では7年ぶりに単独で中華人民共和国を訪問した安倍首相への中国の厚遇が報じられ、安倍首相は「競争から協調へ」・「お互いパートナーとして脅威にならない」・「自由で公正な貿易体制の発展」の日中新時代3原則を打ち出して習近平国家主席・李克強国務院総理と様々な日中協力で合意した。2019年10月には中国人民解放軍の軍艦が横須賀に親善入港し、8年ぶりかつ日本近海では初の共同訓練を自衛隊と実施した。2020年4月に習近平主席(総書記)が国賓として日本を訪問する予定であったが、こちらは新型コロナウイルスの対応の為に延期されている。

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