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トロツキー

とろつきー

レフ・トロツキーとはソビエト革命政権初代元首・最初の赤色革命戦士。革命からソビエト国家建国以前までの最高権力者(元首)赤軍創建者・総司令官。グレゴリオ暦1879年11月7日-1940年8月21日
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概要編集

ソ連政治家ソビエト革命政権初代元首

本名レフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテイン。トロツキーという名は革命家時代から名乗り出したペンネームで逮捕された際に出会った看守の名前から借用したもの。

ウクライナ生まれのソビエト連邦政治家、マルクス主義思想家。革命指導者、共産党版十二使徒の一。 ソビエト陣営の指導者でソ連建国にも携わった。

そして一部の人からはピッケルの人と認識されている(後述)。


永久革命男・初代革命戦士編集

ユダヤ系の両親をもつが、ユダヤ教の信仰は家族も含めてほとんどない家庭環境に育つ。裕福な富農の家に生まれ学生時代は大変な読書家であった。10代後半でマルクス主義に触れ、革命活動に身を投じることになる。数度の逮捕や脱走を重ねた後、ロシア国外に亡命し政治活動を続けていた。


最初の共産主義革命戦士(赤色テロリスト)的存在で、弁舌に長け、文章に優れた上に博覧強記と自他共に認める天才なのだが、全く他人と協調できず一人で突っ走るタイプ(一人永久革命男)であり、ソ連共産党内でも、同僚や部下の意見をまったく聞かず一人で突っ走るなど完全に浮いていた。革命以前からレーニン等とは面識があったが政治路線をめぐって対立し、レーニンや彼が率いる党派(暴力革命派・ボリシェビキ、後のロシア共産党ならびソ連共産党の前身となる党派)とはロシア革命直前までほとんど絶縁状態にあった。革命前の「ソビエト(民会)革命政府」のリーダー(議長)に就任し1905年から1917年までの「ソビエト(民会)革命政府」のソビエト議長(元首)をつとめる(国外亡命中のため政府というのは名目上のもの)。ロシア革命によって帝政が倒れた事で国外亡命先から帰還し、レーニン等との対立をひとまず収め、共闘を選んでボリシェヴィキに入った。


 トロツキーは過激な共産主義思想を振りまき、ロシアの民の民意を暴力革命に統一し旧ロシア帝国支持派を打倒することに貢献。その際に赤軍を創設、創健者となり総司令官となる。1917~22年の間に起きた内戦ではロシア帝政復古派およびロシア共和国政府(帝国崩壊時に起こった臨時政府)等からなる「白軍」を滅ぼす最大の功労者となった。


しかし、彼のソビエトから始まり世界を巻き込んで全てをひっくり返す革命(永久革命)という主張は当時の同輩に当たるボリシェビキ(共産党員)からも現実的に無茶だと思われていた。トロツキー以外のメンバーの殆どがほぼ無理だと思っていた。


全てをひっくり返すよりも、共産党員が全力でロシアで独裁をしてゆくほうがまだ現実的に見えた。結局、トロツキーは党首脳のレーニン、スターリンなどの他の共産党員からも疎まれていった。1924年にレーニンが死去したことで、この傾向は一層、強まりトロツキーは党内で孤立した。


1922年にソビエト議長にI・カリーニンが就任し、『ソヴィエト連邦』として正式に国家として成立すると、革命前の「ソビエト(民会)」におけるトロツキーの元首時代は無かったことになる。

 これもあって初代元首を『トロツキー』とするか『カリーニン』とするかの対立が共産党支持かソビエト支持かの対立にも波及し(早い話がトロツキー支持派とトロツキー否定派の対立。トロツキー支持派をトロツキスト、その主義をトロツキズムと呼ぶ)、論争や内ゲバの素材となる。この対立はゴルバチョフが登場するまで、共産党が唯一正統なソビエト革命の組織として存在していたが、ゴルバチョフが共産党もソビエトも通り越した政冶設計を開始した結果、対立は無用になり、ソヴィエト連邦自体が消滅すると、もはや何を争っていたのかわからなくなる社会主義・共産主義者が続出した。


トロツキーは共産党内の反スターリン派と手を組むなど、レーニン死後の実権を握ったスターリンの政敵としてソ連国内での政治活動を続けるも、前述の協調性の無さも相まって、スターリン派との権力闘争に敗れ、1929年にはソ連を追放された。トルコや欧州などを転々とした後、1936年に単身、南米に赴き新共産主義革命国家を立てようとメキシコへ亡命。亡命後もスターリンのやり方を非難し、スターリン伝を執筆する。トロツキー自身は息子を殺害されたこともあり暗殺に対して警戒もしていたが、その甲斐虚しく、1940年に支持者を装ったスターリンの刺客によって後頭部をピッケルで貫かれ暗殺される(このことから一部の人からピッケルの人と呼ばれている)。彼の死はソ連国内ではしばらく隠蔽され、過去の写真にも初めから存在しなかったかのように削除された。なお、トロツキーは南米の共産主義者の開祖として今も現地左翼諸派からは崇拝されている。


彼の残した著書は「わが生涯」、「裏切られた革命」など多数存在する。


【参考文献】

・wikipedeia Троцкий, Лев Давидович

関連項目編集

ソ連 スターリン 赤いpixiv

  • 連合赤軍・・・日本での共産主義暴力革命を標榜した組織だが、実際的には軍隊の体をなしておらず、個人個人において共産主義的純化を求め、つぶし合った集団となった集団。よって、個人で事件行動する物しか現れなかった。
  • 革命戦士・・・共産主義を暴力で達成しようとする者の通称。(イスラム国の戦闘員や過激派といろいろ一致する)

  • 安彦良和・・・トロツキーを取り扱った『亡国のトロツキー』という漫画が存在する。

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