概要
元々、彼らの中華人民共和国での呼称は「上海幇」だったが、逮捕後、「四人幇」という名称を中国共産党が公式に使用し現在に至る。日本では「四人組」「文革四人組」と称される。
面々
江青 - 中国共産党中央政治局委員、中央文革小組副組長、毛沢東夫人
張春橋 - 国務院副総理、党中央政治局常務委員
王洪文 - 党副主席
姚文元 - 党副主席
四人組はプロレタリア独裁・文化大革命を隠れ蓑にして極端な政策を実行、反対派を徹底的に弾圧・迫害して果ては多くを殺害した。
しかし、1976年9月に中国共産党中央委員会主席である毛沢東が死去し、後を継いだ中央委員会主席・華国鋒と人民解放軍元帥・葉剣英により全員逮捕され失脚、党籍永久剥奪となった。
うち江青と張春橋は1971年に死亡した林彪と共に文化大革命の首謀者と見なされ、のちに特別法廷で執行猶予付きの死刑判決に処された(その後1981年に江青は終身刑に、張春橋は懲役18年に減刑。江青は1991年に自決、張春橋は出所を果たしたのち2005年に病没。)。王洪文は武装反乱を組織し、誣告も行ったとして終身刑に処され(1992年、服役中に病没。)姚文元は共産党の宣伝機関を使い「反革命扇動」を行ったとして懲役20年の有期懲役を処された(その後刑期を務めあげて出所、2005年に病没)。