概要
共産主義の思想を持った匪賊(集団で略奪などを行う賊)という意味の言葉で、戦時中の中国民衆の間で呼ばれていた中国共産党軍の別称。
第二次世界大戦の時代おいて、中国軍は行く先々で同胞である中国民衆に対して強奪や大量殺戮を行っており、共産党軍はそのあまりの酷さから、この名称で呼ばれた。
中国では伝統的に、民衆とは戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっておらず、清朝末期の政治家・ジャーナリスト・歴史学者である梁啓超は、中国の民衆を『戮民(りくみん)』(殺戮される民)と呼んでいる。
その代表的な例として『黄河決壊事件』がある。
中国の軍隊は、共産党軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより食い詰めたルンペン(浮浪者・失業者)を寄せ集めたような集団で、彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来て食いっぱぐれなかったからであり、そのため司令官は、土地を占領すると最低でも一週間は兵士たちの好きなように略奪行為をさせており、そうしないと反感を抱かれ司令官が殺されてしまっていた。
こうした中国軍の性格は、共産党軍ではさらに酷いもので、共産党軍は行く先々で民衆に横暴を働いていたため、民衆からこの記事の名称である「共産主義の匪賊」と呼ばれていたのである。