紅衛兵
こうえいへい
- ♪毛沢東のテーマソング『東方紅』(东方红 The East is Red 1964 with
紅衛兵が演じる毛を美化する舞台劇のテーマソングである。
正:紅衛兵
簡:红卫兵
英:Red Guards
この組織は1966年から1977年まで存在した、中華人民共和国における中国共産党( というより毛沢東統制化 )の中国全土の単一学生自治組織であり、文化大革命における虐殺の一部を担ったとされる。
この団体は、日本人には全共闘といった組織を思い出差せ大学『紅衛兵学生会』が思い浮かぶが実際には、高校・中学『紅衛兵生徒総会』、小学校『紅衛兵学級委員会』的な学生全般の、学校および学級の一クラス単位まで組織が統一されていた。
【発端】
1958年から1961年まで毛沢東の手により行われた大躍進政策の失敗の責任を取り国家主席を辞任した後、二代元首( 主席 )となった劉少奇( 1920年代から共産党の活動を行い、日中戦争においては新四軍の立て直しなどを行った人物であり、中央委員会副主席の筆頭であった、この後文化大革命のいざこざに巻き込まれ失脚し悲惨な最期を遂げたものの、1980年までそれはわからなかった )は早々と現実的な社会主義市場経済へと転換するため、中華人民共和国、ひいては中国共産党の体制の改革に着手した。
この流れに対し毛も最初は黙ってはいたが、着々と政治をこなすに劉少奇への恨みが募りついに爆発した。
毛は『俺の帝国=中華人民共和国』への私利私欲を封じることが出来ず「手に入れれられないのならば、国を滅ぼすこと」も視野に入れ行動を開始した。
そして俺を怒らすとどうなるのか、国際社会や中国共産党や人民共和国の人民に骨の髄まで思い知らせることにしたとされる。やはりこういった魔王クラスのサイコパスじみた考え方を実行できる胆力は恐ろしい。
【文化大革命の主役】
毛は林彪に命じて事前に大体の組織体系を構築していた中国全土の学生に呼びかけ、1966年、紅衛兵を組織させた。
この団体の構成者は毛を親と呼ぶような毛沢東を狂信的崇拝し、カルト的な熱狂を持ち毛の言葉にのみ従い、自分たちが気に入らない者は家族や他人、例えば学校の教師、毛が嫌いと思われる人物、のちには団体の構成者が嫌いと思われる人物、例えば共産党員や公務員、清朝、民国時代の有力者など誰かれ構わず血祭りにし、特に芸能人、特に京劇役者や文化人、芸術家などを見せしめにし彼らを自己批判させたうえで自殺に追い込んだり、病院を攻撃することで病死させたり、最悪の場合なぶり殺しにもしている。
さらにそれまでの天災人災等の破壊に耐え生き残っていた神社仏閣や歴代皇帝の墓所、由緒ある建築物、芸術品、さらにはこの団体の構成員が悪とみなした人物の所有物までも破壊略奪した。
これらによりこの団体の活動は中国全土の数千万とされる動員された学生が同時に多発的に起こす破壊殺戮行事となったのである。
彼らは地響きを立てるぐらいの人の海を形成し、彼らが通った後は死体の山が築かれるので恐ろしい存在であったとされ、当時の中国の人々は日々殺害や破壊の恐怖に戦いたとされる。
そして1968年にはこの団体の中に派閥が形成され、他派閥の攻撃や同志、例えば金日成、さらには毛沢東自体を攻撃しだすなど、操っていた毛もコントロールできない状況となっており、大学入試等も1972年まで行われないという状況に陥った。
傍目から見るとギャグやお笑い状態に見えるところもある※1、しかしこの時代の中国においてこれは事実であり、例を挙げれば北斗の拳の修羅の国やその世界観に近い阿鼻叫喚の空気であり、加えて『機械人形』や『歯車』『番号名前』など非人道的な行政生活が行われたため、殺伐感がはんぱなかったとされる。
加虐的な中国共産党でさえ、文化大革命の終了後、この団体を含め『あれはやりすぎだったのではなかろうか。』と猛省せざるを得ない異常な時代とみなされ、現在の中華人民共和国においても封印、すなわち無かった事にされた。
ちなみに1968年には鎮圧のため人民解放軍まで動員させ、運動の停止が宣言され、66年から68年まで暴れていたものも含めすべての学生は上山下郷運動( 毛沢東の指導により青年層を中国辺境部の農村地帯に思想政策として派遣する運動、実質上追放である )により苦難の道を歩むことになった。
また、この団体はそれ以降も存在したものの、中国共産党の統制を受けた団体となり、結局文化大革命が終了した1978年にこの団体は解体された。
全共闘・全学連……少し前の時代の日本の同類の学生組織だが、紅衛兵ほどの活躍は出来なかった。もともとこれらの組織は日本共産党と関連があり紅衛兵を真似したところもあるとされているが、別に毛は自身の野望の達成=俺の帝国を取り戻すことに以外の障害への排除は国を滅ぼすところまで残酷になることが出来たが、全共闘は発端は正義のためにはじまったたことであり相違がある。
宣統帝……清朝最後の正統な皇帝、『皇帝』だったので文化大革命のときには命が危ない筆頭格だと思われた。しかし周恩来( 中国共産党のフランス支部を作るなど、若いころから活動しており、西安事件にて蒋介石に日本側に対する強硬姿勢を飲ませたことでも有名、また国務院総理となり27年その職にあり文化大革命の差異にもその影響を抑える働きをしていたとされる。 )の助力があったのか彼は限りなく特徴のない一人民に衣替えしていたのか感知されず奇跡的につるし上げられずに生き延びる。※( 番号名前が彼の本名を隠したのは優位に働いた )しかし最後は元皇帝ということで病院が攻撃の標的になることを恐れ相手にされず病死してしまった。
習近平、李克強……運動にかかわったかどうかは不明であるが上山下郷運動の対象となった。
大宅壮一…日本の評論家。この紅衛兵を用いた文化大革命を『ジャリタレ革命』と評し、日本の文壇・論壇の一同とともに強く文化大革命に反対した。
コメント
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毛沢東の犯罪を改めて伝えるために、小説という形にします。紅衛兵という言葉が死語になりつつある今、共産主義の恐ろしさや犯罪性が伝われば本望です。今後、続編では法輪功の真実と、江沢民がなぜ法輪功を弾圧するのかを、主人公の家族の災難と不屈の信仰を描き、やがて雨傘運動につなげ、国家安全維持法の施行、住民の海外流出まで描きたいです……。15,354文字pixiv小説作品