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日中記者交換協定

にっちゅうきしゃこうかんきょいてい

日中記者交換協定とは、国交正常化前の日本と中国の間における報道記者の相互常駐に関する協定である。
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概要

『日中双方の新聞記者交換に関するメモ』とも呼ばれ、日本中華人民共和国の間において、日本における中国に不都合な報道がされないようにするために行われた報道記者の相互常駐に関する協定であり、日中国交正常化以前の昭和39年(1964年)に行われた『日中LT貿易』において結ばれた。

詳細

日中LT貿易

『日中LT貿易』により経済交流が行われるようになり、昭和39年(1964年)4月19日に当時LT貿易を扱っていた、高碕達之助氏の事務所と廖承志氏の事務所は、日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた。

会談は、松村謙三衆議院議員と廖承志中日友好協会会長の代表者2人を始め、日本側から竹山祐太郎岡崎嘉平太古井喜実大久保任晴が参加し、中国側から孫平化王暁雲が参加した。

会談内容

  1. 廖承志氏と松村謙三氏との会談の結果にもとづき、日中双方は新聞記者の交換を決定した。
  2. 記者交換に関する具体的な事務は、入国手続きを含めて廖承志事務所と高碕事務所を窓口として連絡し、処理する。
  3. 交換する新聞記者の人数は、それぞれ八人以内とし、一新聞社または通信社、放送局、テレビ局につき、一人の記者を派遣することを原則とする。必要な場合、双方は、各自の状況にもとづき、八人の枠の中で適切な訂正を加えることができる。
  4. 第一回の新聞記者の派遣は、一九六四年六月末に実現することをめどとする。
  5. 双方は、同時に新聞記者を交換する。
  6. 双方の新聞記者の相手国における一回の滞在期間は、一年以内とする。
  7. 双方は、相手方新聞記者の安全を保護するものとする。
  8. 双方は、相手側新聞記者の取材活動に便宜を与えるものとする。
  9. 双方の記者は駐在国の外国新聞記者に対する管理規定を遵守するとともに、駐在国が外国新聞記者に与えるのと同じ待遇を受けるものとする。
  10. 双方は、相手側新聞記者の通信の自由を保障する。
  11. 双方が本取り決めを実施する中で問題に出あった場合、廖承志事務所と高碕事務所が話し合いによって解決する。
  12. 本会談メモは、中国文と日本文によって作成され、両国文は同等の効力をもつものとする。廖承志事務所と高碕事務所は、それぞれ中国文と日本文の本会談メモを一部ずつ保有する。

附属文書
かねて周首相と松村氏との間に意見一致をみた両国友好親善に関する基本五原則、すなわち両国は政治の体制を異にするけれども互いに相手の立ち場を尊重して、相侵さないという原則を松村・廖承志会談において確認し、この原則のもとに記者交換を行なうものである。

日中覚書貿易会談コミュニケ

更に昭和43年(1968年)3月6日には、『日中覚書貿易会談コミュニケ(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)』が発表され、貿易体制がLT貿易から覚書貿易に変更になり制度化され、これにより記者交換に関する取り決めも一部修正された。
この会談は、同年の2月8日から3月6日までのあいだ北京で行われ、松村謙三が派遣した『日本日中覚書貿易事務所』代表の古井喜実岡崎嘉平太田川誠一と、『中国中日備忘録貿易弁事処』代表の劉希文王暁雲孫平化により行われた。

コミュニケの内容

双方は、日中両国は近隣であり、両国国民の間には伝統的な友情があると考え、日中両国国民の友好関係を増進し、両国関係の正常化を促進することは、日中両国国民の共通の願望にかなっているばかりでなく、アジアと世界の平和を守ることにも有益であると認めた。
中国側は、われわれの間の関係を含む中日関係に存在する障害は、アメリカ帝国主義と日本当局の推し進めている中国敵視政策によってもたらされたものであると指摘した。
日本側は、中国側の立場に対して深い理解を示し、今後このような障害を排除し、日中関係の正常化を促進するために更に努力をはらうことを表明した。
中国側は、中日関係における政治三原則と政治経済不可分の原則を堅持することを重ねて強調した。日本側は、これに同意した。双方は、政治経済不可分の原則とは、政治と経済は切りはなすことが出来ず、互いに関連し、促進しあうものであり、政治関係の改善こそ経済関係の発展に役立つものであるとの考えであることを認めた。
双方は、政治三原則と政治経済不可分の原則は、日中関係において遵守されるべき原則であり、われわれの間の関係における政治的基礎であると一致して確認し、上記の原則を遵守し、この政治的基礎を確保するためにひとつづき努力をはらう旨の決意を表明した。
双方は、一九六八年度覚書貿易事項について取りきめを行なった。

修正内容

  1. 双方は、記者交換に関するメモにもとづいて行われた新聞記者の相互交換は双方が一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則を遵守し、日中両国民の相互理解と友好関係の増進に役立つべきものであると一致して確認した。
  2. 双方は、記者交換に関する第三項に規定されている新聞記者交換の人数をそれぞれ八名以内からそれぞれ五名以内に改めることに一致して同意した。
  3. この取りきめ事項は記者交換に関するメモに対する補足と修正条項となるものとし、同等の効力を有する。
  4. この取りきめ事項は日本文、中国文によって作成され、両国文同等の効力を有する。日本日中覚書貿易事務所と中国中日備忘録貿易弁事処はそれぞれ日本文、中国文の本取りきめ事項を一部ずつ保有する。


この修正内容のうち「会談コミュニケに示された原則」とは、会談コミュニケの内容にある『政治三原則』『政治経済不可分の原則』のことで、『政治三原則』とは昭和33年(1958年)8月に訪中した社会党佐多忠隆参議院議員に対し、当時「全国人民代表大会常務委員会委員」だった廖承志氏が、周恩来首相と陳毅外交部長の代理として示した公式見解以来、中国側がたびたび主張してきた日中間の外交原則である『対日貿易三原則』のことである。

原則の内容は、昭和35年(1960年)8月27日に周恩来首相によって発表された『対日貿易三原則に関する談話』の中に語られており、簡潔にまとめれば次のような内容である。

  1. 日本政府は中国を敵視してはならない
  2. 米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない
  3. 中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない

すなわち、中国共産党政府に不利な言動を行なわない・日中関係の妨げになる言動を行なわない・台湾独立を肯定しないといったことが取り決められているのである。
東京大学東洋文化研究所の田中明彦教授は、自身の研究室の公式サイトにて、周恩来首相の談話を始めとした協定の文献を掲載している。リンク1リンク2

覚書貿易の制度化後は、この『政治三原則』『政経不可分の原則』に基づき、日中記者交換を維持するものとなり、当時の『日本新聞協会』『中国新聞工作者協会』との間で交渉が進められ、対中関係を改善しようとする当時の日本政府によって頭越しに決められたという側面もあった。

日本側は記者を北京に派遣するにあたって、中国の意に反する報道を行わないことを約束し、当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞読売新聞毎日新聞NHKなどや、今後北京に常駐を希望する報道各社にもこの文書を承認することが要求され、条文を厳守しない場合は中国に支社を置き記者を常駐させることが禁じられ、違反した場合は記者が中国国内から追放されていた。

昭和47年(1972年)の日中国交正常化によってこの協定は廃止されたが、この後に新たに表面的には政治的色合いを除いた『日中両国政府間の記者交換に関する交換公文』が締結され、これらの協定が原因で中国に対する正しい報道がなされていないと批判が現在でも相次いでいる。
チベット人やウイグル人への弾圧が黙殺されて全くと言っていいほど報道されなかったり、尖閣諸島における中国漁船海上保安庁巡視船への衝突事件が危うく隠蔽されかけた出来事などの根本の原因とも言われている。

余談

日本の大手新聞社の中で、唯一この協定を承認していなかったのが産経新聞であり、当初からこの協定そのものに反発していた。
文化大革命の期に新聞各社は中国当局からの台湾支局の閉鎖の要求を呑んで、中国に支局を開局したという経緯があるが、これに対し産経新聞は傘下のフジテレビ以下FNS各局ニッポン放送を含めて中国からの要求を度々拒否し、北京支局の閉鎖・特派員の引き上げを行う措置を断行している。
また、他社も「台湾支局閉鎖の要求を呑んで中国に支局を開局した」との上記の内容には反しており、台湾には報道各社の住所が現在も確認できる。

関連動画



隠蔽されている・されかけた

チベット人弾圧




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尖閣諸島中国漁船衝突事件



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外部リンク

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