曖昧さ回避
市民とは
- その市に住んでいる人。また、都市の住人。
- 国政に参与する権利をもつ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権をもつ住民に由来する(英:citizen)(本記事で説明する)。
- ブルジョア。ブルジョアジー。市民階級(仏:bourgeois)。
- 一般人、通りすがりの人のこと。モブ。物語の主要登場人物ではない人々、特にバトル系作品で敵味方の戦闘要員に含まれない人々を指す。英語でいうCivilianに近い用法。
国政に参与する権利を持つ者としての「市民」
概要
英語でいうcitizenの和訳。市民権(citizenship)を持つ者のこと。市民権には様々な権利が含まれ、その代表が参政権である。通常は国家によって保障される。国家に住む者もしくは国籍を持つ者全般を指す時には国民というが、市民という場合は国民でありかつ参政権を持つ主権者であるという違いがある。このような呼称には歴史的背景がある。
歴史
通常、市民を語る際には古代ギリシャの都市国家、特にアテナイの制度から語られる。アテナイの市民は全て原則として平等な権利を持ち、平等にアテナイの政治を決定する権限を有する主権者であった。後世の政治学で王政、貴族政に対する民主政治を設計する際のモデルの一つになったのが、このアテナイの市民である。ただしアテナイ市民は成人男性のみであり、女性は市民の権利を持たなかった。また、アテナイ経済を支えていた多くの奴隷も市民には数えられていなかった。やがて、古代ローマが王政を打倒すると、ローマも市民を主権者とするようになった。もちろん実質のローマは貴族政から帝政へと移行していったわけだが、市民は民会の選挙権・被選挙権を有し、元老院や軍隊と並んで帝位の行方を定める一定の参政権を有していた。また、ローマ帝国の拡大に伴って、ローマ市民権はイタリアの諸都市から他部族の民、解放奴隷にも与えられるようになっていった。
ヨーロッパの中世においては、市民は城塞の中に住む人たちを意味した。市民がブルジョア(bourgeois)とも呼ばれるのは、bourg(城)の中に住む人たちであるからにほかならない。中世社会一般は農奴制であり、多くの民衆は参政権を有していなかったが、都市の市民は一定の範囲で市政を左右する権利を持っていた。
イギリスやフランス等の市民革命によって近代国民国家が成立すると、財産制限で定義された市民が登場する。革命を主導しその主権者となった資本家、商人、地主等は古代ギリシャやローマをモデルとした市民と見なされるようになった。国家を構成する主体は政治を動かすに足るだけの良識と教養を持ち、それを保障する財産を持ったアテナイ的市民であり、政治に混乱をもたらすだけの無知な貧しき大衆と区別されるとしたわけである。マルクスはこれら近代国家の市民をブルジョアに過ぎないと批判した。しかし参政権の財産制限は次第に撤廃され、また女性にも参政権が与えられるようになって市民の範囲は拡大していった。誰もが市民となり、平等に参政権を行使して政治を左右する主権者となったのである。
現代になると、グローバル化に伴ってヒトの国境を越えた移動が激しくなる。それは移民や難民の発生に限らず、そもそも企業の活動が国境を越えており、社員を国境を越えて活動させなければ経営が成り立たないからでもある。同様に医療、学術、報道、様々な分野でヒトの移動が国境を越えていく。こうして市民の権利を保障する主体としての国民国家を不要とし、国連や人類社会そのものが市民権を保障する考え方、すなわち「世界市民」「地球市民」という考え方も登場していった。
日本語としての「市民」
日本で主権者が国民となったのは太平洋戦争後である。戦前の国民は憲法上「臣民」であり、主権者はあくまでも天皇であった。この為、アメリカの進駐軍の主導でcitizenの訳語としての市民概念が成立していった側面もある。
しかし戦前から吉野作造らの民本主義や大正デモクラシーといった民主主義を目指す活動があり、男子限定ながら普通選挙も成立していたことを忘れてはならないであろう。さらに歴史を遡ると、「市」とは、古代中世において民衆が月に何度か集まって交易をした場所のことである。四日市、八日市といった地名はその名残である。都の東西市は官営であったが、地方の定期市は自然発生的な背景もあって地域の領主に対して一定の自治権を有していた。これが網野善彦らによって提唱された世俗的な権力関係から「無縁」な社会すなわち「公界」である。それらが戦国時代に成長して堺や博多といった自治都市が成立していったのも周知のとおりである。
日本において市制が敷かれて公的な政治用語として「市」が登場したのは近代のことであるが、「市」という言葉の背景には遠く古代から続いてきたcitizenとも共通する日本の伝統が存在することは覚えておいてよいであろう。